服部文祥「ツンドラ・サバイバル」を読みました

読んだ! 今、けっこう話題だよね、この本。そしてさすが「みすず書房」! ここは良い本出してる自信にあふれているから出版社さんだから値段が高いんだよ(笑)…って友だちが言ってた。そうなんだ。

でも良かったですよ、この本。

ただサバイバル登山ってのに、どうも気持ちをあわせられないな、と思った。わざわざ何も持たずに行く。っていうか、米持ってくなら、他のものも持ってけば?とか思ってしまう。そのへんの価値観がよく分からない。

北極男の荻田さんはGPSを持っていく、というが、角幡さんはかたくなにそれを拒否している…とか、探検家それぞれで、あれこれあるわけだけど。

笑ったのはこの本の前半で服部さんが家族にも会社にも行く先を告げず、とにかく帰ってこれなくなったらおそらく遺体も発見されず…となること前提でサバイバル登山を決行するところ。残念ながら惨めなことにそれは失敗で終わる。というのも「ここでなんかあったらどうなるんだろう」「家族はただ帰ってこない、ということで自分の死を知るのだな」「遺体は発見されないだろうな」とかなんとか、あれこれ考えてばっかりいて全然山に集中することが出来なかったからだ。

ホントに探検家も登山家も失礼を承知で言わせていただけるならバカだよねぇ、と思う。わざわざそんなところへ出掛けていって、いったいなんなのか。確かにカリブーは食べてみたいけれど、美味しい肉なら地上でも食べられるでしょう?(笑)綺麗な景色だって、10分も眺めていればあきるでしょう?(笑)

でもなんでだろうね。自然で力強く生きる動物を食べてみたい、綺麗な山を眺めてみたい、って。

探検家も登山家も、それぞれの美学がある。美学があるって面倒くせー(笑) そういう私だって、まぁ、大抵のことはどうでもいいと思っているのだが、それでもあれこれ仕事上ではこだわっていることがあるので、そんな自分を外側からながめているようで惨めでもあった。うん、私もバカだからねぇ。つまらないことに囚われて…ホントに馬鹿だよ。

角幡さんってのは人間観察にたけていて自分が馬鹿だなぁ、ってのをすごく良く分かっている人だと思う。かなり自虐的で、そこが面白い。あれこれ考えているようで、実は自分のことしか考えていない。それは人間だったら、誰でも同じだ。いろんなことがグルグルグルグル頭をめぐっている感じがホントに素晴らしい。そして探検より何より圧倒的に本として面白い。話の構成力がホントに素晴らしい。今,角幡さんはエッセイや書評本をのぞくと3冊しか出てないが、どれも最高の本だ。

一方の植村さんは天然で、特に70年代だったから、そのパワフルさは圧倒的だ。ただ植村さんもTV媒体がからみ、探検が事業になってきた頃から冒険自体は面白くなくなってきた。…というと植村ファンに怒られそうだが…。すごくいいなと思ったのは「極北に駆ける」1册で、このあとの「1万2,000キロ」「北極点〜」などは、「極北〜」に比べればいまいちだった。

一方「ツンドラ・サバイバル」においては、やはり服部さんのミーシャとの出会いが圧巻だ。ミーシャとのやりとりが本当に素晴らしい。そして、ここでも思った。言葉が通じないってロマンチックで素敵なのよ!って。っていうか、それがなかったら、この本は単なるTV取材の内側で、表では言えなかった事をやっと言いました、というにすぎない。これ言葉がきちんと通じてないから、こんな素敵な人物像ももしかしたら服部さんの頭の中だけのことなのかもしれない。いや、でもそれでいいのだ!「まだ人類は信じるに値する、世界は生きるに値する、この世はとんでもなく面白い」うん、本当にそうだね。

それにしても、こうやって媒体が絡むとあからさまに悪口は書けないし…でも服部さん、NHKのテレビ・ディレクターのことを明らかに嫌っているようだね(笑)

このへんも角幡さんに言わせると「本を書くという前提で冒険してるってどうなんだろうか」ってなもんで、グルグル、グルグル…

そんな風にいろんなことは中途半端感が拭えない。その点、植村さんの「極北に駆ける」はやっぱり突き抜けてる感があるんだよなぁ。グリーンランドのイヌイットたちとのスイートな交流。ここでも言葉は通じてない。こうして現地の人に魅せられて行く日本人。ミーシャが出てこなければ、この本は全然つまらないだろう、と思った。でもミーシャとの出会いがあるから、やっぱりいい。

何にしてもお薦め。それにしても、もう最近はフィクション読む気分がしないわ…。日本のエクスプローラーたち、本当に素晴らしい。