特にどうしようもないのが、デスクトップと、クラウドにあるものと、すべてはぐっちゃぐちゃのぐっちゃぐちゃ。アプリやシステム関係やらが更新され、無理やりクラウドさせられるものと、自分でやらないとクラウド化されないものが、ごっちゃごちゃなのである。
今年のお正月もそれをなんとかしなくちゃと思いつつ、経理やってたら、あっという間に終わってしまった。
ブログも20年近く同じ形式で、Instagramにはどうもついていけず、動画チャンネルもいじってみたもののすぐ飽きてしまい、今やイーロン・マスクに買収されてお先真っ暗のTwitterが一番好き…という絶望。あぁ。
メタバースやら、トークンエコノミーやら、DXやら、何やら、正直全くわからないし、何度かググって調べて「なるほど」と納得しても、5秒後にはすぐ忘れちゃう(笑)。
っていうか、忘れたらまたググればいいと思っているから、知識が全く定着しない。
人より早く始めたというだけで、ホームページにもブログにもある程度お客がついているのも事実だ。正直、何もクリエイティブなことはない。ただ人より早く始めただけ。
だから早くWeb3もメタバースも、自分の捨てられない「早くやりました」という成功体験のせいで「早く、早く、人より早く」と焦ってしまう。
そんな自分の実態は、クラウド化できてないぐちゃぐちゃのデスクトップとDropboxとiCloudの中で、ぐっちゃぐちゃのぐっちゃぐちゃだというのに。
佐々木さんのこの本は、そんな時代のテクノロジーから脱落してしまったようなぐちゃぐちゃな私でも、読んでいて「大丈夫、おちつけ、心配しすぎないで」ということを言ってくれているように感じるんだよね。
だから読んでいると、わからないところはたくさんあれど、なんだか落ち着いた気持ちになれる。
例えばベーシック・インカムや、自動運転の車が走りまわる新しい時代は、私が生きている間においても、もしかしたら実現するのかもしれない…とか。
ちゃらちゃらしたメディアや実用書が「10年後にはない仕事!」「AIがすべてにとってかわる」とか人の不安を煽る状況の中で、佐々木さんの本は、とにかく「落ち着け、大丈夫」と言ってくれるのだ。だから好きだ。
一方で、とにかく時代はどんどん悪くなる。良くなるであろう要素は今や一つもない。だからやりたいことはとっととやれるうちに!と、私は毎日焦っている。
多くの人は、何でも後でやれば大丈夫と思って生きているのかもしれないが…! いや、なんで焦らないの? なんで明日も、今日や昨日と同じ日が来ると信じられるんだろう!
だから今はあと3年で仕事辞めるぞーと決意して、思いっきりやりたいことをやることにしている。そう思わないと今ここで出すべき力が出ないし、今の3年で頑張る方が、おそらくこの先10年ダラダラやるより成果が出せると思うからだ。
…あー、だめだめ。
焦ってもだめ、でものんびりしててもだめ。バランスを取るのが一番大事なんだが、これがとっても難しい。
それにしても、すごい時代になったもんだ。今や合理的な未来は、ビックデータによりAIが決めてくれる。人間はその理由や裏付けを知ることさえ必要がない。
どんな未来が待っているにせよ、ビックテックの支配に左派からは「監視資本主義だ」と批判があがる。一方で完全自由主義者の起業家からは「支配と隷従」をなくして完全な「自由」を作り出そうという動きもある。
でもそのどちらにも、「安楽な暮らし」を求める一般の人への温かな眼差しが欠落している、と佐々木さんは説く。そして、その部分への回答ともいうべき「関係と承認のテクノロジー」の話へとこの本は発展していくのだった。
確かにこのままだと、みんな未来を思うたびに不安になるんだ。自分は生き残れるのか、って。
でもこの本から、しっかり受け止めたのは、未来は明るいし、希望もあるということだ。だからそんなに焦る必要はないのだ…ということ。
心配しすぎて、今の目の前のことがおろそかになったら生きている意味ないよね。一方で、今のこの幸せがあまり続かないのであれば、であればなおさら、今をうんと楽しんでおこうよと思ったりもするのだ。
そんな感じで、私もいつも迷いっぱなし。まだまだ修行が足りないよなぁ。