都市楽師プロジェクト、鷲野宏さんインタビュー「代官山ヒルサイドテラス編 1」


第6期1992 G棟 F棟
MP:最後の代官山ヒルサイドテラス。

W
:ようやく僕らが普通に生きている時代になりました。昭和! 今はもう昭和じゃないですけど、モダニズムの美意識でつくられた建物群「代官山ヒルサイドテラス」。その中にあって、まぁ、テナント用、住民用の集会場として作られたイベントスペースであるヒルサイドプラザ。旧山手通りからの入口から入ると地下に二層吹き抜けの面白い空間があります。

ここでヴェーセンというのを聞く時、どう聴くか、と(笑)。科博の6,600万年前の恐竜と、建物に関連するお話も歴史物語のような求道会館の時代と比べて、僕らが当たり前と思っているモダニズムの建物です。ミニマムでシンプルで、白くて、なんか浮き上がってて、軽くて、ガラスが多用されていて、透明な感じのする空間。

代官山ヒルサイドテラスというのは、槇文彦さんという建築家によってデザインされた複数の建築物からなる建物群なんですが、ここでも求道会館の時と同じくお施主様など複数の人物が重要な役割を演じています。面的な再開発を一気に進めたのではなくて、いろいろな登場人物とともに30年かけてゆっくりと街のかたちをつくっていった。デザイナーと施主との豊かな関係から出てきた空間デザイン、都市デザインと言うべきものと思います。1つの単体の建築として終わるものではなくて建物が連なって有機的な都市空間を形成していることとともに、その空間の使われ方をそこに関わる人たち(デザイナーや所有者だけでなくテナントや住居への入居者など)が協働して、一つの価値というか、空間の雰囲気を醸し出してるという大変珍しいケース。今の代官山のイメージを作った場所といっても過言じゃないというか、これはもうそう断言して間違いないですね。そういう場所です。

ヒルサイドテラスの歴史が始まるのは1969年。いわゆる闘争の時代。安田講堂が放水にまみれていた時に、この日本的なモダンの美しい空間、輝かしい空間が生まれた。

MP
:どれだけの時間をかけてつくられたのですか?

W
1969年の第1期から1992年の第6期までの間にABCDEFGHの各棟
とアネックスのAB棟(この部分は元倉眞琴氏の設計)、1998年に少し離れた場所にヒルサイドテラスウェストABC棟がつくられます。約30年くらいに渡り自然なまちの成長のように増殖していった建築群 同じ人(アネックスの元倉眞琴氏は槙総合計画事務所出身)が作っていったということもあるんですが、似たようなデザイン的要素がいろんなところにあらわれてくるんですね。窓の作りとか、建物に入る方向性であるとか。

第2期1973年 C棟 路地
MP
:あぁ、それ、それ。それも鷲野さんに教えてもらうまで気づかなかったんですけど、これらの建物は、すべて道に面しているのに、道に面したところに扉がないんですよね。

W
:ヨーロッパの建築は、道に垂直にドアをあけて、道に対して垂直方向に入っていく。つまり外から中に入る、中から外に入るという感覚が非常に明確なわけです。中に入ったら、もう外のことは分らないくらい。堅牢な石造りで作るというのが基本だから、そうなっているというのもあるのですが、日本には縁側とかつまり正面玄関があっても縁側から入ってくる人がいるとか、建物としてどっから入って来てもいいんですが、垂直に入るというよりも並行して入る、なんとなく居る、みたいな感覚がある。内外をはっきりと分つ事なくあいまいな領域をつくるわけです。軒先の空間なんてのも、どこからが外で、どこからが中なのか分らない。まぁ、屋根のあるところまでは中なんじゃないか、とか思うこともできますし、そもそも障子を開けっ放ししていると、外からの風がそのまま入ってきますからね。どこまでが外で、どこまでが中というのかが、その時々の使われ方や使い手の心情に左右されるというのが日本の建築の在り様のひとつとも言えるんですよ。

代官山ヒルサイドテラスにおいては、建物の室内部分に入るとき、建物の角から入るんですね。どこでも。角から入って道に並行に入ることになるわけですね。そして建物の中に
第2期1973年 C棟 開かれた中庭への動線
も路地があって 中にも階段があって、歩いていると中庭にでる、と。なかなか外だか中だか分らない。 外から見ると中っぽい中庭なんですよ。やっぱり中に入ってきた感じがするんです。それは「奥」っていうんですが、建築家の言葉を使えば、空間の奥性。つまり心理的に中に入ってき たという感じは受ける場所。だからプライベートな雰囲気は出てくる、と。けれども完全な外との断絶があるわけではない。そういう路地的な空間性や空間自体の連なり、はっきりとどっかで線を区切るのではなく、心理も含めた意味で外から奥に行くという作り方をしていたり、一つの建物をボーンと建てて終わるということではなく、時代を経て建てられたものが内外の路地で結ばれているゆるやかな結びつきがある。そういう意味では、単純なモダニズムといっても内と外をあいまいにするような日本的な空間になっている、路地の幅や天井の高さなどのサイズもそうですが、心理的な要素も含んだヒューマンなスケールもあわせもったモダニズムと言うことが出来ると思います。

ヴェーセンのような北欧のモダニズムとちょっと近いかもしれない。人間のスケールにあわせてある。床、つまり面積あたりの単価をいかに高く売るかということを考えるよりも、その空間を楽しめる人たちがいる空間という、そういう感じがすごくするエリアになってますよね。



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また鷲野さんによる旧朝倉邸住宅ツアーもあります。公演前の2時から。ぜひ公演前に参加ください。ご希望の方はこちらにメールください。

何度も紹介してる映像ですが… フィンランドの有名なヤルヴェラ・ファミリーの一番の若手。テッポ・ヤルヴェラとヴェーセンの幸せな共演。