ちょっと前に書いた「すべてのジャンルはマニアが潰す」じゃないけど、最近「まったく何も知らない人にいかに音楽を聞いてもらうか」ということをよく考えている。
それを考えるようになったきっかけは2つある。1つは最近のマイ・ブームの探検家さんたちの名作の数々だ。今やカネと暇さえあれば北極点でも南極点でもド素人が行ける時代にあって、探検家さんたちは自分の探検に他人をも説得できる意味を見つけなくてはいけなくなった。
もちろん、探検の意味は昔から探検家の内側で深く吟味されていただろう。が、今の時代、それを他の人が説得できるものに磨き上げなければ、まったくのマスターベーションにしかならない、ということなのだ。D通やH堂がついてTVまでもが特番組んでた植村さんの時代とは事情がまったく違う。それをノンフィクションにすることをしなければ、またその本が売れなければ、探検家という職業は立ちゆかない。また探検という表現活動の純粋な部分をキープすることが出来ない。
自分の内面を深く深くほりさげていく角幡さんの本。世の中のすべての価値観をひっくり返す高野さんの本。どちらも探検という非常に説明しがたい価値観を、世の中に広く広めることに貢献している。そして、読者は見いだすのだ。自分の中の探検家性を…(そういや昔、フリートウッド・マックの曲の中に「あなたはあなたのジプシー性を見いだすのだ」ってのがあったな)角幡さんの本も、高野さんの本も、非常に難しい内容を扱いながら、誰の中にでもある「ロマンチックな探検家性」を呼び起こし、絶対に読者をおきざりにしない。そこがすごいと思う。
もう1つは先日のスヴェングの公演で、ナビゲーター役を引き受けてくれた桑山哲也さんの影響。桑山さんは、いかに民音のお客さんに異国の音楽と文化を分かってもらうか、ということに本当に集中していた。桑山さんの真面目で正義感あふれる性格もそうだけど、これだけたくさん日本の芸能界でも活躍してきて、多くのアーティストを支えて来た経験値も高いよね。ホントに桑山さんはすごい。オレよりうんと年下なのに、うんと大人だ。そして2,000人のお客さんがビックリするようなピアソラやガリアーノを独奏で弾いた。圧巻である。すごいよね、音楽のパワー。あのポップなおしゃべりと、パワフルな独奏から、桑山さんのメッセージを強く受け取った気がする。単にかっこつけて自分じゃ何もしないくせに周りを批判してたらダメなんだって。ちゃんと行動することで、周りの人は分かってくれる、って。
自分がやりたいことを、好きで付いてきてくれるお客さんに向けてやるのなんかホント簡単だ。そうやって私は今まで好きなように生きて来て、それがある程度うまく行っちゃったから、探検家みたいに大人になるチャンスを失ってしまったのだ。探検家さんがテレビで言っていた。気がついたら、子供のころはみんな探検が好きだったのに、今、探検をしているのは自分だけだった…みたいな。
もっと大人にならなくちゃ、と50になって思う。自分と価値観の違う人を切り捨て入るのは、本当に簡単である。でも、それだけじゃ世の中は変わってはいかない。そんなわけで大人になろうと、わたしも50歳になって、やっと努力し始めようとしているのだ。とりあえずは、このブログを少し分かりやすく書く事から始めてみよう。(今ごろ遅いよなぁ!/笑)
そして、例えばフルックのコンサートをこんな感じの企画にして、ケルト音楽とか良く知らない人にも多く聞いてもらうということを、やっと考え始めたのだった。前にスヴェングとやった「北とぴあフィンランド祭」の続編とも言うべきイベントだ。あれは、とっても楽しかったけど、興行的には疑問の残るイベントだった。正直、細かい文化祭的なところに予算と、なにより1人自営業者では絶対にやっていけない「時間を使う」ことをしてしまったので、利益だけ追求するのであれば小さいライブハウスでサックリ公演を1本作った方が、絶対に興行的には成功したと思う。でも足の悪いおばあちゃんとかが、エーロのしている指輪にきゃあきゃあ言いながらCD販売のサイン会に並んでくれているのを見ると、やっぱりやって良かったな、と思うのである。そして北とぴあの担当者がすごく喜んでくれたのは良かった。あれを思うと、ま、しょうがないか…と思うのである。お金と効率がすべてではないのだ、この世は。…というのを、何度も言うが50になってやっと学んだかも。いや、でも、それは違うな。お金と効率考えたら、そもそもこんな仕事してないし… でも自分の中で何かこう、転換したんだと思う。
そんなわけで、ウチの常連のお客さんには是非お友達や、ご両親、特にお母さまを連れてご来場いただきたいのです。席は指定で、ライブハウスより環境良いし、カフェやいろんなグッズ販売やワークショップや、ケルトの文化に広く触れてもらえる。こんな企画もめったにないので、是非ご来場ください。詳細はここ。
それを考えるようになったきっかけは2つある。1つは最近のマイ・ブームの探検家さんたちの名作の数々だ。今やカネと暇さえあれば北極点でも南極点でもド素人が行ける時代にあって、探検家さんたちは自分の探検に他人をも説得できる意味を見つけなくてはいけなくなった。
もちろん、探検の意味は昔から探検家の内側で深く吟味されていただろう。が、今の時代、それを他の人が説得できるものに磨き上げなければ、まったくのマスターベーションにしかならない、ということなのだ。D通やH堂がついてTVまでもが特番組んでた植村さんの時代とは事情がまったく違う。それをノンフィクションにすることをしなければ、またその本が売れなければ、探検家という職業は立ちゆかない。また探検という表現活動の純粋な部分をキープすることが出来ない。
自分の内面を深く深くほりさげていく角幡さんの本。世の中のすべての価値観をひっくり返す高野さんの本。どちらも探検という非常に説明しがたい価値観を、世の中に広く広めることに貢献している。そして、読者は見いだすのだ。自分の中の探検家性を…(そういや昔、フリートウッド・マックの曲の中に「あなたはあなたのジプシー性を見いだすのだ」ってのがあったな)角幡さんの本も、高野さんの本も、非常に難しい内容を扱いながら、誰の中にでもある「ロマンチックな探検家性」を呼び起こし、絶対に読者をおきざりにしない。そこがすごいと思う。
もう1つは先日のスヴェングの公演で、ナビゲーター役を引き受けてくれた桑山哲也さんの影響。桑山さんは、いかに民音のお客さんに異国の音楽と文化を分かってもらうか、ということに本当に集中していた。桑山さんの真面目で正義感あふれる性格もそうだけど、これだけたくさん日本の芸能界でも活躍してきて、多くのアーティストを支えて来た経験値も高いよね。ホントに桑山さんはすごい。オレよりうんと年下なのに、うんと大人だ。そして2,000人のお客さんがビックリするようなピアソラやガリアーノを独奏で弾いた。圧巻である。すごいよね、音楽のパワー。あのポップなおしゃべりと、パワフルな独奏から、桑山さんのメッセージを強く受け取った気がする。単にかっこつけて自分じゃ何もしないくせに周りを批判してたらダメなんだって。ちゃんと行動することで、周りの人は分かってくれる、って。
自分がやりたいことを、好きで付いてきてくれるお客さんに向けてやるのなんかホント簡単だ。そうやって私は今まで好きなように生きて来て、それがある程度うまく行っちゃったから、探検家みたいに大人になるチャンスを失ってしまったのだ。探検家さんがテレビで言っていた。気がついたら、子供のころはみんな探検が好きだったのに、今、探検をしているのは自分だけだった…みたいな。
もっと大人にならなくちゃ、と50になって思う。自分と価値観の違う人を切り捨て入るのは、本当に簡単である。でも、それだけじゃ世の中は変わってはいかない。そんなわけで大人になろうと、わたしも50歳になって、やっと努力し始めようとしているのだ。とりあえずは、このブログを少し分かりやすく書く事から始めてみよう。(今ごろ遅いよなぁ!/笑)
そして、例えばフルックのコンサートをこんな感じの企画にして、ケルト音楽とか良く知らない人にも多く聞いてもらうということを、やっと考え始めたのだった。前にスヴェングとやった「北とぴあフィンランド祭」の続編とも言うべきイベントだ。あれは、とっても楽しかったけど、興行的には疑問の残るイベントだった。正直、細かい文化祭的なところに予算と、なにより1人自営業者では絶対にやっていけない「時間を使う」ことをしてしまったので、利益だけ追求するのであれば小さいライブハウスでサックリ公演を1本作った方が、絶対に興行的には成功したと思う。でも足の悪いおばあちゃんとかが、エーロのしている指輪にきゃあきゃあ言いながらCD販売のサイン会に並んでくれているのを見ると、やっぱりやって良かったな、と思うのである。そして北とぴあの担当者がすごく喜んでくれたのは良かった。あれを思うと、ま、しょうがないか…と思うのである。お金と効率がすべてではないのだ、この世は。…というのを、何度も言うが50になってやっと学んだかも。いや、でも、それは違うな。お金と効率考えたら、そもそもこんな仕事してないし… でも自分の中で何かこう、転換したんだと思う。
そんなわけで、ウチの常連のお客さんには是非お友達や、ご両親、特にお母さまを連れてご来場いただきたいのです。席は指定で、ライブハウスより環境良いし、カフェやいろんなグッズ販売やワークショップや、ケルトの文化に広く触れてもらえる。こんな企画もめったにないので、是非ご来場ください。詳細はここ。