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2014年4月4日金曜日

メアリー・ブラック物語 7

来日したメアリーたちから「アイルランド国内ツアーがあるから、来い、来い」と誘われていた私は1月に冬休みをとってアイルランドへ初めて行くことになった。普段から有給もなく土日でも出社して働いていたから2週間くらい会社を休むのは当然のことと思っていた。ここでも部長に怒られるということはなかった。でもよく考えたら契約社員の身でよく休んだと思うよ。ちなみにその前の年も確か1月に2週間くらいイングランドとか行ってたんじゃなかったけかな…そのときは確か嵐が丘とかまわったように記憶している。

まぁ、でも今でも「あんだけ普段働いて、おじさんたちのようにゆっくり出社することもなく夜も一番おそくまでホントに頑張ってたんだから当然だよな」という気持ちと「それにしても偉そうだったよな」という反省と半々である。会社ってなんだろうね。みんなと同じくらい働き、みんなと同じくらい休むのがいいんだろうか。今でも分からない。

で、初のアイルランドですよ。最初にいった町は実はSLIGO。モーラ・オコンネルのこの歌に影響されて… ダブリン空港から電車の駅へ。ダブリン市内を見ることなくスライゴへ向かった。


ビデオのテロップにAs I Roved Outと出るけどそれは間違いで、The Scholarがこの歌の正しいタイトル。Midnight Wellはソングライターであるトム・ムーアのバンド。いいよね〜〜 それにしてもすごいクリップが残っていたもんだ…

…話がそれた。

スライゴからゴールウェイ、そしてダブリンを回ってコンサートを観ながら楽しい数日だった。ダブリンではメアリーの家に泊めてもらい、子供たちにも会った。当時の私の英語力で子供たちとちゃんと遊べていたかは分からない。でもコーナー、ダニー、ローシンの3人の子供のうち、次男のダニーが一番フレンドリーでオープンな感じがしたのは事実だった。ダニーのその後についてはこのブログの過去エントリーのコローナズのところをぜひチェックしてほしい。20年後、ダニーは大きくなって自分のバンドを率いて来日することになる。また当時オムツをして床をはいずりまわっていたローシンはメアリーのバックコーラスとして今回の来日に同行するのだ。

話を当時に戻すと…初来日でメアリーの実力を実感したスタッフ一同、次のアルバム、そして次の来日に向けて疑うことなく仕事を進めた。次の作品「BABES IN THE WOOD〜森の少女」は大レーベルのマネジメントされたもんでもないリリース、しかも相手はのんびりしているアイルランド…という状況下、よく日本先行リリースが実現できたと思う。アートワークはまだか、歌詞はまだか、対訳は追いつくのか… 今おもえばヒヤヒヤもんの綱渡りである。当時まだデータなどがインターネットでは交換できない時代だ。

ここでもレコード会社はちょっとびっくりするような宣伝費をメアリーに投入した。音楽ライターも何人も派遣し、広告費もFM誌を中心にたっぷり投入したと思う。ホントここを読んでる皆さんも、気をつけたほういいですよ。エンタテイメント業界は、今もやり方は対して変わってない。べつに広告をつかったもの=悪いものと言っているわけではない。でも記事を見る方からしたら、それがタイアップなのか、そうでないのか、ライターは自費で取材しているのか招待なのかくらいはなんとなく気にしておいて損はないと思う。

当時のライバルで記憶に残るものといえば、実はBMGがやる気まったくナシでリリースされたポール・ブレイディの「Trick or Treat」だった。懐かしいねー でもってメアリーで派遣されたライターIさんが、同時にポールにもインタビューしたりしてた… 今,考えるといろいろ恐ろしいんだけど(笑) なにせ当時はホームページというものすらなく、いろんなことが分からない時代だったのだ。今でもIさんにもらってきてもらったポールのサインは私のCD棚に鎮座している。Iさんはポールのライナーも書いていたが、読めば分るがとてもじゃないけどあり得ない、ひどい内容のものだった。でも当時はそういうのが許されてたんだよね。取材機時も私の記憶ではFMファンくらいにしか出てなかったと思う。可哀想なTrick or Treat。ポールがあのワガママな性格を封印してアメリカでゲイリー・カッツと制作した作品。「ロマンティック・ダンディ」というひどい邦題が付けられ日本ではほとんど認知されてなかった。もちろんあれだけすごいライブをやる人だと、当時誰が知っていた事だろう。私もバンドの連中が「ポールは性格が悪い」と言ってあれこれエピソードを頼みもしないのに教えてくれるのをボンヤリと聞いていた。それが…今ではこうやってメアリーが引退直前で、ポールとはまだ一緒にやってるんだから、ほんとに人生は分からない。

私は、また、当時リリースしたグレッグソン&コリスターについてもただならぬ熱意を発揮していた。気持ち的には野崎はメアリーをこれだけ盛り上げたんだから、会社はもっと私を自由にし、私に好きなようにやらせてくれるべきだ、くらいに思っていた。そうは簡単には行かなかったけどね。でも当時は今よりも媒体に載って、メジャーの流通に載れば、それなりに売れるような土壌はあったと思う。だから宣伝はがんばったよ。そうそう、ライターの和久井光司さんが自分のマネージャーをこきつかって(笑)来日を決めてくれたのもホントに感激だった。

クライヴとクリスは素晴らしかったが、以前付き合っていた二人がすでに破局していたこともあって本人たちの人間関係は相当辛かったようだ。当時の私も彼らのそういう厳しい状況をちゃんと理解していたかというと、とても怪しい。帰国した彼らのマネージャーからは「もうこれ以上続けてコマーシャルな成功がのぞめなければ辞める」というメールが来た。残念だったが仕方がない。

それにしても、クライヴのこの曲、泣ける!!


クライヴ! 私の恩人の一人だ。私の今の海外人脈はすべてメアリーかクライヴに発している。特にクライヴのマネージャーが紹介してくれたベッキーが、私をルナサやフルックに繫いでくれて、今のTHE MUSIC PLANTの看板を作ってくれた。クライヴとは時々連絡を取っているが、ここしばらく会っていない。最後に会ったのはいつだろう。Yorkだかどこだかのライブハウスにクライブを観に行って、終演後、お茶飲めるところを探して町を彷徨ったがどこにもなく、私が泊まっているBBに来て、二人で地味ぃーにお茶を飲んだっけ(爆)あれが最後だったかも。当時クライヴはアメリカ人の奥さんと結婚していて、アメリカならデニーズとかがあるのにとか、東京ならどっかあいているのにとか、二人でブーブー文句言いながらも…楽しかったよなぁ、あれは。一方のクリスとはすっかり疎遠になり…それでも最近になってFacebookで再会したけど… 一緒に仕事をするまでには至っていないね。ホントいろんなことを思い返すと、アーティストとの出会いは、ものすごい偶然とタイミングの上になりたっているもんだということが分かる。

メアリー・ブラック再来日決定。5月19、20日。コットンクラブにて。詳細はこちら。4月23日に私がライナーを書き選曲もしたメアリーのベスト盤が出ます。