私はフィクションを読むのはついぞ苦手である。年間合計3冊も読まないのではないか。
だけど、先日芥川賞が選出されず、それが話題になっていて本屋が悲鳴をあげていると聞きつけ、ならばと翌日たまたま行った池袋でケズナジャットさん以外の3冊を入手したのであった。
で、読んでみた。普段から応援しているケズナジャットさんの「トラジェクトリー」については、とっくに読了していて、こちらにその感想を書いた。
それ以外の3冊は…果たして。
1冊目。はっきりいって全然、話が頭に入らなかった。今の文学ってこういうことになってるの? ものすごく読みづらい。とはいえ、本をここに紹介してわざわざ悪口を言うのは良くない。
私の友人の中には、本を書いている人も、出版社の人も、本屋を経営する人もいる。クリエイトする人の苦労は、私もそれなりに理解しているつもりだ。
私は人を応援をしたいから本を紹介するのだ。悪口を言うためではない。悪口を言う人って、悪口を言って自分の立ち位置を確認している臆病者なのだと思う。大丈夫、私は人の悪口を言ったりしなくても、自分の立ち位置はわかっておる(えへん)。
というわけで、どうしたらいいかと思い、解決策としてタイトルを明かさないで3冊の感想文を書いてみることにした。我ながらいいアイディア。だって嘘は言えない性格なんだもの。
で、1冊目。なんというか不思議ちゃん文学だった。実はこういうのが一番苦手である。画面がいきなり飛んだり、方言が出てきて煙に巻かれたり、とにかく読みづらくて、実際に何が起こっているかを把握するのが、とても難しい。
お話わっっ、お話は、どこ???!
私の頭が悪すぎるんだろうなとは思う。そもそもかなりのスピードで、速読タイプの私は、ぐいぐい読んでしまう。それもいけないんだろう。もっとじっくり場面をイマジンし、セリフを吟味しながら読めばいいのか?
でもこんな不思議ちゃんセリフたち、実生活で言われても「????」だ。
短い本で、普段なら2日で読める長さだが、この本は読み終わるまで10日くらいかかってしまった。
というのも、本の内容がまるで頭に入ってこないからだ。
普段、私は夜、寝る前に本を読むのだが、この本については前の晩に読んだことをすっかり忘れてしまい、再び少し戻って読み返すということを何度もやっていたら、えらい長くかかった。
確かに不思議ちゃん系の知り合い…リアルな生活でも超苦手だもんなぁ… はぁ。自分の人間としての浅さを問われる。
2冊目。次も、いわゆる不思議ちゃん系タイトルだったので、どうしようかと思った。いや、この3冊、すべて不思議ちゃんタイトルか?
が、こちらはなんとスイスイ読めた。お話もかなり共感できる。っていうか、お話はかなりいい感じだ。そうか、フィクションにおいては、私は主人公に共感できるかできないかが重要なんだ、と気づいた。なるほど。
お話も、登場人物も設定もすごくいい。テーマは、もしかしたら今ではもう出尽くした感のある、例のあのテーマなのであるが、それでもグイグイ読ませる。悪くない。
では、この作者については、今後も追いかけるのか?とも思ったけど、うーん、でも、そこまでは…という感じ。でもかなり良かった。嫌いではない。映画化されてもいいんじゃないかと思った。
3冊目。出だしからして、これがまたかなりの不思議ちゃん。本当にやばい。こういうのが最近のスタンダードなのかいっ?
っていうか、この不思議が意味する具体的何かを、読者である自分ではまったく見つけられない。言葉で、具体的言葉で、私にわかる言葉で説明してくれーーーっっ。っていうか、解説おおっっ、誰かっっ。
しかしこの本はあまりに物語の背景を想像するのが難しいため、もうアニメにするしかない、と思った。そのくらいわからない設定なのだ。
なので、仕方なく頭の中でアニメにしてみる。そしたら… なんとなく話が入ってくるようになった。不思議! そうっか、最近のこういう物語は映画化ならぬ、アニメ化を狙っているのか?? 私のイメージでは、なんだかナウシカの世界なのであった。
ちなみにアニメーション映画は… 苦手である。
そして、あまり実感がないまま読み進めると、なんとなくこの本のことが理解できるようになってきた。もしかしたら、この物語は、めちゃくちゃパワフルなのでは???と感じられる箇所もあった。これは人間の叫びである、と。
が、理解はやはりできない。
言葉が通じていても、ついていけない世界というのはやはりある。他の読者の人は、これ読めるんだろうか。
しかしひどいよね。芥川賞というすごい賞で、その候補作で、多くのみなさんがこの本は素晴らしいと認めている中で、本当に私は本を評価する目がないのだな、と。
でも無理なんだもの、しょうがない。
そういえば芥川賞で感動したのは絲山秋子さんの「沖で待つ」以来、ナッシングかも。あれは最高の小説だった。
短くて、やっぱりあっという間に終わってしまうんだけど、すごい感動だった。いくつかのシーンは具体的にありありと想像できる。今でも時々読み返す。5回は読んだと思う。いや10回読んだかも。
そもそも芥川賞作品を、私は多く読んでない。あ、金原さんのピアスは読んだかな。でもあんまり記憶にない。でもたとえば川上未映子さんあたりは、著作は読んでないけど、時々拝見する新聞の文章で、共感することも多い。
で、今、芥川賞Wikiをずっと眺めてみた。知ってる作家がそもそもない。あ、西村賢太さんがいたか。あれはすごいパワフルな本だったな…とか。
あぁいう世界は、もしかしたらハマってもいいかもなと思えたりもする。…。…いや、やっぱりハマるのは無理だな。自分の社会生活の方がやっぱり大事だから。
直木賞は犬が主人公の何かを読んだのだけど、今やその内容もよく覚えてない。でも世間的にはあれも映画になって、評価高かったはずだ。あ、角田光代さんの「対岸の彼女」は、スーパー名著だけど、あれも確か直木賞だったよね。あれは面白かった。
というわけで、何が言いたいかと言うと、私の本レビューというのは、かなり当てにならない、ということだ。非常に偏っている。世間の評価と明らかにずれている。
一方で、ケズナジャットさんの「トラジェクトリー」が素晴らしかったのは絶対で、うーん、こんなに本って「あう」「あわない」があるのね、と思った。
ちなみに文藝春秋も購入し、選考の先生方のコメントも読んでみた。それで理解が進んだ部分もなくはない。
でもここにいる先生方で、著作を読んだことがあるのは、平野啓一郎さんのみ(しかもノンフィクション本)。他の人は読んだことないし、名前もよく知らない人すらいる。本当に私ったら、世間一般の常識がない?!
面白かったのは、まるでSNSでの愚痴のような山田詠美先生のお言葉。
この賞は、選考委員が批評家でもなく、書評かでもなく、書店員でもなく、読書でもない。同じ職業の書き手が選んでる賞だ、と強調しておられた。
そして実際「小説世界を創りあげている者たちでなければ見えないものがあるのだ」と。なるほど。
最近の書店の不調を取り上げ、選考委員は、本を売るために誰かに賞をあげるべきなのかについては「受賞作がブームになったあとで、いったい誰が(その後の)作者に訪れる孤独と焦燥の責任を取ってやれるのか」とも。うーん。
そして、山田先生、おっしゃることのひとつに「(「トラジェクトリー」)のタイトルの意味がわからない」と言うのがあり、ちょっと嬉しくなってしまった。(私と同じ意見!!! でも私はそれはケズナジャット・スタイルということで、かなり好きなのであるが・笑)
やっぱり納得したのが平野啓一郎さんの言葉。「全作に共通するのは、”居場所さがし”という主題である」と。なるほど、さすがだ。確かにそれはこの4冊について、すべてに通じる話の主軸を見事に言い当てていると思った。
あと川上未映子さんも「トラジェクトリー」推しだったようだ。「世界のどこでどんな言語を使おうが、人間には「今、ここ」しかなく、共感でも傍観でも訴えでもないこのような語られかたを必要とする孤独がある」
うーん、さすが。すごい。さすが言葉を仕事にしている人たち、すごい。
と言うわけで、4冊。すべて短いからぜひみなさんも全部読んでみるといいかもです。このように私はケズナジャットさん以外、まったく合わなかったんだけど、
そして選評が載った文藝春秋、2,000円もしたよ。昔は1,000円じゃなかったのか…と思ったけど、今回の4作品を代表して、ケズナジャットさんの作品は全文が掲載されている。実際、賞に妥当だという、いわゆる選考委員がつける丸印は今回は4つしかつかず。そのうち2つはケズナジャットさんだったらしい。
ということは、選考の皆さんが言いたいのは、今回はケズナジャットさんの受賞が妥当なんだけど、でもそれでもこの権威ある賞の水準には残念ながら達していないんだよ、ということなんだろうか?
であれば、芥川賞って何? やっぱり権威ってことなのかな。
何度も書くけど、私の感想は…ケズナジャットさんの作品以外は、ものすごく頭のいい人じゃないと理解できない難しい本ばかりだなと思ったのが素直な気持ち。いや、難しいってのも違うな。不思議ちゃん本? 言葉が見つからないが。
だからこの芥川賞を持ってして、普段本を読まない人に本を買って読ませるのは、かなり酷では?と思ったのだ。うーん、違うか、私が頭悪いだけか…
あ、だから本屋大賞とかあるのか。でも本屋大賞の本だって、読むの簡単じゃないやつ、あるよね。
それにしてもこれらの本から比べたら、普段読んでる楽しいノンフィクション、たとえば高野秀行さんとか、宮田珠己さんとか、なんと簡単にスイスイ読めることか! 和田靜香とかも。読むのにまったくストレスがない。
…と書きつつ、こういう話(下記の動画)面白い。物事をビジュアルできない人、言葉が入ってこない人というのは、やっぱりいるわけで…。
こういう人たちにとって、本の世界はどんな風に見えているんだろうか。ビジュアルが先行だったり、映画というよりもアニメの原作になりそうな、そんな本ばかりだよな、と思う今日このごろであった。
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