いや〜、本当にすごい本だった… 樋田毅『彼は早稲田で死んだ』

 


まだまだ読んだ本の感想が書き終わらず、ブックレビュー続きます。

これは、本当にものすごい本だった。人間が暴力の一線を越えるってどういうことだろうと思う。これが72年(私は6歳だったな…)に行われていたって、いったいどういうことなんだろう。

キャンパスに暴力が溢れてる。大学って、勉強しにいくところじゃないの? これではまるで戦場だ。キャンパスの自治という名目のもと、暴力が横行していた当時の早稲田大学。言葉もない。こんなんじゃ、勉強なんてできないじゃないか。

しかしすごい。「内ゲバ」「セクト」「アジ演説」など、専門用語の意味もよくわかってない私だったが、著者の熱意に引き込まれて、本当にこの本に入り込んでしまった。

そして暴力の嵐の中でも負けなかった(いや最後には負けたのか? そうではないと私は思う)著者、そして数名の素晴らしい人たちの大変な中でも失われない輝きにも胸を打たれる。

暴力や絶望の前に一歩も引かなかった小此鬼(林)則子さん(のちに児童文学編集者)など女性たちの活躍も素晴らしい。女性なんて、本当に暴力には一番弱い存在なのに…

早稲田はなんか好きな大学だ。

一般的に日本の芸能界や音楽業界、メディアには慶応大学出身者が多く、そんな中、早稲田はバンカラ・イメージで、とってもかっこいいなといつも勝手に思ってた。高野秀行さん、角幡唯介さんを輩出した探検部、自分も熱血安藤先生にご指名を受けて生徒さんたちと話をする機会を得たりして、すごく親近感を感じていた学校だ。

その早稲田。もちろん学生運動やいろんなことは知らないわけではなかったけれど、たとえば早稲田大学が革マル派との関係をクリアに断てたのは、本当につい最近のことなのだそうだ。これにもびっくりする。

そのくらい酷かった。根が深かった。ちなみにそれがクリアできたのは、ひとえに94年からの総長となった奥島孝康総長の粘り強い努力によるものだそうで、この本に出てくる川口くんの事件から25年後のことだった。25年もかかった!

著者の樋田さんが、ポリタスTVに出たのを見たけど、すごかったなぁ。(これは現在会員向けだけの放送だと思うので、見れない人はごめんなさい)

 

ちょうど宗教右派が大問題になっていた時期(そして、世論が冷めるのは本当に早い)のせいで、前作の「記者襲撃」が話題になっていた時期。「記者襲撃」はα教会とされていた宗教団体は、実は統一教会のことなのだそう。言葉もない。

まぁ、この「記者襲撃」のことまで話を広げると、この本の感想から離れてしまうので、朝日新聞の赤報事件については、また「記者襲撃」を読んでから書くことにする。

ちなみにこれは本には書かれていないけれど、亡くなった川口くんの50回忌での樋田さんと統一教会の関係者とのやりとりがすごい。

それにしても、50年たった今も、まだ統一教会の関係者が川口くんの法事に出入りしている…。日本会議をはじめ、右派の人たちのマメさには驚愕する。この事件はまったく終わっていない。そしてセミナーハウスの話も。

早稲田大学が川口くんのお母さんに支払ったお金をお母さんは「学生さんたちのために」とセミナーハウスを作ることに同意した。が、その施設の名義が実は統一教会のものだったという驚愕事実があるそうだ。(上ののポリタスの番組参照。有料会員になるためには、こちらへどうぞ

それにしても、早稲田時代のリアルな話に加え、最後の著者の記者を退職してからの取材もすごい。取材したものの結局公開することができなかった話もあるようだ。関係者は… これらをすべて墓場まで持っていくのだろうか。

ある意味、公開することで贖罪の意味も出てくると思う。また私たちが同じ間違いをしないようにぜひ話を聞かせてほしいなぁと思う。

それにしても、本当にきつい。それでも読んでいて、著者が若いころの高知での失敗経験、そして学生時代に取材してくれたという毎日新聞の小畑和彦記者の話に希望を見出す。

小畑記者は、新自治会発足後、頑張る樋田さんの姿を取材し「愛知県の田舎町からでてきた青年が早稲田での学生分銅での経験を経て成長していく物語」といったテイの記事で紹介してくれたそうで、「無名の人にも光をあてる」という記者の仕事に感動した樋田さんが新聞記者を志すきっかけになったのだという。

またもう学校はやめて田舎に帰った方がいい、と反対する親戚を払いのけ「息子を信じる」と言ってくれたご両親にも感謝とのこと。お母さんはボッコボコにされた樋田さんの血まみれの服を持ち帰り「あなたが邪悪なものと戦った証拠だから」と保管してくれていたのだそうだ。

ちなみに樋田さんの妹さんも早稲田に入学したそうで、お兄さんのことを知られないようにしていたのだそうです。

そしてその樋田さんですら、鬼のような意志で、のぞんだのかと思えば「本人はもう懲り懲りと思っているのに、周りが正義感に燃えてしまい、引くに引けなくなった」こともあったようだ。

たとえばそれにしても退院した樋田さんが革マル派にやられないよう、素手で樋田さんを守り「集団登校」した学生さんたちの姿など。

「必死の思いでH君(樋田さんのこと)を守りながら救いだしたのはクラスの人を中心とするみんなの素手の力だ」と。みんなで燃えた、と。

「素手の力」… 私も非暴力を信じたい。が、集団になると、本当に怖い。

それにしても樋田さん、すごい。本当に執念の取材力だ。「記者襲撃」もいつもお世話になっている冒険研究所書店に注文したので、届き次第、また読んで、ここに感想をアップしたいと思う。

それにしても著者が熱意を持って真摯に書いたものは、すごい。今、プロモーションをお手伝いしている吉原真里さんの『親愛なるレニー』も著者の熱意がすごいけど、著者の熱意というのは、読者に間違いなく伝わる。なんかちゃらちゃらしたノンフィクションが多いだけに、本当にこういう本に出会えると嬉しい。

最後の最近の取材のことや昔の革マル関係者に話を聞く件など、もっと構成に捻りを加えてエンタテイメント的に書くことも可能だったかもしれない。すごいネタがたくさん詰まっていえるからだ。

だけど、それをせず、なんか真っ直ぐ書いた。そういうのがすごいな、と思った。これが人生をかけてのぞむということなのか。本当に素晴らしい。樋田さん、続編、たいへんかもしれないけど楽しみにしています。

それにしても暴力って、どういうことなんだろうと思う。組織はフラットで民主的であることの努力を辞めたとたん、こんな風に暴力の崖に転げ落ちてしまう。最後、樋田さんと対談している大岩さん同様、暴力を振るった方は、まるで空気のように、自然に理由もわからず暴力に及ぶ。これって、まるでイジメにおけるイジメた側の発言みたいだ。

人に叩かれたらいやでしょう。叩かれれたら痛いでしょう。そこをお互いに守りましょうよ、というシンプルな話なんだけど。

そしてこの時の早稲田のような鉄棒でなぐるみたいなものはなくなったとしても、言葉の暴力は今の世の中でもますますひどくなるばかりだし、それに絶望して亡くなる人もいる。人のやることに、執拗に追い回したり、目を覆いたくなることばかりだ。

そんな風に暴力は常に私たちのすぐ側でゆらゆらと存在しているんだな、と思う。

「不寛容に対して、どう寛容で戦うのか」樋田さんや私たちの問いは本当に終わらない。