最近走っているエリア。 「恋する水門」で有名な岩渕水門だよ |
努力が報われるから報われないか、ということが、ちょっと前にネットでも話題になっていた。
「努力は報われる」と誰もが思いたがっているし「報われない努力はしたくない」と皆が思っているだろう。でも面白いことに、自分の周りを見ていれば分かるんだが成功している人はいつも成功しているし、失敗している人はいつも失敗している。つまり「あきらかに努力が報われる人と報われない人がいる」というのは事実なのだ。
最近思うのだが努力が報われる人は、もう実体験として「成功筋肉」が発達しているから達成できるのだと思う。無理のない目標を設定する、その目標に向かって時に軌道修正しながらすすんでいく。よく「旅は目的地ではなく、旅する過程を楽しみなさい」と言うが、この要領が分からない人は、実はいくら頑張っても努力しても報われない。中途半端で失敗している人には、成功体験がないから、そもそも成功って何なのか身体で分かっていない。自分が知らないことを実現できるわけがない。
最近、この身体がわかるって感覚が好きなんだ。走り始めてから明らかにはっきりと分るようになった。
みんな成果は欲しいくせに、とにかく最短距離を行きたがる。ホリエモンが良く言うように、起業したいと言う人は多いが、起業しても誰も堀江さんのレベルで死ぬほど努力をするやつなど誰もいない。そしてその努力の度合は、やっぱり筋肉が知っている、としかいいようがないんだと思う。
よくTVや本などで自分の一発逆転劇を語る人が多く、それに影響される人もいるのかもしれないが、実世界ではそんな派手なことは滅多に起こらない。残念ながら失敗する人はずっと失敗しているし、成功する人はずっと成功を重ねている。それが一般的だ。目の前の小さな成功体験を積み重ね、成功というのが何であるか分っていなければ、成功することはできない。派手な一発逆転劇を当てる人は存在したとしても、それは長く続かない。すぐにその成功が足かせとなって、自分の人生を続けることが難しくなってしまうだろう。音楽業界にはこれ、けっこう多い。
…と、まぁ、これって自分に言ってるんですよ。ついつい最短距離を行きたくなるのは確か。でもやっぱり毎日走らないと走れるようにはならないって事なんだわな。
しかし走ることは気持ちがいい。実は数日前から右足がちょっと故障して(「故障」って言ってみたかったんだ… なんかアスリートっぽくっていいじゃん!)休んでいるのだが、休む事がイライラするくらい、すっかりオレはランナーになってしまった!(ちなみに足はもう回復に向っているのでご心配なく。おそらく明日も休んで週末からまた走りはじめる)
でもこうやって走れるようになったから堂々と言えるけど、実はオレ、絶対に走る前から自分は走りはじめれば走れることは知っていたよ。だから走りはじめた。そもそも出来ないと思ってるものなんか、この歳になったら最初から手をつけやしない(笑)
まだこの先の人生が長い人は大変だ。オレの甥っ子(小学校6年生)は勉強が嫌いで、可哀想なことに毎日イヤイヤ勉強している。オレが「いいだろ、おばちゃんはもう学校終わったんだよ。だから好きなことしてんだ」と自慢げに言うと、本当にうらやましそうにするから、面白い。ふふふ、若者よ、そんな境地にたっするまで、日々努力しなさい。私だって若い時はすっごく苦労したし、なんで自分ばっかりこんなイヤな仕事を押し付けられてと悩んだものなのだ。なんだかんだで30過ぎくらいまでは、そんな悩みの連続だった。
…というのを、自分に言い聞かせている。ずっと日々の努力を面倒臭がらない自分でずっといられるように。ずっと走れる、そして走り出せる自分でいられますように。そして例えば時間には絶対に遅れない、約束は必ず守る、そういうきちんとした自分でずっといられますようにと思うのだ。
だから丁寧に努力している若い奴の成長をみていると、ホントに嬉しいし、ホントに自分も頑張らないとなーと思う。
そして今の自分の仕事は本当にいいな、と思うのだ。実はズルいかもしれないが結果がお金だけじゃない、という事実が、実はすべてを支えている。そこがこの仕事のいいところだ。私は自分の仕事は成功していると思っているが、実は金銭的な成功は全然ダメダメちゃんである。私はこれで良しと思ってやっているが、他の人からジャッジされたら大失敗連続かもしれない。でもこの仕事のいいところは、自分なりの「手応え」を設定できることだよね。これってちょっとアイルランドにも学んだ事なんだ。アイルランドって勝ったことなど一度もないのに全然負けたと思ってない。そこが彼らの無敵の強さだと思うんだ。オレもそんな風になりたいんだよね。