大木理紗さんのライヴに行った

久しぶりに大木理紗さんのライブに行った。四谷のメビウスというライブハウス…というか、バーみたいな感じのこじんまりとした会場。久しぶりの大木さんのフル・ライブということで、とにかく大盛況で立ち見まで出てお客さんで溢れていた。パーカッションの多鹿大介さんと二人のステージ。なんとTwitterで出会ったお二人は、この日が初対面という。すごいね! 

キングレコード勤務時代、イヤイヤ上司につれていかれるプログレ・ライヴが本当に拷問だった。ライヴってそもそも勤務時間外だし、プログレのライブはやたら長いし、眠いし、退屈で、ステージで繰り広げられる彼等の世界観には、まったくついていけなかった。そんな中、私でも楽しめた音楽はケンソーミスターシリウス(ページェントは私が入社した時にはもう解散していた)だった。素晴らしい音楽はジャンルの壁を越える。キング時代から今まで。それにしても大木さんとは縁があったんだね〜。今でも時々連絡を取り、そして、やはりTwitterが大きなきっかけかな… 大木さんがTwitter初めてからは、もう本当に毎日いつも一緒にオフィスにいるみたいな気分で私はいる。

大木さんの歌は、いつもジーーーンと心にしみる。大木さんの歌は歌詞がよく聞こえるので歌の世界に入っていきやすい。歌詞の世界にしっかりとリスナーをつれていってくれる。大木さんは何でも歌えるシンガーだ。何でも歌えるシンガーは日本には二人しかいないと思う。おおたか静流さんと大木さんだ。いろんな声が出せて、どんな歌でも歌う。そういうのって、ホントに実際は大変だと思う。でも大木さんはそういう「何でも歌える歌手」として、もう30年この業界に君臨している。歌手のあり方っていろいろあるんだろうけど、こういう世界って、いったいどんななんだろうな、といつも想像する。クライアントの無理難題な希望とか、あれこれ、きっといろいろあるんだろうな…と私は想像するしかないのだけど。

ゆったりした空気の中で、ゆっくりと時間が流れる。最近マツコ・デラックスの本を読んでいたら「女優は演技力じゃない。生き様だ」って書いてあったのにえらく共感したのだが、女性シンガーも同じ事が言えると思う。歌がうまくても、私はWットニーとか、Cリーヌなんとかとか、Bヨンセとかにはまったく心が動かない。

昨日のライブは、大木さんにグチを聞いてもらった時に、優しく受け止めてもらえる、あの感じそのままだった。大木さんが大きいから、空間がとても大きかった。そういう、なんだかとってもあったかい居心地のいいライブだった。

2部構成で、日本語から英語、イタリア語、ポルトガル語……ゲームの歌から、映画の歌、映画の仮歌(笑)、そしてプログレ時代の歌、最近になって書いた曲。大木さんの気持ちのいい空間をぞんぶんに楽しませてもらった。大阪から出て来て30年とおっしゃっていたけど、その間、すべてを受け入れ、すべてを歌ってきたって事なんだろう。すべてを吸収して、大木さん自体が何か大きな宇宙みたいだ。本当に大木さんならではの、大きなゆったりした空間だった。ライブって人の家に遊びに行くみたいなもんなんだな、とちょっと思った。そういう風に思ったのは、本当に久しぶりだった。

大木さん、なんとこのあとは福島に行くという。それもTwitterで知り合ったんだって。そういうしなやかなところも大木さんだ。いったん本人が歌うと決めたら、もうあとは限りなく自由だ。そういうアーティストなんだ、大木さんは。

震災の時Twitterで歌った(実際は歌詞をつぶやいた)という子守り唄「猫の集会」、大阪の子守り唄、福島の子守り唄へと音楽は続く。大木さんの歌を聞きながら、震災直後、夜中に部屋の中でコートを着ながらインターネットで東電の会見をずっと見ていた。あの時のちょっと謙虚な気持ちを忘れないで覚えていなくちゃと思った。あの時は「今、生きていられれば、もうそれだけでいい」と思った私たち。あの時、みんながちょっとだけ優しくなった。普段会話のないコンビニの店員さんやタクシーの運転手さんともたくさん話をした。普段会ってない友達を呼び出して語りあった。あの時のあの謙虚な時間を忘れないようにしなくては、と思った。

そうそう、震災時は大木さんにTwitterで「野崎、夜中は暖房つけても大丈夫なんだよ」と言われ、夜中の部屋コートは速攻で脱いだが(爆)まったく東電め。すっかり騙されたよ!

ところで大木師匠に影響されて、私もベランダで薔薇を育て始めました。まだこんなだけど。早く花を咲かせて大木さんに見せたい。そして今度は私がライヴをプロデュースできたらいいな、と思っている。いつか、きっと。
英語版だとサラ・マクラクランが歌っているのだけど、日本語版は大木さんなんだね。