グレゴリー・ケズナジャットさん『トラジェクトリー』を読みました


ケズナジャットさんの芥川候補作。やっと書籍が発売になりゲットして読みました。気づいたら予約してあったの忘れてて、結果2冊買ってた(笑)  

はい、ファンです。とってもファンです。

いや〜 あいかわらず素晴らしい文章。私って、なんでも「上手い」人が好きなのかもとは思った。音楽も楽器が上手い人が、リズム感のいい人が、やっぱり大好きだ。

ケズナジャットさん、文章が本当にうまいというか、文章が綺麗で、本当にクラクラしちゃう。世の中、文章があまり上手くないのに本を出してる人、ほんと多いからなぁ。

そしてケズナジャットさんの文章は上手いだけではない。

たとえば。実際のシーンでは日本語と英語、それぞれで会話されているんだけど、読者は日本語で読むわけだから当然すべて読者に分かるように日本語で書かれている。

でもその英語で語られているであろう日本語部分が、これまた素晴らしいんですよ。この感じ。この感じがケズナジャット文学!

それにしても、またタイトルが…読めなかった。いや、カタカナだから読めるわけだけど、今度は意味がわからなかった。毎回毎回、ケズナジャットさんの本はそれだ(笑)

「トランジェクトリー」ってなんだろう。実は調べる前に、この小説を読み始めた。その方がいいような気がして。

そして読み終わって、本の内容に感動して、あらためて「トランジェクトリー Trajectory」の意味をググって知って、ますます感動した。Orbitとはまた違う。Trajectory。そうか、Trajectoryなんだ!(皆さんもググりましょう)

それにしても、ケズナジャットさん。本当にすごいな。たとえば最初の2ページほどで主人公を取り巻く状況が、もう手に取るように読めてしまう、この感じ。あっという間に引き込まれる。

特に説明も受けていないのに、すっと読者は、物語の舞台に入っていくことができる。なんでだろう。そこにまったくストレスがない。

そして主人公の日本にやってきたアメリカ青年は、いつも私の脳内ではケズナジャットさん本人なのだ。

だ、か、ら、なのかもしれない。物語が始まると、そこには、いつも背の高いケズナジャットさんが、そこになんだか心許ない感じで、いつも立っている。

そして自分が大学時代に通っていた語学学校の様子を思い出してみる(84年〜86年ごろ)。あそこにいた先生たちも、みんなこんなふうに思っていたのだろうか。

そういや私も一人の英国人の女の先生と仲良くなって、千葉の奥地にある民族博物館に一緒に行ったっけな。あれはどういう経緯だったのか。すっかり忘れてしまったけれど、あの先生は、あの語学学校にいつまでいたんだろう…。

こっちとしては先生と一緒にいれば、ずっと英語を話せて勉強にもなるわけで、そういう生徒との外出は学校から認められていたんだろうか。謎だ。

英国人の、ちょっと田舎っぽい垢抜けない先生だったけど、良い人だった。あの人も自国にいたくなくて日本に来たんだろうか。いつだったか「彼氏が英国から会いにくる」と言って、えらく喜んでいたことがあったが。

私の大学生のころは、都内とはいえ、日本に住んでいる外国人は、まだまだレアな存在で、外国人と分かると多くの人がその人に奇異の視線を向けたものだったけど。あっ、外人だ、と。

確かにあのあたりの先生やってた外国の人たちを思い出すにつけ、学校を出て就職もしないで、ぷらっと外国に住んでみたいなみたいな感覚で日本にいた人が多かったのだろうなと思う。英語がネイティブというだけで、職を得た人たち。

それにしても、ドキッとするのは、ここに出てくる受付の女性のように、英語を話す時の人格と、日本語を話す時の人格が全く違う日本人。

自分はあきらかにそういう人間だと自覚している私は、ケズナジャットさんが、英語もある程度しゃべる日本人のそんな「多重人格」性を本の中で指摘するたびにドキッとしてしまう。

それにしてもタイトルの「トラジェクトリー」も良かったけれど、私は同時収録の短編の「汽船」が良かったな。ニューオリンズが舞台の話で、主人公はInternationalで、Globalを目指す大学の国際科担当として、留学フェア的なイベントに参加している。

こちらも私の脳内では、ひたすら背の高いケズナジャットさん本人が主人公だ。

ニューオリンズということで、もしかしたらと思いながらも読み進めると、当然のことのように小泉八雲も出てくる。でもそれは大学が志向するInternationalでGlobalなのとは、まったく違う。もっと、なんというか、漂白する魂だ。

結局のところ、意外と国と国、文化と文化に向き合い、橋渡しをする人は少ない。アイルランド関係者だって、そういう人が多いと思う。

結果、どちらとも真っ当に向き合わないで、単にどっちからも逃げてんじゃないの?と、私なんかは厳しい目を向けたりもしている。だからこの本の帯にも超ピンと来た。

自分自身は海外に住む勇気もないくせに、明らかにそういう人たちをバカにしていた自分がいた。いや、今でもバカにしているかもしれない。どちらの文化圏にも貢献しない人たち。中途半端な人たち。

例えば自分の社会的立場が理由ではなく、パートナーの都合で海外に住む権利を得ながらも(この場合パートナーは日本人だったりもするし外国人だったりもする)、日本人のコミュニティを出ることなく外国人の友人がいない人。(というか、外国人の友人に囲まれている人の方が圧倒的に少ないと思う)

まぁ、でもそんなの、他人の人生なのだから余計なお世話だ。そもそもどこにどういう形で住んでいても、リスクを取って生きている人というのは、本当に少ない。いや、海外に住むこと、違う文化圏で生きることがすでにリスクなのか?? そうなのか??

無責任にアイルランドのあの有名ミュージシャン知ってます、日本に呼べないですかとか言ってくる人たちや(なんで私があなたのやりたいことのリスクを取らないといけないの?)、あの人知ってます、知り合いですとだけ言ってくる人たち。「Then what?」「だから何?」

でもだいたいの人においては、人生は、そんなものなのだ。そうして、ぼんやり揺蕩っている中で、時間の流れや、人の思いが交差していくわけだけど。

なんか厳しいことを書いた。でもそれが私は本当にそう思う。結局のところ人間なんて圧倒的に自分の力で前に進む人はほとんどいない。だいたいがみんな流されていく、それだけだ。

「トランジェクトリー」に出てくるカワムラさんなんか、その典型かもしれない。こういうおじさん本当に多いし、あちこちから疎まれている。結果、居場所はない。

なんか最近TwitterのCAの人のつぶやきで「接客と好意は違うものだと、全日本人男性に学校で教えろ」と叫んでた人がいたけど…(笑)

でも自分だって、そういう勘違いの中に生きているのかもしれない。海外からミュージシャンを呼べば、ミュージシャンの連中は、みんな私のことをチヤホヤしてくれる。でもそれは決して私の人格がそうさせているのではないのだ。

…とか書くと、とっても寂しい気持ちにもなるのだけど、その寂しさがあるから、ありがたさみたいなものも実感できるわけで。 

そうやって、いろんな人が社会にはいるけど、どんな人からも学ぶべきポイントはある。最近はちょっとマシな人間になった私は、そう思ったりしている。

カワムラさんの語るアポロの話は、なんだかとても切ない。

いや、ほんと、これ、いい本だった。ケズナジャットさん、芥川賞、残念だったけど、ある意味そんなことはどうでもいい。とにかくこうやって真実(ノンフィクション)を一気に描くような、パワフルな物語(フィクション)をたくさん書いてほしい。早くも今年のNo.1本決定かも。


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