映画の感想の1はここ。まずはこちらを読んでください。
さて映画「スティーブ・ジョブズ」にも出て来たスティーブのプレゼンテーション3本。…っていうか、実際にはこのプレゼンのシーンは出てこず、単にこれらのプレゼンの直前のバタバタグチャグチャがあの映画で描かれていたわけなのだが…
1984年のMacintoshのプレゼンテーション。「ハロー!」
最近発見されたというNextのキューブ。プレゼンテーション。
そしてiMacのプレゼンテーション。
ちなみに私が一番好きなジョブズのプレゼンはこれ。iPhoneの時のもの。「今日は新しい3つの機器を紹介する。新しいiPod、新しい革命的な電話機器、新しいインターネットディバイス」「この3つはバラバラのものではない。これは1つのものだ」「We are calling it "iPhone"」
うー ぞくぞくする!! 私は今だiPhone持ってないけどね。このワクワク感が、スティーブが私たちに教えてくれた1番の宝物だ。人をワクワクさせないとダメだ、と。
一方で好きなインタビューは圧倒的にこれ。1995年。アップルを追い出されていたときのスティーブ。このキラリと光るカリスマ性。あぁ、なんて素敵。このインタビューは映画にもなった。この映像は15分のダイジェストで字幕もあるから是非見てください。あぁ、今みてもホントウに感動する。何度も何度もみた。
ありがとう、スティーブ。本当にありがとう。しかし… スティーブのいない世界は寂しいね。今,生きてたら、どんなことを言ってくれたんだろうか、と思う。スティーブ、オレあと6年でスティーブの歳を越えちゃうよ…
ホントに映画「スティーブ・ジョブズ」は良かった。この映画の勝利はなんといってもセリフだね。圧倒的なセリフの量、そして脚本にあると思う。
脚本家のコメントより(パンフレットに掲載されていたもの)「この映画は写真ではなく絵画だ」「アイザックソンは長編のジャーナリズム作品を書いた。彼は客観性を重視しなくてはいけなかった。僕の仕事は主観を重視しないといけない」「スティーブの人生には鍵となる人間関係の葛藤があると気付き、それを製品発表にからめたら形になると考えた」 正しい!! まったくもって正しいよ! そう会話劇がまるでアクションシーンみたいな迫力だ。そして…芸術は主観的表現じゃなくちゃいけない。
この膨大な量のセリフを最初の本読みリハの時にすでにモノにしていたのが主演のマイケル・ファスベンダーだったという。みんながテーブルの上に台本を出した時、ファスベンダーは台本を鞄から出そうともしなかったらしい。すごい。すごすぎるな!
映画を見終わった直後は、もう1回ジョブズ本を読んでみようと思ったけど、そんな必要ないと分かった。今、私は探検家本読むのにとても忙しいってのもあるけど……。そうなのだ、この映画を事実と照らし合わせてどうなのかとか、そういうことは関係ないのだ。この映画はちゃんとジョブズを描ききっている。この映画に書かれているエピソードが実際にあったかどうかは別として、そしてこの映画でのジョブズが私の持つイメージに近いかどうかは別として、私は人とその人が思うジョブズのイメージをあーだこーだと話をするのが好きだ。この映画の制作陣と、俳優陣と、ジョブズってこうだよね……って話しあっているような気分になるのだ、この映画は。そう、私たちの中にジョブズは生きている。そして誰もが発見するのだ。自分の中のジョブズ性を。
表面的なものごとやエピソードにとらわれるとアストン・カッチャーの映画みたいに中途半端なものになっちゃう。そうじゃないんだ、ってこと。ホントにすごい人は、すごい脚本は、いきなり本質を掴みに行く。うん、ホント、そうじゃなくっちゃいけない。私たちは芸術の仕事をしているのだから。
さて映画「スティーブ・ジョブズ」にも出て来たスティーブのプレゼンテーション3本。…っていうか、実際にはこのプレゼンのシーンは出てこず、単にこれらのプレゼンの直前のバタバタグチャグチャがあの映画で描かれていたわけなのだが…
1984年のMacintoshのプレゼンテーション。「ハロー!」
最近発見されたというNextのキューブ。プレゼンテーション。
そしてiMacのプレゼンテーション。
ちなみに私が一番好きなジョブズのプレゼンはこれ。iPhoneの時のもの。「今日は新しい3つの機器を紹介する。新しいiPod、新しい革命的な電話機器、新しいインターネットディバイス」「この3つはバラバラのものではない。これは1つのものだ」「We are calling it "iPhone"」
うー ぞくぞくする!! 私は今だiPhone持ってないけどね。このワクワク感が、スティーブが私たちに教えてくれた1番の宝物だ。人をワクワクさせないとダメだ、と。
一方で好きなインタビューは圧倒的にこれ。1995年。アップルを追い出されていたときのスティーブ。このキラリと光るカリスマ性。あぁ、なんて素敵。このインタビューは映画にもなった。この映像は15分のダイジェストで字幕もあるから是非見てください。あぁ、今みてもホントウに感動する。何度も何度もみた。
ありがとう、スティーブ。本当にありがとう。しかし… スティーブのいない世界は寂しいね。今,生きてたら、どんなことを言ってくれたんだろうか、と思う。スティーブ、オレあと6年でスティーブの歳を越えちゃうよ…
ホントに映画「スティーブ・ジョブズ」は良かった。この映画の勝利はなんといってもセリフだね。圧倒的なセリフの量、そして脚本にあると思う。
脚本家のコメントより(パンフレットに掲載されていたもの)「この映画は写真ではなく絵画だ」「アイザックソンは長編のジャーナリズム作品を書いた。彼は客観性を重視しなくてはいけなかった。僕の仕事は主観を重視しないといけない」「スティーブの人生には鍵となる人間関係の葛藤があると気付き、それを製品発表にからめたら形になると考えた」 正しい!! まったくもって正しいよ! そう会話劇がまるでアクションシーンみたいな迫力だ。そして…芸術は主観的表現じゃなくちゃいけない。
この膨大な量のセリフを最初の本読みリハの時にすでにモノにしていたのが主演のマイケル・ファスベンダーだったという。みんながテーブルの上に台本を出した時、ファスベンダーは台本を鞄から出そうともしなかったらしい。すごい。すごすぎるな!
映画を見終わった直後は、もう1回ジョブズ本を読んでみようと思ったけど、そんな必要ないと分かった。今、私は探検家本読むのにとても忙しいってのもあるけど……。そうなのだ、この映画を事実と照らし合わせてどうなのかとか、そういうことは関係ないのだ。この映画はちゃんとジョブズを描ききっている。この映画に書かれているエピソードが実際にあったかどうかは別として、そしてこの映画でのジョブズが私の持つイメージに近いかどうかは別として、私は人とその人が思うジョブズのイメージをあーだこーだと話をするのが好きだ。この映画の制作陣と、俳優陣と、ジョブズってこうだよね……って話しあっているような気分になるのだ、この映画は。そう、私たちの中にジョブズは生きている。そして誰もが発見するのだ。自分の中のジョブズ性を。
表面的なものごとやエピソードにとらわれるとアストン・カッチャーの映画みたいに中途半端なものになっちゃう。そうじゃないんだ、ってこと。ホントにすごい人は、すごい脚本は、いきなり本質を掴みに行く。うん、ホント、そうじゃなくっちゃいけない。私たちは芸術の仕事をしているのだから。