ロビン、5年前にこんなデジタルオンリーのベスト盤出してるのよね。「CHRONOLOLOGY」(年表)タイトル通り発表年の順に並べられた楽曲群。
I WANNA DESTROY YOU
ロビン「サッチャーがいて、レーガンが翼の内側で控えており、世界の物事はすでに非常に悪かった。僕が記憶している限り、これ以上悪くならないだろうと人々は考えていたが、いつも状況は最悪だった。で,この曲を書いた(笑)。人間の根本に対するプロテスト・ソングだ」
KINGDOM OF LOVE
ロビン「のちにソロのLIVE盤で知られるようになった曲。なぜかというと、そっちは80年代の中頃に録音され、DX-7のキーボードが使われていたから。そして僕もコーラスのエフェクトを使っていたし、みんな80年代の髪型だったから。(ソフトボーイズのヴァージョンは)8トラックで録った。すごく素敵な時間だった。キンバリー・リュウと僕は、生でヴォーカルを録音し、1つのトラックにした。そして同時に「yeah! 」(笑)僕らは間違いなく同じ本の同じページを、そのページが発見されるより前に読んでいた。バンドの最高の時期だ。みんなのベストな部分を引き出していた」
THE MAN WHO INVENTED HIMSELF
THE MAN WHO INVENTED HIMSELF
ロビン「(シド・バレットについて書かれた曲?と聞かれて)いや、どちらかというとボブ・ディランのことを歌った。もしそれが誰かのことを書いた曲だったとしたら、だ。なぜ僕はこれがシドのことについて書かれた曲だと多くの人が言うのかが理解できない。僕に大きな影響を与えたのは確かだが。でもこの曲を書いたときはどちらかというとディランのことを考えていた」「僕はこのころソロになりたかった。ソフトボーイズは、もうこれ以上作品を作ることはないだろうと思ったし,実際そういう結末を迎えた。僕らにはマニアックなファンはいたが、周りが望んでいるようなことを出来るバンドじゃなかった。その後、ソフトボーイズは再結成されたりしたが、それは【Underwater Moonrights】がすごい作品だからなのだと思う。僕らの実体はケンブリッジの町でギグをやる小さなバンドだった。そりゃあアメリカにも行ったけど、天空には行けなかった、ってことさ。ヘイゼル・オコナーやトーヤや999みたいなことにはならなかった。でも僕はソフトボーイズが受けた評価を嬉しく思っている」
AMERICA
ロビン「このアルバムを80年代特有の形にしようとする人々の影響が、僕は好きではなかった。それは確かに正しい方向性に見えたかもしれないが、僕にはフィットしなかったのさ。聴衆だって、それは理解していたと思う。ファンも僕も好きじゃなかった。人が聞きたければ今,この音源はダウンロードで手にはいるけど、もう形のあるものとして再リリースをすることはないだろう」
I OFTEN DREAM OF TRAINS
ロビン「Groovy Decayを作ったあと何年か休業した。キャプテン・センシブルの歌詞を書いたりはしていたが、自分自身では活動しなかった。休業とはどういうことなのかを理解したかったのさ。4トラックのマシーンを自分で持っていたので、自分自身を多重録音することが可能だった。これが自分1人で作った最初のレコードだった。誰にも影響を受けないで制作するこということがどういうことだか知りたかったんだ。他の人の影響をすべて取り払った僕がここにある」
MY WIFE AND MY DEAD WIFE
ロビン「ソフトボーイズのアンディとモーリスとで作った。ベスト盤が出たし、なにかまだ出来る事があるのかと思ったのさ。この曲は最初のセッションから取ったもの。いい歌だよな(笑)この曲は人気がある。ライブでも良いし。カルシア・マルケスの【100年の孤独】の影響もいい」
IF YOU WERE PRIEST
ロビン「サイケデリック・ファーズをよく聞いていた。ヴィンス・イリーはファーズのドラマーで、このアルバムで演奏してくれた。ソフトボーイズの後に出て来たバンドだが、彼らは僕らよりも成功したね。僕らより成功することは彼らにとって難しいことじゃなかった。最終的には彼らのために僕らが前座をつとめたほどだ。僕がよく知っている唯一の英国のバンドだ」
BALLOON MAN
ロビン「みんな覚えているか分からないけど,この曲はバングルズのために書いたんだ。僕はメンバーの何人かと接触があった。彼らがこの曲を最終的に取り上げたのかは分からない…たぶん彼らは何もしなかったと思う。僕はA&Mレコードのためのデモとして、この曲を最初に録音した。その頃までに僕はすでにA&Mと契約をしていた。僕らはアメリカのオルタナティブ・チャートの人気ものだったのさ。そしたら、そこの重役がこれはレコードにすべきだ、と言った。それで僕はオッケーと言った。ニューヨークのよくある話だ」
MADONNA OF THE WASPS
ロビン「(【One long pair of eyes】とどちらをシングルにするかでコインを投げたって聞いたけど?という質問に)そっちは結局セカンド・シングルになったんだよ。で、こっちがファーストシングルだ。なぜかというとこっちはジャングル・ポップだから。そしてとても簡潔だ。このメロディは自分でもよく書けた旋律だと思う。ピーター・バックがこの曲に参加してくれた。アンディのハーモニーもいいだろ? スタジオでよくピーターがこの曲の口笛を吹いていたんだ。それで“そっか、この曲のメロディは頭に残るんだ。この曲を押してみる価値があるかも”と思ったんだ。【One long...】はもっとエピックというか… でも僕は今でもどちらの曲も歌っている。どちらの曲も生き残ったんだ」
QUEEN ELVIS
ロビン「この頃の僕にはバンドがあって、レコード会社がいて、マネージャーもいた。プロデューサーが決まる前、すでに僕は曲を書き上げていたが、ほとんどの曲が多くの人の意見や影響を受けていた。曲は間違いなく僕の作品ではあったのだが。僕らは他のバンドも耐えたであろう、いろんなことに耐えていた。でもこの曲については僕は自分のお金でサンフランシスコに行き、ハイドストリートでレコーディングを始めたのさ。自分の人生で重要な人間関係2つが壊れ、僕の人生にとって重要な時期だった。この頃の僕はほとんどの時間を飛行機の中ですごした。でも僕は【Queen Elvis】を録音することができたんだ」
SO YOU THINK YOU'RE IN LOVE
ロビン「この曲はシングルだが、商業的な曲ではないと思う。ちょっとラトルズっぽいよね(笑) この曲はプロデューサーのポール・フォックスのお気に入りだ。A&Mと契約したとき、僕らは音楽的な自由を100%確保したつもりだった。でも2、3枚アルバムを出すと彼らは“次の契約がほしいなら…”と言うようになった。で、ポールに会ったんだが、いい人だったよ。アルバム『Perspex Island』に使った宣伝費を考えたら,メンバー全員が不動産を持てて、もっとよいビジネスをしただろうに、と思うよ。でも、この曲は、今、聞いても悪い曲じゃない」
「Gavinという雑誌で働いている友達が言ったんだ。当時A&Mはカレッジチャートを席巻していた。彼女が言ったことには“もう1週間あるけど、翌週はニルヴァーナがあなたたちを落とすわよ”と。“ニルヴァーナって誰?” “すぐに分かるわよ”と(笑)で、それが僕たちの最後になった。これがジャングル・ポップの最後になったのさ」
「Gavinという雑誌で働いている友達が言ったんだ。当時A&Mはカレッジチャートを席巻していた。彼女が言ったことには“もう1週間あるけど、翌週はニルヴァーナがあなたたちを落とすわよ”と。“ニルヴァーナって誰?” “すぐに分かるわよ”と(笑)で、それが僕たちの最後になった。これがジャングル・ポップの最後になったのさ」
I FEEL BEAUTIFUL
ロビン「ワーナー時代の作品からはこれ1曲か… グラント・リー・フィリップスが僕をラルゴにつれていき、そこでジョン・ブリオンに出会った。メイジャーレーベルのいいところだよね。A&R担当のジェフリーは、そうやって創造的な役割を果たしてくれた」
MR KENNEDY
ロビン「このアルバム、最近聞いてないけど、悪くないよね。すごく楽しい企画だったけど、この作品をソフトボーイズとしてやるべきだったのかは分からないな」
「結局ソフトボーイズは何をやるにしても自分たちを確立する良いタイミングが見つけられなかったのだと思う。また積極的にやろうとは思わないけど、このアルバムはすごくそれに近いところまで行けたと思う」
「結局ソフトボーイズは何をやるにしても自分たちを確立する良いタイミングが見つけられなかったのだと思う。また積極的にやろうとは思わないけど、このアルバムはすごくそれに近いところまで行けたと思う」
FULL MOON IN MY SOUL
ロビン「ギリアン・ウェルチとデヴィッド・ローリングスと一緒に作った。これも幸運な偶然の産物だった。ジョナサン・デミの映画撮影中に彼らと出会ったのさ。4、5日撮影から時間があまったので、ナッシュビルに行き、そこで偶然にも彼らのパーティに飛び入りすることができた。この曲がこのアルバムの代表曲だとは言えないかもしれないが、短い曲だからいいよね(笑) 録音については、英国に帰ってからギターを追加した。デヴィットがすべてをミックスしてくれた。良い作品だ」
ADVENTURE ROCKET SHIP
ロビン「このベスト盤を聞くとわかるのは、僕がホントに人脈には恵まれている、ということだと思う。歳をとるにつれ、人とコンタクトをとるのが簡単になった。別に“彼らが気に入るかもしれない”と言って接触するわけじゃないんだ。もっとなんというか、潮がひくように、山が肩を叩くように… そんな流れなんだ」
「ピーターとは80年代の途中に共演し、90年代の途中に『Jewels For Sophia』で共演した。また10年たって、これをやったというわけさ。スコット・マッコイとビル・リーフリンも参加してくれた。彼らはR.E.M.後期のラインアップだ。大きなキャストではあるけれども、この作品の基本は2つのギター、ドラムとベース、そしてポップな曲というわけさ。少なくともそれらの僕ヴァージョンと言える」
「面白いのはこのアルバムは『Nextdoorland』よりも、よりソフトボーイズ的に聞こえる事だ」
「ピーターとは80年代の途中に共演し、90年代の途中に『Jewels For Sophia』で共演した。また10年たって、これをやったというわけさ。スコット・マッコイとビル・リーフリンも参加してくれた。彼らはR.E.M.後期のラインアップだ。大きなキャストではあるけれども、この作品の基本は2つのギター、ドラムとベース、そしてポップな曲というわけさ。少なくともそれらの僕ヴァージョンと言える」
「面白いのはこのアルバムは『Nextdoorland』よりも、よりソフトボーイズ的に聞こえる事だ」
CAUSE IT'S LOVE
ロビン「アンディ・パートリッジがほとんどやってくれた。一緒にたくさんの作品を作ったけど、完成させることが出来た曲はわずかだ。やればやるほど、未完成作品を多く作ってしまう。この頃までに僕はしょっちゅうツアーに出ていたし…アンディはツアーをしないけど、そんなわけで一緒に時間を取るのが難しかった」
「(アンディはデモをたくさんつくりますよね、という質問に)彼のデモは僕のマスターよりも洗練されているし、どれもとても輝いているよ!(笑)だから僕らはいいコンビなのかも。僕はもっとラフな感じだし… うーん、でも分からないな。でも何かが完成したと言えるとすれば、アンディがそれを決めていたし…。僕がもう充分じゃないか?と思っているののずっと後にならないと彼はオッケーを出さない。僕とアンディ以外に、誰か時間のことをジャッジする人を置く必要があったかも(笑)」
GOODNIGHT OSLO
ロビン「1982年にノルウェーをツアーしたことがある。僕はノルウェーに行ってすごく変わってしまった。モリス・ウインザーも一緒だったのだが、彼はメタボに悩んでいたのだが、彼は牛肉とイチゴとコーヒー以外、すべてを飽きらめるしかなかった(笑)7年後、彼の唯一の悪はコーヒーだったが、誰か一緒にいる人が飲めば彼は追加でもう一杯飲むといった程度だ。彼は1日12杯も飲んでいた。彼の内部に何があったのかは分からない。彼以上に不摂生な人は多く知っているし」
「この曲にはヴィーナス3以外にチェロでJenny Adejayanが参加してくれている。彼女は素晴らしいミュージシャンで、僕の英国のバンドに参加してくれていた。チェロをチェロっぽく聞かせる以外にもトロンボーンみたいな音を出したり、リズムギターやベースみたいな音を出したりすることが出来る」
「この曲にはヴィーナス3以外にチェロでJenny Adejayanが参加してくれている。彼女は素晴らしいミュージシャンで、僕の英国のバンドに参加してくれていた。チェロをチェロっぽく聞かせる以外にもトロンボーンみたいな音を出したり、リズムギターやベースみたいな音を出したりすることが出来る」
ロビン・ヒッチコックもうすぐ来日。公演は来週土曜日。10月15日。南青山マンダラにて。¥5,000 + ドリンク 詳細はここ。
PS
そうだ、ロビンですが、エンマとのこのEPを持ってくると思う。楽しみ。