2001年に入ってメアリーは2枚組のベスト版をリリース。2003年にはライブ盤をリリース。このライヴ盤はCDとDVDが一緒になったセットで、私も大好きな作品である。このライヴDVDのハイクオリティ度といったらないねー。
中でも好きなトラック「コロンブス」が公式チャンネルにあがっていたので紹介する。
メアリーは、でもこの頃からなんとなく引退をほのめかしていた。このCD/DVDのライナーには「完璧にブーツを脱ぐ前に、いろいろまとめておきたかった」みたいにコメントしたものだから、ファンは騒然。その時メアリーは引退を否定していたけど、実際は私はそろそろかなーと思っていた。
それでも時々…というか頻繁にメアリーのコンサートには通っていた。でも、もう日本に来たい、とも言われなくなった。うんと若くて、かつギャラが少なくて良いようなアーティストだったら違ったかもしれないが、メアリーの場合、そもそもコンサートの運営にものすごくお金がかかる。メアリー本人はプロモーションでたとえノーギャラで良かったとしても、バンドもスタッフも高いからそう簡単に事は進まないのだ。また日本側(私の方)もメアリーが来るとなれば、相当の努力と時間と、実際に結構な額の予算も必要となり、正直言って荷が思かった。でもメアリーが来たいと言えば、絶対にいつでも呼ぶつもりではあったし、ジョー以外には誰にも言わなかったけど「ブーツを脱ぐ前にあと一回呼びたいなぁ」とずっと思っていた。そうやケルティック・クリスマスの候補にもあがったことがある。
そうこうしているうちに2005年にメアリーは「フルタイド」をリリースする。この新作までには、なんと6年もかかった。メアリーもこれについては前年にお母さんが亡くなり、そして長く作品を取り上げていたノエル・ブラジルが亡くなり… なのでどうしても作品としてまとめたかったから…という風に説明している。
「フルタイド」から… この曲もボブ・ディランでしたね
「フルタイド」にはメアリーが初めて作詞/作曲にトライした「Your Love」が収められている。これはメアリーの亡くなったお母さんに捧げれた曲で、息子のダニー・オライリーとの共作だ。ダニーはまたバックコーラスにも参加している。
この曲はキングレコードから出るベスト盤にも収録した(明日発売日だ!)
他にもこのアルバムには「ジャパニーズ・デラックス」というノエル・ブラジルの世紀の名作があるんだけど、ネットで音源を見つけられなかった。ギタリストのビルの手をかりつつも、ほとんど自分でプロデュースもし、メアリー自身もこの作品が気に入っている、と話していた。
そして2008年には自身の集大成とも言える2枚組のベスト盤、「25 years」をリリース。これも当然のようにリリースと同時にアルバムチャートの1位になった。R.E.Mやらダフィーとかを押さえて(笑)あいかわらずアイルランドでは圧倒的な人気を誇っているのがうかがえる。Late Late Showに出演したときの映像。
こっちはハル・ケッチャムとやってるよ〜
写真はタワーレコード新宿店。今やワールドコーナーは縮小されてしまったけど、こんな時代もあったんですよ〜。
こういう看板もインディーズ販売だと、かなり優遇してもらっていた。ホントにいろんな人に助けられてレーベルも続いていた。
また私はといえば最初は道楽…もとい宣伝活動の一環としてライブを作ってきたわけだが、CD販売からライブ制作への転換期を迎えていた。実は強く自覚したので覚えている。それは2006年だった。2006年に「こりゃCDはもうダメだ。これからはライブでくっていかねば」と思ったのだ。で「あと3年かけてプロモーター業中心になろう」と思ったのだった。ヴェーセンの3度目の来日の直後である。ヴェーセンのツアーは最初の2回は大赤字で目も当てられない状況だった。それが3回目くらいから少しずつ利益が出るようになってきたのだ。
「好きな音楽についていけば大丈夫」という恵子さんの言葉は当たっていたわけで、今、思い返せば、自分が頑張ったことも、妙に強運だったことも、すべてメアリーやウチのアーティストが持っている運というか、大きな流れの一つだったことにすぎない、ということが分かる。
今の時代…というか、遥かダーウィンの昔から「変われないものは生き残って行けない」ということになっているが、世の中の流れがこんなに早い中、本当にボケっと目の前のことだけをやっていては取り残されてしまう。でも、必要以上に心配したり、将来のために今我慢することは必要ない、ってのは… メアリーから教えてもらったことの1つ。
もういつの頃だったか忘れてしまったけど… メアリーとジョーと珍しく3人でご飯に出掛けた事があって、メアリーが好きだというダブリンに最近出来たフレンチレストラン(かなり高級)に行ったのだった。メニューを見ているとメアリーが、これはね、これはね…と説明してくれる。海外でご飯を食べるとき、いつもメアリーはメニューを手伝ってくれる。私が魚をピックアップすると、これは、こんなこんなで食べにくいわよ、大丈夫?とか言ってくる(笑)。別に私は初めてはいったレストランで自分が期待しないものが来ても大丈夫なんだけどね(笑) そういうところメアリーは、すっごく面倒見がいい。実はこのメアリーに会う数ヶ月前にメアリーのスカンジナビアだかオランダだったかのプロモーターさんが突然亡くなる、という事故があった。何の前触れもなく椅子に座ったまま亡くなっているのが発見されたそうである。そのフレンチレストランで、メアリーはその人の話をしてくれて「明日はどうなるか分からない。だから今が大事なのよ、Everyday is precious 」と何度も言っていた。
メアリーの最後の公演を私が見たのは、確かヘルシンキで…だったと思う。スヴェングのパシと一緒に行ったので… ということは間違いなく2008年とかそのくらいだ。パシは隣りの私がコンサートの頭から終わりまで全部一緒に歌っているのを見て目を丸くしていた。今でも一緒に歌っちゃうのはメアリーのコンサートくらいかなぁ。それ以来、実はメアリーのステージは見ていない。だから私も実はかなり長い間ご無沙汰してしまっているのだ。
と、まぁ、こんな風に私の仕事人生はメアリーなしでは考えられなかった。そして今回の引退ツアーにつながっていくわけだが、その前に…とってもとっても嬉しい事があった。それについては次回書く(笑)
いよいよ明日4月23日に私がライナーを書き選曲もしたメアリーのベスト盤が出ます。メアリー・ブラック再来日決定。5月19、20日。コットンクラブにて。詳細はこちら。
中でも好きなトラック「コロンブス」が公式チャンネルにあがっていたので紹介する。
メアリーは、でもこの頃からなんとなく引退をほのめかしていた。このCD/DVDのライナーには「完璧にブーツを脱ぐ前に、いろいろまとめておきたかった」みたいにコメントしたものだから、ファンは騒然。その時メアリーは引退を否定していたけど、実際は私はそろそろかなーと思っていた。
それでも時々…というか頻繁にメアリーのコンサートには通っていた。でも、もう日本に来たい、とも言われなくなった。うんと若くて、かつギャラが少なくて良いようなアーティストだったら違ったかもしれないが、メアリーの場合、そもそもコンサートの運営にものすごくお金がかかる。メアリー本人はプロモーションでたとえノーギャラで良かったとしても、バンドもスタッフも高いからそう簡単に事は進まないのだ。また日本側(私の方)もメアリーが来るとなれば、相当の努力と時間と、実際に結構な額の予算も必要となり、正直言って荷が思かった。でもメアリーが来たいと言えば、絶対にいつでも呼ぶつもりではあったし、ジョー以外には誰にも言わなかったけど「ブーツを脱ぐ前にあと一回呼びたいなぁ」とずっと思っていた。そうやケルティック・クリスマスの候補にもあがったことがある。
そうこうしているうちに2005年にメアリーは「フルタイド」をリリースする。この新作までには、なんと6年もかかった。メアリーもこれについては前年にお母さんが亡くなり、そして長く作品を取り上げていたノエル・ブラジルが亡くなり… なのでどうしても作品としてまとめたかったから…という風に説明している。
「フルタイド」から… この曲もボブ・ディランでしたね
「フルタイド」にはメアリーが初めて作詞/作曲にトライした「Your Love」が収められている。これはメアリーの亡くなったお母さんに捧げれた曲で、息子のダニー・オライリーとの共作だ。ダニーはまたバックコーラスにも参加している。
この曲はキングレコードから出るベスト盤にも収録した(明日発売日だ!)
他にもこのアルバムには「ジャパニーズ・デラックス」というノエル・ブラジルの世紀の名作があるんだけど、ネットで音源を見つけられなかった。ギタリストのビルの手をかりつつも、ほとんど自分でプロデュースもし、メアリー自身もこの作品が気に入っている、と話していた。
そして2008年には自身の集大成とも言える2枚組のベスト盤、「25 years」をリリース。これも当然のようにリリースと同時にアルバムチャートの1位になった。R.E.Mやらダフィーとかを押さえて(笑)あいかわらずアイルランドでは圧倒的な人気を誇っているのがうかがえる。Late Late Showに出演したときの映像。
こっちはハル・ケッチャムとやってるよ〜
写真はタワーレコード新宿店。今やワールドコーナーは縮小されてしまったけど、こんな時代もあったんですよ〜。
こういう看板もインディーズ販売だと、かなり優遇してもらっていた。ホントにいろんな人に助けられてレーベルも続いていた。
また私はといえば最初は道楽…もとい宣伝活動の一環としてライブを作ってきたわけだが、CD販売からライブ制作への転換期を迎えていた。実は強く自覚したので覚えている。それは2006年だった。2006年に「こりゃCDはもうダメだ。これからはライブでくっていかねば」と思ったのだ。で「あと3年かけてプロモーター業中心になろう」と思ったのだった。ヴェーセンの3度目の来日の直後である。ヴェーセンのツアーは最初の2回は大赤字で目も当てられない状況だった。それが3回目くらいから少しずつ利益が出るようになってきたのだ。
「好きな音楽についていけば大丈夫」という恵子さんの言葉は当たっていたわけで、今、思い返せば、自分が頑張ったことも、妙に強運だったことも、すべてメアリーやウチのアーティストが持っている運というか、大きな流れの一つだったことにすぎない、ということが分かる。
今の時代…というか、遥かダーウィンの昔から「変われないものは生き残って行けない」ということになっているが、世の中の流れがこんなに早い中、本当にボケっと目の前のことだけをやっていては取り残されてしまう。でも、必要以上に心配したり、将来のために今我慢することは必要ない、ってのは… メアリーから教えてもらったことの1つ。
もういつの頃だったか忘れてしまったけど… メアリーとジョーと珍しく3人でご飯に出掛けた事があって、メアリーが好きだというダブリンに最近出来たフレンチレストラン(かなり高級)に行ったのだった。メニューを見ているとメアリーが、これはね、これはね…と説明してくれる。海外でご飯を食べるとき、いつもメアリーはメニューを手伝ってくれる。私が魚をピックアップすると、これは、こんなこんなで食べにくいわよ、大丈夫?とか言ってくる(笑)。別に私は初めてはいったレストランで自分が期待しないものが来ても大丈夫なんだけどね(笑) そういうところメアリーは、すっごく面倒見がいい。実はこのメアリーに会う数ヶ月前にメアリーのスカンジナビアだかオランダだったかのプロモーターさんが突然亡くなる、という事故があった。何の前触れもなく椅子に座ったまま亡くなっているのが発見されたそうである。そのフレンチレストランで、メアリーはその人の話をしてくれて「明日はどうなるか分からない。だから今が大事なのよ、Everyday is precious 」と何度も言っていた。
メアリーの最後の公演を私が見たのは、確かヘルシンキで…だったと思う。スヴェングのパシと一緒に行ったので… ということは間違いなく2008年とかそのくらいだ。パシは隣りの私がコンサートの頭から終わりまで全部一緒に歌っているのを見て目を丸くしていた。今でも一緒に歌っちゃうのはメアリーのコンサートくらいかなぁ。それ以来、実はメアリーのステージは見ていない。だから私も実はかなり長い間ご無沙汰してしまっているのだ。
と、まぁ、こんな風に私の仕事人生はメアリーなしでは考えられなかった。そして今回の引退ツアーにつながっていくわけだが、その前に…とってもとっても嬉しい事があった。それについては次回書く(笑)
いよいよ明日4月23日に私がライナーを書き選曲もしたメアリーのベスト盤が出ます。メアリー・ブラック再来日決定。5月19、20日。コットンクラブにて。詳細はこちら。