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2016年5月21日土曜日

星川京児さんのこと

実はフルックのコンサートツアー中に入ってきたニュースだったのだが、星川さんが亡くなった。星川さんは私にとってはワールドミュージックの師匠みたいな人だ。ケルト音楽の先生たち:白石和良さん、おおしまゆたかさん、茂木健さんたちを紹介してくれたのも星川さんだった。

だいたい27、8年くらい前、わたしが勤務していたキングレコードは、ワールドミュージックライブラリーという驚異的なワールドミュージックのシリーズをリリースしていた。全部で100枚だったか、200枚だったか… もう忘れたが、それを監修していたのが星川さんだった。だから会社でよく会った。私は当時宣伝を担当していたのだが、それがどんなにすごいシリーズか、全然知らないで宣伝していた(レコード会社ではよくあるパターン)。でも星川さんの話はいつも面白く、よく分からないながらも聞いていてワクワクするものだった。

実際、これなんかドラマの主題歌になって結構売れたらしい。


評論家の先生(実際は星川さんは、音楽評論家というわけじゃないんだけど)の家にお邪魔してみんなで飲む…というのを体験させていただいたのも星川さんのお宅が初めてじゃないかな。大きなお鍋にエスニックのつまみを1種類だけ大量に作って、それをみんなで食べて飲む、というのが星川さんのスタイルだった。今でもあの時に食べた、なぞの混ぜ物(すごく美味しかった!)の味は覚えている。きゅうりやなすをたたいたものが入っていたから、きっとサラダ風の何かなのであったのだろう。

あと奥様と結婚したときこともよく覚えている。普段そっけない恰好の星川さんが、このときばかりは民族衣装風のきっちりとした衣装を来て、素敵な奥様の脇で照れくさそうにしてらした。場所はたぶん星川さんの行きつけの中華みたいなところだったと思う。なんだかそんなこともボンヤリとだけど、覚えている。

その後、わたしもフリーになり、星川さんが千駄木にANOMAというお店をオープンしてからは何度かお店を訪ねるようになった。あの頃が一番交流があったかもしれない。そこでは奥様の康江さんにも大変お世話になった。閉店間際のお店におじゃまして、帰りに手作り餃子をいただいたりしていた。中国茶の本格的な煎れ方も教えてもらった。当時は池袋から歩いていけるところに住んでいたから、よく千駄木のお店から西日暮里の墓地まで歩いて帰ったっけ。

お店がなくなってからは星川夫妻とはちょっと疎遠になってしまったけど、なんだかのコンサートでばったりお会いして(場所が求道会館だったのは覚えている。ヴェーセンの公演だったかも?)「神楽坂にいい小屋があるんで、野崎さん紹介したいんだよー」とか言ってらした。そしてそれが最後になった。たぶんあれから5年くらい立ってるんじゃないかな。

星川さんが癌で闘病されていたのはずっと知っていた。お酒が飲めない、といってグチっていたことも。確かに具合悪そうにしてた時期もあったけど、もちなおして元気そうにしていた時期もあった。しかしこんなに早く亡くなってしまうとは… 63歳ですよ。若すぎるよ。星川さん、最後はお酒が飲めていたのかしら…

星川さんは、いろんな人が思っているようないわゆる音楽評論家ではなく、本来はスタジオでもディレクションする元ミュージシャンであり、音楽プロデューサーだった。NHKのラジオとかでしゃべっていたことがあるし、民音のワールドミュージックのコンサートの監修みたいなこともやっていたことがあったっけ。あと王子ホールの企画もやってる、って聞いたことあったなぁ… ヨーロッパの伝統音楽については、あまり詳しくないらしく、その事を隠しもせず「僕は分からないので」といって、茂木さんや白石さん、おおしまさんにすべて任せているといった感じだった。そんなところもすごく素敵だった。

星川さんの文章はちなみに今でもここで読める。
このほしのあなたの知らない音楽
プロフェッサー星川の天竺ロック情報

星川さん、キム・シン大好きだったんだよなぁ。結局来日は実現したんだっけか…



星川さん、ありがとう。知らない国の音楽のワクワクを教えてくれたのは、星川さんだった。ありがとう、ありがとう、ありがとう。