ヴェーセン@アメリカのラジオ Part 1

ヴェーセン@アメリカのラジオ。簡単に訳してお届けします。あくまで簡単ですが、何よりBetter than neverということで。良かったらリンク先の音声とともにお楽しみください。

DJがまず名前をしっかり発音してメンバーに褒められるところから始まります。

DJ「25年近く一緒にやっているそうだけど、3人、どうやって出会ったの?」

ウーロフ「僕らはスウェーデンのウップランドというエリアの出身で、まぁ伝統音楽シーンではすでにお互いを知ってたんだよね。でもバンドの結成となると、経過的に面白い事が起こった。ミカエルと僕はしょっちゅう一緒に演奏していた。一緒にレコーディングしてたくらいさ。85年くらいかな。で、僕らは二人ともローゲルを知っていた。でもフィドラーとしてだったよね」(これ、あまり知られてないんだけどヴェーセン3名ともフィドルを弾く。初期の頃はフィドル3台みたいな演奏もあったくらい)」

ローゲル「ミカエルはすごく若くて、僕が狙ってたフィドラーの女の子と仲が良くて、よく一緒に演奏してたから、あの若造はなんだ、ってんで、すごく気になってた」(ローゲルは他の二人より4つくらい上。子供の頃から知ってると男子の歳の差はデカいですよね)

ミカエル「君が望んでいることは僕は知らなかったのさ。僕は単に演奏したかっただけだよー」

ローゲル「で、ウーロフは僕の親戚のCurt Tallrothの生徒だった」(このCurt先生とウーロフのアルバムも即売で売ります。在庫薄だけどね)

ウーロフ「でもバンドになったのはノルウェーのフェスティバルで一緒になって、みんなでセッションしてた時。ニッケルハルパと12弦ギターで何かやってみようよとローゲルを誘ったのさ。そしたらローゲルは“ノー”」

ローゲル「僕はシャワーを浴びるつもりだった」

ウーロフ「でもシャワールームが一杯だったんでローゲルは戻ってきてセッションに加わったんだ。で、音楽は一晩中続いた。そこにたまたま友人が同席していて“こんな素晴らしいものは聞いたことない。誰もリリースしないなら僕はレコード会社を始める”で、実際彼は本当に始めてしまったのさ。そのアルバムのタイトルが“ヴェーセン”だった」

ファーストのジャケット写真が面白いんだ。ニッケルハルパの写真のクローズアップなのだけど、ヴェーセンというタイトル(精神とかそういう意味)とあいまって、人びとが僕らをヴェーセンと呼んでブッキングするようになった。そこでそれがバンド名になった」

ローゲル「だから僕らはバンドを結成した、というより、自然にバンドになった、というのが正しいと思う。ほとんど偶然の結果だ。まぁある時はそうではなかったのかもしれない、意図的だったのかもしれないけど」

DJ「スウェーデンの伝統音楽って、どう違うの? たとえばアメリカの音楽と比較して…」

ミカエル「例えば僕らの音楽には“ポルスカ”というフォームがある。他にもいろんな種類があって…」

DJ「ダンス音楽ってことだよね」

ミカエル「そうだ。ダンスのための音楽と言っていい。メロディも大事にする。フレイズやボウイングの使い方とか」

ローゲル「冠婚葬祭などセレモニーのためのものではある。そしていろんな意味でプレイヤーは自分なりのスタイルを作り上げるように励まされると言っていい」

DJ「何百年も前のものだと思うんだけど、スカンジナビアの境界線って関係する?」

ウーロフ「いいや。言語みたいなもんで、スウェーデンの西部の人間がノルウェーに近かったり… まぁ同じ国だった時期も長いし」

DJ「じゃあ音楽はその土地特有のものなんですね」

ウーロフ「そうだ。でも流行ってた時期もまちまちで、この時期のものがここに残った、あの時期のものがあっちに残った、みたいなそんな感じさ」

ローゲル「また当時は“水は(隔てるものではなく)つなぐもの”という感覚があった。地面を移動することは水上よりもリスクが高かった。山が高くて土地が隔てられたり、とか。伝統が伝えられて行くことにおいて、たとえば谷間なんかの村に意外なものが残ったりすることがある」

DJ「新作から紹介しましょう」

ウーロフ「友達の40歳の誕生日に作ったものなんだけど、彼は画家で建物とかにペイントするんだ。彼の実家はフィドラーがたくさんいて有名なところで、そのフィドラーたちのスタイルも取り込んでいるんだ」

写真は前回のツアーより。

荷物の少ない連中。助かる、ホント。



ピーターさんが小さい!

お寿司が小さい

こうしてみるとロジェも結構背が高いよね。ON THE SHELFより。