映画「望むのは死刑ですか」を観ました

人生において、普通の社会人が自分の生活に支障がないところで係れる社会のイシューというのは、実は1つか2つしかないと思う。

ボノの「貧困問題」じゃないけど、人が何か発言できるほど知識を得るためには、それなりの勉強が必要だし、あっちの問題、こっちの問題、手を出していたら、逆に勉強が追いつかず、発言自体が無責任な事になりかねない。誰もが本来は自分の生活のことで忙しいのだ。なので、私も、ここ20年くらい自分が係れるイシューは「原発」と「死刑」に絞ってきた。他のことは経済のことも、宗教のことも政治のことも、正直よく分からない。

で、この「分からない」と言ってしまうことを可能にするためにも「原発」と「死刑」についてはある程度、自分が納得いくまで勉強してきたつもりだ。

ところが「原発」においては、今や実際に事故が起こってしまい状況が超複雑化してしまった。自分の勉強が、すっかり追いつかなくなり…。もちろん今でも大反対ですよ。それを堂々と言うための勉強が、しかし追いついていかない。

で、もう1つの自分のイシューである「死刑」について、ですよ。このブログでも何度か紹介してきた。これなんかものすごく良い内容で(ヨーロッパから日本がどう見られているか痛いほど分かる)自分でも何度も読み返しているんだけど、我ながら、それなりの数の講義を聞きにいったり、本をよんだりしていると思うし、そんな感じの……社会に対して自分が勝手に考えている責任?とでも言うべきか… それを感じて、この映画も無視できず、行ってきました。UPLINK。なかなか良く出来たドキュメンタリーだと思った。「望むのは死刑ですか」

これは英国在住の犯罪学研究の佐藤舞さんが、130名ほどの男女を集め、そこから審議を行い、いろんな意見交換を2日に渡って行った結果、参加者の死刑に対しての考え方がどう変化するか…ということを調査したもの。そもそも男女比、年齢差、そして現在の世論では死刑賛成が80%という、そのパーセンテージに比例する老若男女130名が、集められた。
そのディスカッションの様子、考え方の変化などを収録した1時間ほどのドキュメンタリーである。

驚いたことに結果、いろいろ死刑について知った後は、半数以上の人が考え方を変えるという結果になった。死刑反対が増えたという単純な結果ではない。しかしながら「分からなくなった」という人が多くなったことに、希望が見えて映画は終わる。

日本は死刑のことがちゃんと情報公開されていない。絞首刑で行われており、受刑者は足下の下の板が外れる形で刑が執行される、ということも知らない人が多い。時には受刑者の体重と紐の長さによっては首が切れて流血の大惨事になる場合もあるのだそうだ。こんな残忍な死刑をしている国は今や日本とあとほんの数カ国のみ。今や世界の70%が死刑は存在しないものになっている。

終了後の長塚洋監督のティーチイン。ゲストは監獄人権センターの田鎖麻衣子さん。

「実はよくよく話を聞いてみると、被害者が全員死刑を望んでいるわけではない。もしかしたら死刑を望むというのは“期待される被害者像”というものがあるのではないか」という話。

「裁判は加害者のためのもの。被害者のためのものではない」刑事裁判は刑を計る場所であり、被害者救済の場ではまったくない。ただし今,現在、裁判以外にはそういう場所が存在しない、ということ。

田鎖さんが言ってたことで印象に残ったのは「いったい真人間になる、というのはいったいどういう状態なのだろうか…」ということ。結局犯罪は犯さなくても人間的にありえないほど酷い人というのは世の中にウヨウヨいる。それと実際犯罪の一線を越えてしまった人との違いは?ということ。そして何をもって更生した、と評価するのだろう、ということ。

ちなみにこの調査を行った佐藤先生がまとめた「世論という神話」はネット上でPDFで読めるので、ぜひ読んでみてください。

いや〜 しかし日本で死刑はなくならないだろうな… たぶん私が生きているうちに実現することは不可能のように思える。それでも、いろんなことを知り話し合い、意見を交換するのは良いことなのだなと実感できるドキュメンタリーでした。次回の上映は4月9日15:00よりアップリンクにて。