忘年会ウィーク続行中


昨日まで自分の過去に呼んだミュージシャンが別バンドで都内にいたので、彼とご飯を食べたり会話したりするチャンスがあったのだが、昨日がもう最後の夜で、今日から地方公演なので、もう彼と会えないと思うとちょっと寂しい。

こういう状況、実はすごくいい。というのも自分のツアーだと、自分は疲れてボロボロだし、そもそもメンバー1人1人とじっくり話す時間もないし、翌日のことも心配しないといけないし… 無事にミュージシャンが家に帰ってもらうまではホントに気がぬけないのだが、昨晩みたいなシチュエーションだと、彼のお仕事の部分はプロモーターさんに任せ、今、彼が困ってないか、お腹をすかせていないか等、心配する必要はまったくなく、自分は自分の事を心配すればいいだけ…で、彼との会話を楽しめばいいだけ、という。 しかもなんか仕事以外で会う、ってのは「友達」っぽくていい。なんか利害関係ないところで、さ。ホントになんて贅沢なシチュエーション。呼んでくださったプロモーターさん、レコード会社の皆さん、ありがとうございます。一番楽しいところをわたしがいただいちゃってます…

それにしても友達がいなくなって恋しくなるのは、その人との会話だ。

ポール・ブレイディとかもそうだけど、ポールも会話がめちゃくちゃいい。人間ってこんな風にいろんな事を分かち合えるんだ、ってのがすごく感じられるのだ。分かち合っているのは、そのときシェアしてるご飯だけじゃなくってね。


それに限らず今年の忘年会はホントに久しぶりに会う友達もいて、楽しい。今年は異常に忘年会の本数が多い。それに彼の来日が乗っかったから、なんか今日は2本だて…みたいな日もあった。去年なんか全部で3、4本くらいしか忘年会がなかったと思うのだが、今年の本数が多いのは、いいことなのだと思う。友達が増えたのかなー、わたし。


それにしても友達はいい。彼が昨日言ってた名言「人は何が起こったかという事よりも、どう起こったかという事に判断基準を置く傾向がある」これ、すごくなるほど、と思った。確かに、どんな風にその事が起こったかというショックのせいで、その物事の本当の部分を見逃す傾向がある、ということだ。
確かに。っていうか、いい事言うなぁ。こういう会話,いい。飲み会はこうでなくっちゃ、と思ったのだった。

それにしても何度も思うんだけど、同じ時間は二度と戻ってこない。彼と、他のアメリカのミュージシャンを呼んだのは2006年の10月の事だった。あのプロジェクト。良く実現させたよなー。特にR.E.Mがまだ稼働している時期だったから、スケジュール自体だって難しかったに違いないんだよね。R.E.Mのスケジュールやら、何やら…それにレコ社の方への根回しや何やら。でも始ってみれば、R.E.M側が「こっちからお願いする前に」私の公演の情報を公式サイトに載せてくれたり、ワーナーの担当者さんが高そうなワインを持ってピーターを楽屋に訪ねてきてくれたり、ビックな人はスマートでかっこいいなぁと感激したものだ。


そういや、あの時「有名バンドのサイドプロジェクトなんていくらでもあるんですよねー」と言った某巨大新聞の音楽担当者も、別の意味で絶対に忘れない。絶対にあいつ許さない。ミュージシャンたちがどんなに頑張っていろんなことを必死で実現させているか知らないくせに。おめーが新聞社以外になんか面白いプロジェクトやってみろ、と思った。(ちなみにその担当者はとっくに異動…っていうかスキャンダル起してクビになったと思う)


そして「ホントに来るんですか、野崎さんが呼ぶんですか? ウソでしょ」とか失礼なこと言った、某音楽雑誌の編集者も絶対に許さない…(爆)あ、でもそいつもとっくの昔に消えたか。


ま、今となっては、いろんなことが懐かしい。あの時、あのプロジェクトが実現出来たことは本当に奇跡だった。ミュージシャンみんながそれぞれの奥さんたちも同行しちゃって、奥さんたちもすごく楽しく、ホントに楽しいツアーだった。あのプロジェクトはもう二度と出来ない。あの時間は本当に誰にとっても大事だった。もちろんあのコンサートに来てくれたお客さんにとっても。そして彼が別バンドで来日し、一緒にここ数日すごした時間も本当に大事なのだ。


が、思い出を取り出して懐かしがって可愛がってるだけでは終わらないのが私ですので、皆さん、また未来の企画に期待していてください。私は未来を見つめて行きます。


今読んでる高野秀行さんと歴史学者の先生との「世界の辺境とハードボイルド室町時代」がめちゃくちゃ面白い。未来は目の前ではなく背中の方向にある。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の感覚。これ、すごくいい!