ポール・ブレイディ来日までの道のり14:子供時代のポール

セント・コロンブスというカレッジのドキュメンタリーがRTEで放送されたのは、確か2年くらい前の年末だったと思うのですが、アイルランドでは大反響でした。このカレッジはボーディングスクール(全員がボーダーだというわけではなかったようです)で、ポールだけではなく、ノーベル賞を取った詩人のシェイマス・ヒーニー、政治家のジョン・ヒューム他、たくさんの著名人を輩出している名門校です。

そのドキュメンタリーは今、DVDになって日本でも見ることが出来ますし、書籍も手に入れることができます。

この本に書いてあることは、結構ショッキングなことが多く私も目が点状態だったのですが、どうやらポールったら、学校時代ひどいいじめにあっていたみたい。実はミュージシャンってそういう人多いですよね。ケンソーの清水さんもブログで告白していたし具体的に名前をあげて恨みをはらす?ところなんぞ、ホントにロックミュージシャンは似てる… ポールもひどいいじめをした2人のうち一人は具体的に名前をあげてこの本の中で告白しています。つい最近グレン・ティルブルックもBBCのラジオで「音楽をやりはじめたら、人から殴られなくなった」なんて話をしてましたが、そういう事がもしかしたら彼らを音楽に向かわせた要員の一つかもしれません。ちなみに冗談かもしれませんが、グレンは「女の子からも殴られてた」なんて話してます。(まぁ、でもグレンの場合,その後退学にもなってたりしますから、殴られたっていうよりは喧嘩にまきこまれたとかそういう事なんじゃないかと思います)

まぁ、今となっては笑えるネタの一つだし、自分が成功し有名になったことで、子供のころの恨みを晴らしたような気持ちになるのだろうけど、いやいや当時の本人としたら、それこそ本当に深刻な問題だったのだろうと想像します。

いじめとはちょっと違いますが、あの世界的伝統音楽のサー・フィル・カニンガム氏でさえも子供のころは「音楽ばかりやっていたら、偉くなれない」と言った先生に対して、海外から「先生、僕は今、カリヴにいるんですよ。Where are you?」と絵はがきを送ったそうです(笑)。もっともフィルは「まったく子供っぽいよな」とも言っていますが。

というわけで、この本からのネタを中心に、新作「HOOBA DOOBA」が発表されたころのRTEラジオのロングインタビューなどから、ネタを引っぱりながら、少しずつポールの生い立ちを紹介していきたいと思います。

ポール・ジョセフ・ブレイディは1947年5月19日に北アイルランド、タイローン州(北の人はティローンと言いますが、私は南の人間なんで/笑、タイローンと呼んでます)のストラバーンで生まれました。現在65歳。なぜここで育ったかというと、ご両親は学校の先生をしていて、それぞれお父さんが共和国の教師免許、お母さんが北の教師免許を持っていた。なので二人が働くためには、この位置に住む必要があったのだそうです。北アイルランド側に住んでいたとはいえ、お母さんの学校の方が遠かったようで、お母さんは毎朝、車で学校に通い、お父さんは自転車でボーダーを越えた学校に通っていたそう。ポール自身はお母さんの学校に、お母さんの車で通うようになったのだそうです。

ポールのお父さんは明るく、俳優を目指したこともあったくらいの人で、歌もうたっていたそうです。休日はちょっとした俳優業も営んでいたらしく、実際、地元のタレントショウなどではヒーローだった。ポールは自分の才能は間違いなくお父さんから譲り受けたのだと話しています。

お母さんはポールいわく非常に難しい性格で、母親としては成熟した母親ではなかったと説明しています。彼女の才能はすべて教師というものに注がれていた、と。子供のころ「フリーハグ」みたいなものはなかった、とポールはラジオで、ちょっと寂しそうに告白していました。お母さんもお父さんもすごく長く健在でいらして、お母さんがなくなって初めて、新作で聞かれる「MOTHER AND SON」という曲がかけたと告白しています。でもお母さんは教員としては非常に成功した人で、副校長にまでなり地元の尊敬を集めていました。本当に素晴らしい教師だったとポールも話しています。

そしてポールの行ったこの学校(お母さんが教えていた学校)Sion Mills Primary Schoolというのが、当時としては非常にユニークな学校で、男女共学、カソリックもプロテスタントも混ざった学校だったのだそうです。そのときの時代背景を考えるとちょっと想像しにくいのですが…




ところで、映像を探してみたらこんなのが出てきました。これが現在のSt Columb's College 先生方の訛りが超いい感じ…!