日本語って難しい。自分が書いた日本語なんか特に、なんだこりゃと後から思うことがたくさんある。例えばこのブログ。そして例えばこれ。
今朝、数日前にツイートしたツイートが何度かRTされ、自分のところに再び戻ってきたので(笑)、そうか、3日前の自分はこの英語をこんな風に訳していたかと半ばあきれた…
私より早かったのか遅かったのかは分からないけど、NMEの日本版が同じ記事を紹介して同じ会話部分を日本語に訳していた。
マイケル・スタイプ「みんな理解してくれると思う。僕は長くこれから離れる必要があるんだ」
ピーター「今後ずっとってことかい?」
マイク「僕には真っ当なことに聞こえるね」
最近のネットメディアの英語から日本語への訳文には文句を付けたくなることが多いが、このとおり! 少なくとも私よりは日本語がうんと上手である(爆)
ちなみに元の英文は
マイケル「I think you guys will understand. I need to be away from this for a long time」
ピーター「How about forever?」
マイク「Sounds right to me」
ひとこと言うとしたら、ピーターの「How about forever?」ってのは、マイケルに聞いているんじゃなくって、提案しているのだから「今度ずっとってのはどうだい?」みたいな方がいいかな…(と、このように人がやった作業にひと言文句を言うのは簡単である/笑)
元記事はこちら
いずれにしても通訳さんでもないかぎり、英語を日本語に変えるのはホントに難しい。日本語を英語にする事は、それほどフラストレーションは感じないのだが(それは自分の英語に限界があるからなのだが)、その逆はホントに難しい。英語で100%理解しているのに、日本語にそれを置き換えるのは、まったく別の筋肉だと言っていいだろう。いずれにしても、理解という点で言ってしまえば、英語は英語のまま理解するのが本当は一番いいのだ。
それに私が自分で訳すという事態になった場合、文学的かどうかというよりも、情報をなるべく早く、正しい情報に近いところで流すことが大事なので、あまり細かいことは気にしてられない、というのが現状なのだ。
いつだったか、とある事情で某アーティストの通訳をやらなくてはいけないハメになった。もう存在しないレコード会社だからバラしちゃうけど、東芝EMIからCDを出していたドーナル・ラニーに、取材をしたいという新聞社が現れたのだ。
正直,こちらはツアー中に立ち会うのにも時間が取られるし、後パブだからプロモーターにはメリットないし、本来ならばこういう時に通訳を用意するのはレコード会社の役目なのだが、レコード会社にはそれは出来ないと、ばっさり断られた。CDを出してからしばらくたっていたからというのが理由だ。加えて新聞社でも通訳代は出してくれない、という。で、どうしたもんかということになり私がそのお役目を引き受けることになったのだ。生まれて初めて通訳らしきことをやってみて分かったのは、日本語の質問を英語に変えるのはそれほどストレスなく出来るということ。だが、ドーナルがしゃべる英語を日本語にするとき、まったく言葉が出てこない。あの時はインタビュアーの方にもドーナルにも申し訳ないことをした。あまりに申し訳ないので、自分でも録音しておいたものを、起こしてテキストにして新聞社さんに速攻でお送りした。まぁ、返って喜ばれたけどね。
それにしても通訳は染谷和美さんや丸山京子さんみたいなプロの方に任せるに限る。でも、たま〜に、自分ではない、他の人が段取ったインタビュー現場に立会う機会にあたると、えっ、こんな通訳でいいんだ?みたいなことがホントに多い。またインタビュアーが英語出来ます、って言ってやってきて、ふたをあけたらズタズタで、アーティストが一生懸命答えているのに、ホントにこの人理解できてんだろうか?なんて思う時もある。そして、そういうことはアーティストたちに速攻でバレる。日本語が分からなくても。あんまり人の現場に行って文句は言いたくはないけど、それは大きな信用問題につながっていくのだ。
そういう時、普段,私は自分がいかに恵まれているか、噛み締めるのだった…。ウチの現場はインタビュアーさんも、アーティストも、通訳さんも超一流だ。だから記事も超一流の記事なることが多い。私もそんな現場にいて、皆さんのレベルに到達できてないとヤバイな、と心から思う。
今朝、数日前にツイートしたツイートが何度かRTされ、自分のところに再び戻ってきたので(笑)、そうか、3日前の自分はこの英語をこんな風に訳していたかと半ばあきれた…
R.E.Mの最後についてピーター・バック「マイケルが“みんな分かってくれると思うけど、しばらくここから離れたいんだ”、僕“永遠に離れるのはどうだ?”、マイク“僕はそれはいいと思う”」https://t.co/OwWkwB3JBE— 野崎洋子 (@mplantyoko) 2016年3月15日
私より早かったのか遅かったのかは分からないけど、NMEの日本版が同じ記事を紹介して同じ会話部分を日本語に訳していた。
マイケル・スタイプ「みんな理解してくれると思う。僕は長くこれから離れる必要があるんだ」
ピーター「今後ずっとってことかい?」
マイク「僕には真っ当なことに聞こえるね」
最近のネットメディアの英語から日本語への訳文には文句を付けたくなることが多いが、このとおり! 少なくとも私よりは日本語がうんと上手である(爆)
ちなみに元の英文は
マイケル「I think you guys will understand. I need to be away from this for a long time」
ピーター「How about forever?」
マイク「Sounds right to me」
ひとこと言うとしたら、ピーターの「How about forever?」ってのは、マイケルに聞いているんじゃなくって、提案しているのだから「今度ずっとってのはどうだい?」みたいな方がいいかな…(と、このように人がやった作業にひと言文句を言うのは簡単である/笑)
元記事はこちら
いずれにしても通訳さんでもないかぎり、英語を日本語に変えるのはホントに難しい。日本語を英語にする事は、それほどフラストレーションは感じないのだが(それは自分の英語に限界があるからなのだが)、その逆はホントに難しい。英語で100%理解しているのに、日本語にそれを置き換えるのは、まったく別の筋肉だと言っていいだろう。いずれにしても、理解という点で言ってしまえば、英語は英語のまま理解するのが本当は一番いいのだ。
それに私が自分で訳すという事態になった場合、文学的かどうかというよりも、情報をなるべく早く、正しい情報に近いところで流すことが大事なので、あまり細かいことは気にしてられない、というのが現状なのだ。
いつだったか、とある事情で某アーティストの通訳をやらなくてはいけないハメになった。もう存在しないレコード会社だからバラしちゃうけど、東芝EMIからCDを出していたドーナル・ラニーに、取材をしたいという新聞社が現れたのだ。
正直,こちらはツアー中に立ち会うのにも時間が取られるし、後パブだからプロモーターにはメリットないし、本来ならばこういう時に通訳を用意するのはレコード会社の役目なのだが、レコード会社にはそれは出来ないと、ばっさり断られた。CDを出してからしばらくたっていたからというのが理由だ。加えて新聞社でも通訳代は出してくれない、という。で、どうしたもんかということになり私がそのお役目を引き受けることになったのだ。生まれて初めて通訳らしきことをやってみて分かったのは、日本語の質問を英語に変えるのはそれほどストレスなく出来るということ。だが、ドーナルがしゃべる英語を日本語にするとき、まったく言葉が出てこない。あの時はインタビュアーの方にもドーナルにも申し訳ないことをした。あまりに申し訳ないので、自分でも録音しておいたものを、起こしてテキストにして新聞社さんに速攻でお送りした。まぁ、返って喜ばれたけどね。
それにしても通訳は染谷和美さんや丸山京子さんみたいなプロの方に任せるに限る。でも、たま〜に、自分ではない、他の人が段取ったインタビュー現場に立会う機会にあたると、えっ、こんな通訳でいいんだ?みたいなことがホントに多い。またインタビュアーが英語出来ます、って言ってやってきて、ふたをあけたらズタズタで、アーティストが一生懸命答えているのに、ホントにこの人理解できてんだろうか?なんて思う時もある。そして、そういうことはアーティストたちに速攻でバレる。日本語が分からなくても。あんまり人の現場に行って文句は言いたくはないけど、それは大きな信用問題につながっていくのだ。
そういう時、普段,私は自分がいかに恵まれているか、噛み締めるのだった…。ウチの現場はインタビュアーさんも、アーティストも、通訳さんも超一流だ。だから記事も超一流の記事なることが多い。私もそんな現場にいて、皆さんのレベルに到達できてないとヤバイな、と心から思う。