悩ましい問題が1つ。どうするのが一番良いのか。きっかけとなったツイートはこれ。
例えば今,私はナヌークやウォリス・バードの宣伝をしている。宣伝するためにサンプル盤とか配るわけですよ。そうじゃないと雑誌や音楽評論家の人に紹介してもらえないから。これ業界では常識中の常識です。コンサートも、コンサート評が欲しいから媒体の皆さんを招待する。自分が宣伝する側の立ち場ならば、だ。
が、その評論文を読む読者の立ち場からしてみたら、もしかしたらそれはフェアでないのかもしれない。自分のお金で買った人の評価が読みたい、ということになるのかもしれない。
では、例えば私が、自分が評価する側の立ち場の場合はどうだろう。例えば「映画の試写」については、私も自分のブログに映画評を書く時は、かならず試写でみたか、自分でお金を払って見たかを明記するようにしている。じゃないと読んでいる方にフェアな情報を渡せないと思っているからだ。いや,もちろん情報なんて何でもフェアじゃない。私が発信すれば、どうしても私の視点のバイアスは入る。でも試写で見たか、そうでないか、という事は私にとっては大きいことなんだよね。(あと映画の場合、公開「前」に盛り上げたい、という宣伝の意向もある。あと試写だと公開日の前に見ることになるから、明らかに「試写」で見てるって読者の人には分かるしね)
一方で「音楽」について書く時は…というと…実は黙っているんだよね。コンサートに行ったり、録音作品を聞いたりしても、そもそもめったに自分の仕事に関係ない音楽のことはここには書かないのだが…。
でもって万が一「音楽」のことを書く時は、招待されたのか、自分でチケットを買ったのか。サンプルで貰ったのか,自分で買ったのか… 非常に悩ましいんだけど、それは書かないで感想だけを書いてるんだよね。
というのも、自分が宣伝している側になる場合、あまり「招待された」「サンプル貰った」とか、書く人に言ってほしくないからなのだ。実は気になるのは、「評価のバイアス」よりも、単に業界の知り合い全員は招待できないし、CDサンプルも差し上げられないという事実だ。そのことが気になるのだ。でも、この私の行動、一環してないよねぇ…
万が一「招待された」「サンプルありがとうございました」とか書けば、「えっ,あの人は招待されたのに、ウチには招待が来てない」と思うような偉い先生がいるかもしれない。私の「試写で拝見しました」だって「なんで野崎に試写状が行ってウチには来ないの?」とか知らないところで反感を買っているかもしれない。
もっとも私は何かの評論で食べているわけではないから、このヘンはケースバイケースで良いのだろうとは思うのだけど…
でもこのブログを読む側の人の気持ちにたってみれば「お前それサンプルもらったから褒めてんだろ」とか言う気持ちになるのかもしれない。となると、文章の頭で対象のその音楽は自分でお金を払ったものか、もらったものか明記していくのが礼儀なのかもしれない。
うーん、悩ましい! ホントに悩ましいが、何かを言えば、そこにリスクがあるのは大小に係らず必須。一番安全なのはそりゃあ黙っていること。でもそれじゃあ世界は動かない。応援したい音楽は応援したいし。皆さんにみてほしい映画は見てほしいわけだし。
ではいったい何が重要かというと、常にそこになんらかの自分の考えがあって、そのスタイルをつらぬくことではないかと思う。生きているだけで、人に誤解されることもあるだろう。が、自分は自分なりのスタイルを考えていくしかないということだ。そして事あるごとにこういうブログとかに自分の意見を書いて、野崎はけっしていい加減な気持ちでやっているわけではないですよ、というのを分かってもらうしかないのだと思う。というわけで映画の感想はやっぱり「試写で見ました」とか今後も言っていくと思う。そして音楽については黙っていると思う。
何はともあれ悩ましい問題です。一環していないと思われるかもしれないけど、私はそういう業界に生きています。
今日もはりきっていきましょう!!!
現在ウチのライブ公演は以下の通り。
10月 ロビン・ヒッチコック来日公演(東京のみ)
11月 辺境の歌コンサート with 松田美緒、ナムガル、ナヌーク(残券わずか)
11月 THE MUSIC PLANT20周年公演 with ヴェーセン、ルナサ、ナヌーク
12月 ウォリス・バード来日公演(東京,京都)
何回でも言うよ!著者から新刊を献本された人!せめて本屋で買ったフリをしなはれ。お礼は裏でしなはれ。表で「○○さん、本を無料で送っていただきありがとうございます。そのうち読みます」という表明は、「ほとんど営業妨害」ですwww わたしは献本は遠慮、というかお断りしております。— 田中泰延 (@hironobutnk) 2016年8月10日
この2つのツイートの言ってる意味、分かります?ええっ! そうなのか? 恵贈されたものについて書く場合は、それを明記するのが読者に対する説明責任的に必須だと思っていた https://t.co/nXrAFOoBpZ— yomoyomo (@yomoyomo) 2016年8月31日
例えば今,私はナヌークやウォリス・バードの宣伝をしている。宣伝するためにサンプル盤とか配るわけですよ。そうじゃないと雑誌や音楽評論家の人に紹介してもらえないから。これ業界では常識中の常識です。コンサートも、コンサート評が欲しいから媒体の皆さんを招待する。自分が宣伝する側の立ち場ならば、だ。
が、その評論文を読む読者の立ち場からしてみたら、もしかしたらそれはフェアでないのかもしれない。自分のお金で買った人の評価が読みたい、ということになるのかもしれない。
では、例えば私が、自分が評価する側の立ち場の場合はどうだろう。例えば「映画の試写」については、私も自分のブログに映画評を書く時は、かならず試写でみたか、自分でお金を払って見たかを明記するようにしている。じゃないと読んでいる方にフェアな情報を渡せないと思っているからだ。いや,もちろん情報なんて何でもフェアじゃない。私が発信すれば、どうしても私の視点のバイアスは入る。でも試写で見たか、そうでないか、という事は私にとっては大きいことなんだよね。(あと映画の場合、公開「前」に盛り上げたい、という宣伝の意向もある。あと試写だと公開日の前に見ることになるから、明らかに「試写」で見てるって読者の人には分かるしね)
一方で「音楽」について書く時は…というと…実は黙っているんだよね。コンサートに行ったり、録音作品を聞いたりしても、そもそもめったに自分の仕事に関係ない音楽のことはここには書かないのだが…。
でもって万が一「音楽」のことを書く時は、招待されたのか、自分でチケットを買ったのか。サンプルで貰ったのか,自分で買ったのか… 非常に悩ましいんだけど、それは書かないで感想だけを書いてるんだよね。
というのも、自分が宣伝している側になる場合、あまり「招待された」「サンプル貰った」とか、書く人に言ってほしくないからなのだ。実は気になるのは、「評価のバイアス」よりも、単に業界の知り合い全員は招待できないし、CDサンプルも差し上げられないという事実だ。そのことが気になるのだ。でも、この私の行動、一環してないよねぇ…
万が一「招待された」「サンプルありがとうございました」とか書けば、「えっ,あの人は招待されたのに、ウチには招待が来てない」と思うような偉い先生がいるかもしれない。私の「試写で拝見しました」だって「なんで野崎に試写状が行ってウチには来ないの?」とか知らないところで反感を買っているかもしれない。
もっとも私は何かの評論で食べているわけではないから、このヘンはケースバイケースで良いのだろうとは思うのだけど…
でもこのブログを読む側の人の気持ちにたってみれば「お前それサンプルもらったから褒めてんだろ」とか言う気持ちになるのかもしれない。となると、文章の頭で対象のその音楽は自分でお金を払ったものか、もらったものか明記していくのが礼儀なのかもしれない。
うーん、悩ましい! ホントに悩ましいが、何かを言えば、そこにリスクがあるのは大小に係らず必須。一番安全なのはそりゃあ黙っていること。でもそれじゃあ世界は動かない。応援したい音楽は応援したいし。皆さんにみてほしい映画は見てほしいわけだし。
ではいったい何が重要かというと、常にそこになんらかの自分の考えがあって、そのスタイルをつらぬくことではないかと思う。生きているだけで、人に誤解されることもあるだろう。が、自分は自分なりのスタイルを考えていくしかないということだ。そして事あるごとにこういうブログとかに自分の意見を書いて、野崎はけっしていい加減な気持ちでやっているわけではないですよ、というのを分かってもらうしかないのだと思う。というわけで映画の感想はやっぱり「試写で見ました」とか今後も言っていくと思う。そして音楽については黙っていると思う。
何はともあれ悩ましい問題です。一環していないと思われるかもしれないけど、私はそういう業界に生きています。
今日もはりきっていきましょう!!!
現在ウチのライブ公演は以下の通り。
10月 ロビン・ヒッチコック来日公演(東京のみ)
11月 辺境の歌コンサート with 松田美緒、ナムガル、ナヌーク(残券わずか)
11月 THE MUSIC PLANT20周年公演 with ヴェーセン、ルナサ、ナヌーク
12月 ウォリス・バード来日公演(東京,京都)