LAU名曲への誘い:Horizontigo

さて、ラウーの音楽が、そしてコンサートがドラマチックに盛り上がる、という話を書いたが、最近の彼らはさらに進んで、メインのメロディなしに、その目的を達成しようと試みていると思う。

「Horizontigo」なんかは、まさにそういう曲だ。そもそも曲が始まって5分くらいになるまでメロディらしいメロディは出てこない。でもその旋律を盛り上げるために、最初の5分を使って、彼らはありとあらゆる努力をする。そもそもこういう手法って、伝統音楽のバンドにはなくて、彼らが好きな、かつ私が普段聞かないようなジャンルの音楽における哲学というか、アイディアというか、考え方なんだろーなと思ったりもする。

まぁ、でも良く出来てるよね。この曲がとても思い出深いのは、彼らはこの曲を東京の代官山の5夜連続コンサートで、しつこくしつこく練習していたからだ。例えば5:50にいったん音が小さくなってから、またグワっと盛り上げるやり方(これ、まだこの映像でもちゃんと完成してないね)、そして7:07ごろの3連譜みたいなところ(すみません、私音楽ちゃんと勉強してないんで、どう説明したらいいのか分りません)、あそこを彼らは東京で必死に練習し組み立てた。毎日このちょっとした部分だけ3時間以上も練習し、しつこくしつこくこねくりまわし、何度も何度も吟味を重ねて、実際本番でもトライするもののだいたいは失敗し(もちろんお客はそれに気づいていない。気づいたのはその練習につきあった私と小屋のエンジニアとメンバーくらい)ちゃんと完成したのは最後の夜だけだったと思う(笑) そのくらい彼らは練習するのであった。そして今や軽々と演奏しているこれらのフレーズも、実際のところは彼らにとってもすごく難しいのであった(笑)

そして上手くいったときの爆発感がとてもロック的なのだ。「うまくいった!」そのカタルシスというか、その達成感がバンドをさらに次のギアへとつれて行く。そんな時、ラウーはロックバンドだよな、と思う。

こうやって努力をするミュージシャンは私は好きだ。だってそれが音楽に現れているから。努力する人は熱意が伝わる。仕事でもそう、音楽でもそう。

反対にすごく才能があるのに、それが評価されていない、人に伝えきれていないミュージシャンはたくさんいると思う。本人の努力が足りない、というだけではもちろんないのだけど、周りの環境もあるし、こればかりはなんとも言えない。たとえばスティーブ・クーニー。たとえばティム・エディ。二人とも素晴らしいミュージシャンだがエキセントリックすぎて、誰もきちんと向き合うことが出来ない。これは残念ながら、商業ベースが中心になっている今の時代においては、世界的に花開く事はとても難しい。何十年もたって彼らの演奏を、全然別の録音の中に発見し驚くリスナーはいるかもしれない。が、おそらく彼らの名前ではお客は呼べないし(もっともスティーブなんかは最近トリビュートコンサートがダブリンの、しかも比較的大きな会場で行われたが、動員はどうだったんだろうかと思う)ましてや定期的なソロアルバムのリリースなんてもってのほかだ。(ティムは確か1枚あるけど、今のブレンダン・パワーとどこまで行けるのか)それから、たとえばドナ・ヘナシー。ドナは最高にパワフルなギタリストで、ルナサのサウンドの要だった。ドナのギターがルナサのサウンドを決めていたといっても過言ではない。性格もすごくチャーミングで私はホントに大々大好き。でも彼には残念ながら彼はツアーが嫌いであった。そして本人にも無理してまで自分のキャリアをきちんと作っていこうという考えはない。いい音楽が演奏できて、犬と平和に田舎で暮らしていければドナにとってはそれが最高の幸せなのだ。でもそれの何が悪いというのだろう。人間だから自分の幸せを追求して当然なのだ。そういうアーティストは山ほどいる。たとえば最高にクールでかっこいいフルート奏者および作曲家であるマイケル・マクゴールドリック。マイクはああみえてファミリーマンで子だくさんで一番下の子はまだまだ小さいから、ある意味、しっかり稼がないといけない。これが微妙な状態で、フリーランスの人なら分ってもらえるだろうけど、フリーランスは自分の仕事を作るよりも、人の仕事を受けた方がしっかり稼ぐことが出来る。ウチの事業も一緒だ。人に雇われればギャラという形でお金は入る。一方自分が看板のソロ事業を作れば、どちらかというとお金はかかるばっかり。それでもマイクはドナルド・ショウに担ぎだされて何枚かアルバムを作るものの、こういうCDが売れない時代になれば、それも今では途絶えてしまったいる。アルバムがまた出るようなことがあったとしても、そもそも貧乏バンドで下積みツアーするという選択肢はマイケルにはない。実際それを選んだところで成功の道はどれまで約束されているのだろう? また、おそらく彼の世代では最高のパイプ奏者であるジョン・マクシェリーは音楽をやっていこうという意志はあるのだろうが、なにせ本人の生活に問題がありすぎる…が、最近お酒を辞めたという噂を聞いたので、もしかしたらすごいバンドで復活してくる可能性もある。

と、まぁ、例をいくつかあげたが、そうやって才能が最高にありながらも、うまくいかないという例は私の周辺ですら死ぬほど見て来た。

そこで一方のラウーだ。果たしてエイダンが今ブリテン諸島で最高のフィドル奏者かというと、そういうわけでもない。まぁ、おそらくベスト5に入れてもいいだろうけど、最高中の最高というわけではない。クリスだって、そうだし、マーティンだって、そうだ。でも彼らにはこのバンドを最高のものにしよう、という強い意志がある。自分の音楽をリスナーに届けようという意志がある。そして、それが音楽の中にあらわれている。だから私はこのバンドが大好きなのだ。

それが今の時代、どんなに大変なことか、どんな犠牲の上になりたっていることか、分る人は分ってくれると思う。

映画「シュガーマン」に私が100%喜べないのは、私はまだ個人や自分たちの意志の力で世の中が変えられると信じていたいんだ。世界が個人を変えるんではなく。個人が世界を変える、と。バンドは大変だ。でもラウーにはこの三人で頑張ろうという意志が強くある。

ちょっとした才能がある奴なんて山ほどいるだろう。楽器が上手い奴も。でも彼らには本気は感じられない。そしてそういう音楽はリスナーには伝わらない。だって音楽はやっぱり心の交流であり、心の共感だからだ。

ラウーを聞いていると世界は自分たちで変えられるんじゃないか、そういう意志が感じられる。ラウーの場合、そういうストイックさが、音楽の中にあらわれている。彼らは音楽にたいして絶対に妥協しないし、絶対に手をぬかない。ある程度フォークサーキットの中で名前があって、いくつかの受賞経験があって、ツアーのオファーが定期的にあるから、フェスティバルのリスティングで上の方に名前が掲示され、何となく続いているバンドというのも山ほどある。でもラウーは違う。ラウーはずっと真剣勝負だ。いつだって今が真剣勝負の超本気のバンドなんだ。そういう数少ないバンドだと思う。

そしてそういうバンドがこれだけ世間に認められて、BBCの賞を4度も取って、今やブリテン諸島の中では「一番すごいバンド」と誰もが認めることを思うにつけ、やっぱりこの地球は素敵なところだな、と私も励まされたりするのだ。




ラウー来日公演はもうすぐ!!

6月17日 梅田クラブクアトロ
6月18日 名古屋クラブクアトロ
6月19日 渋谷クラブクアトロ
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http://www.plankton.co.jp/lau/index.html