ここまでいろんな方にお話を伺ってきましたが、今回は伝統音楽ファンの方もよくご存知の五十嵐正さんにお話をうかがいました。 3回に渡ってお送りいたします。長いよ!(笑)
のざき「ここまで数名の人に応援いただいているんですが、五十嵐さんにはまずスコットのことを語ってもらおうかな…」
五十嵐「スコットの存在なくして、アメリカのインディ・ロックはないだろう!」
のざき「スコットのやっているバンドたくさんあるけど、何が一番好きですか?」
五十嵐「もちろんスコットにとってのメインのバンドは、80年代半ばからやっている Young Fresh Fellowsだよね。でも、90年代半ばからマイナス5も始めて、当初のマイナス5はゲストをたくさん迎える不定形的なバンドという違いがあったけど、前回来日したときのように、メンバーが固定されるようになって、違いが曖昧になったんじゃない? 去年のモンキーズ・トリビュート的な新作「Of Monkees and Men」はYFFだったっけ?……いや、あれはマイナス5か。ほら、僕だって混同している(笑)。特に、01年にYFFとマイナス5をカップリングした2枚組のアルバムを発表してからは、バンド間の区別がはっきりしなくなったという感じ。スコットならではの独特のポップ感覚のあるメロディーという特徴は共通しているし。まあ、ステージの上では、ピーターとスコットのどっちがギターを、ベースを弾いているか、ってところかな(笑)」
のざき「モンキーズのやつは聞いていないけど、R.E.M.にとってもスコットはホントに欠かせないサポート・メンバーだよね。先週インタビューした(シンコー・ミュージックの)荒野さんは、すごいマイク(・ミルズ)好きで、声がいいって凄く言ってくれてて…。スコットの声もすごくいいけど。荒野さんは、初期のR.E.M.が好きみたいね。赤尾さんもそうだったけど。みんな初期に思い入れてんのかな」
五十嵐「その2人はロックへの熱意が人並み以上だから、早くからR.E.M.を知っていたということでしょう。マイクの歌声に関しては、確かに彼のハーモニーはあのバンドのヴォーカル・パートを支えていたね。それに、ピアノが弾けることとか、マイクのミュージシャンとしての能力はバンドに大きく貢献していた」
のざき「今,初期の話とか、R.E.M.の本を読んでいるんだけど、面白いねー。さすがI.R.Sがらみだけあって、グレン(・ティルブルック)の天敵マイルス・コープランドとか出て来ちゃってさ(笑)」
五十嵐「(笑)」
のざき「I.R.S.ってすごかったんだね」
五十嵐「弟のいるポリスが売れた金で立ち上げたわけだけど、R.E.M.が先頭を走った、いわゆるカレッジ・ロックの盛り上がりと共に大きくなっていった。ただ、創立数年でゴーゴーズの大ヒットが出たことも大きかっただろうね」
野崎「CMJって聞いていた記憶があるんだけど…」
五十嵐「聞いてたって言うのは? あ、あれか…オレの記憶が正しければ、確かガゼッタ(ラジオの制作会社)だったと思うけど、日本でもそういうことを仕掛けようとしたんだよな。アメリカのカレッジ・チャートを紹介しつつ、日本のカレッジ・チャートみたいなものを作って展開していきたい、ってね。でも、アメリカと違って、日本の大学生は聞くものが、メインストリームのポップだからさ。カレッジ・チャートを作っても、普通のヒット・チャートと変わらないものになっちゃう」
のざき「…なんか思い出してきた。89年くらいの話だと思うんだけど、TOKYO FMでやってたんだよね。日本のカレッジ・チャート。私はキングレコードに入って最初の1年は電波担当だったんだけど、ミスター・シリウスの曲がカレッジ・チャートに入って…」
五十嵐「おお、宮武さんの!」
のざき「日本のプログレがTFMでかかるって言うので、会社の会議で大騒ぎになった。あれ確か制作会社っていうよりは、学生の担当の子が私に電話かけてきてたけどね」
五十嵐「そういうカレッジ・チャートって、日本には根付かなかったよな。電波を出しているカレッジ・ラジオ自体がないわけだから。おそらく日本では各大学の放送研究会とかDJ研究会とか、そういうところに声をかけてチャートを作ってたんだと思うけどね」
のざき「タッドはR.E.M.って、好きだった?」
五十嵐「うん、もちろん。インタヴューもしたし、文章もけっこう書いてるぞ。96年にミュージック・マガジン誌に書いた彼らのキャリアを振り返る6ページの記事は我ながら良く書けていると思う。レコードはシングルもすべて買っていたから、ほぼ全部持ってるよ。だから今回『OUT OF TIME』が拡大版でリイシューされるけど、オレすでにシングルのB面とかは全部持っている。もうすべて買ってたから! 7インチ、12インチ、CDシングル…すべて持っている」
のざき「すごいね。でも、なんかあんまり五十嵐さんがR.E.M.って感じしないんだけど」(と失礼な野崎)
五十嵐「例えば、荒野君とかが、ちょうど10代とか若い頃に出会ったというドンピシャの世代なんじゃないかな。でも、オレたち年寄りにも、R.E.M.の場合は音楽の元ネタが、バーズのジャングリーな12弦ギターのサウンドとか、60年代とか70年代のリヴァイヴァル的側面があったから、訴えかけるものが、ものすごくあったんだよ。」
のざき「なるほど!」
五十嵐「だからさ、ほら、洋子ちゃんとかはTOP40研究会に所属して、あの頃MTVできらびやかなビデオ・クリップが流れて溢れていた第二次ブリティッシュ・インベイジョンみたいなものを聞いていたでしょ? まあ、オレも輸入レコード店で働いていたから、ああいうものも普通に聞いてたけど、80年代に出てきた音楽として好きだったのは、それこそR.E.M.とかドリーム・シンジケイトとかのアメリカの新しいバンドだったわけだよ」
「R.E.M.を生み出した80年代のアメリカの、今でいうインディ・ロック、当時はカレッジ・チャートの影響力から、カレッジ・ロックという言葉も使ったけど、そのムーヴメントの最初の盛り上がりは、ペイズリー・アンダーグラウンドと呼ばれたロス・アンジェルズのサイケデリック・リヴァイヴァルだった。ドリーム・シンジケートはその代表的なバンドで、来日もしたね。会場はラフォーレあたりだったと記憶しているけど、違ったっけ?(渋谷公会堂という説もあり)そのくらい、その時代のトレンディなものであったんだよね。そして、ペイズリー・アンダーグラウンドから出てきて、メジャーで一番売れたのが、たぶん洋子ちゃんも知ってるバングルズ」
のざき「バングルズは、TOP40やってたウチらでも知ってた」
五十嵐「ペイズリー・アンダーグラウンドのもうひとつの代表的バンドのスリー・オクロックは近年再結成して活動中で、一昨年フジロックにも来て話題にもなったんだ」
のざき「じゃあ、ドリーム・シンジケートも新譜出すみたいだし、WHY NOTだよね」
五十嵐「名作『酒と薔薇の日々 The Days of Wine and Roses,』が82年だったっけ。20周年記念盤もあったけど、一昨年にも再びボーナス・トラックを加えて再々リリースされた。ドリーム・シンジケートは89年に解散したんだけど、2010年代に入って再結成したんだね。スティーヴもミラクル3を率いてのソロ活動を中心に、いろんなプロジェクトを並行してやってきた。 もっとオルタナ・カントリー寄りダニー&ダスティとか、カレッジ・ロックの重要バンドのメンバーがずらり顔を揃えたガターボールとか。もちろんベースボール・プロジェクトも」
こちらが、ミラクル3。かっこいい! リンダもドラムを叩いてる。
Steve Wynn & The Miracle 3
Gutterball
五十嵐「あと、スペインでかなり人気があって、よくツアーに行くので、スペインのミュージシャンとのプロジェクトもあったね。スコットとかもそうだけど、仲良くなったミュージシャンと、じゃあ何か一緒にやろうかみたいなのりで、バンドやプロジェクトが次々と生まれるんだね。メジャー・レ―ベルにいないから、何年毎にアルバム作って、発売後はツアーしてプロモーションで忙しいとか、そういう縛りがないから。やりたいことができるよね。彼らは皆そういう活動なんだよね。スコットが一番良い例なんだけど、友達/交流がそのままバンドになる。そうだ、スティーヴの話で、言っておきたいのは、彼がドリーム・シンジケートを結成したきっかけがね、なんとスプリングスティーンなんだよ」
のざき「えっ、そうなの?」(すべての道はスプリングスティーンに通じる)
五十嵐「もちろんそれ以前からバンドはやってたんだけど、78年の「ダークネス(闇に吠える街)」のツアーを見に行って、ぶっ飛ばされて、ドリーム・シンジケートの前身バンドを始めた。「Uncut」(英音楽誌)のスプリングスティーンの特集記事に文章を寄せていたよ。とにかくすごい衝撃を受けて、ドリーム・シンジケートを一緒にやることになるケンドラ・スミスを誘って、次のショウをまた見に行った。スティーヴも書いていた。「スプリングスティーンのコンサートの当日券を買える時代もあったんだ」と(笑)」
のざき「それは、今じゃ考えられないものね(笑)」
五十嵐「それで、ケンドラも同じくぶっ飛ばされ、2人は本気で音楽をやる刺激を受けたんだね」
のざき「すごい影響力!」
五十嵐「もちろんスティーヴたちはパンクにもすごい影響受けていたんだけど、“パンクにもポーズがあった”って彼は言うんだ。“反抗のポーズ”とかね。”ある意味ではプログレ以上にポーズがあり、芝居がかっているかもしれない”とも。でもスプリングスティーンにはそれがまったくない、と。「心からの熱意と恐れを知らないエキサイトメント」があって、それはパンクと対照的だともね。パンクにはシニシズムがあるから」
のざき「いいねぇ!!」
五十嵐「で、その熱気に浮かされるように、ケンドラとバンドを始めたバンドが母体になって、数年後に結成されたのが、ドリーム・シンジケートなんだ。まあ、サウンド的にはサイケデリックとか、もちろんヴェルヴェッツの影響が強いんだけど。ケンドラがニコの歌を歌っているレコードもあったね…」
のざき「影響がどこから来てるかって見分けるのが難しいですよね。1つじゃないし」
五十嵐「でも、ソングライターとしてのスティーヴは、なんだかんだいっても、ディランでしょう。もちろんルー・リードの影響も大きいだろうけど、ルーだってディランに強い影響を受けているんだし。スティーヴは文学青年で、やっぱり本をよく読んでいて、ハードボイルドとかゴシックとか、小説からインスピレーションを得た作品も多いよね。まあ、だから、ソロになってからは、英語圏ではない日本では難しいのかもな、とも思うね。歌の世界が重要だから。ドリーム・シンジケートというと、サイケなサウンド、ギターのフィードバックとかドロ―ン的な使い方とかのサウンドのカッコよさで日本でも人気があったんだと思うけど、スティーヴ・ウインの、あの優れた曲を作るソングライターとしての才能を今一度評価してほしいよね」
2月7日 京都 磔磔
2月9日 渋谷 WWW
2月10日 渋谷 WWW
詳細はこちら http://www.mplant.com/icestation
with ナヌーク、カート・ブロック、ピーター・バック、スコット・マッコイ、マイク・ミルズ、リンダ・ピットモン、スティーブ・ウイン
チケットですが本日より「当日精算」で受け付けております〜 どうぞよろしく!
PS
こちらは五十嵐正さんのすばらしい著作の数々。特に「ヴォイセズ・オブ・アイルランド」「アコースティック・ギター・ディスクガイド」にはTHE MUSIC PLANTのアーティストのインタビューも多数紹介されていますよ。
★ ★ ★
のざき「ここまで数名の人に応援いただいているんですが、五十嵐さんにはまずスコットのことを語ってもらおうかな…」
五十嵐「スコットの存在なくして、アメリカのインディ・ロックはないだろう!」
のざき「スコットのやっているバンドたくさんあるけど、何が一番好きですか?」
五十嵐「もちろんスコットにとってのメインのバンドは、80年代半ばからやっている Young Fresh Fellowsだよね。でも、90年代半ばからマイナス5も始めて、当初のマイナス5はゲストをたくさん迎える不定形的なバンドという違いがあったけど、前回来日したときのように、メンバーが固定されるようになって、違いが曖昧になったんじゃない? 去年のモンキーズ・トリビュート的な新作「Of Monkees and Men」はYFFだったっけ?……いや、あれはマイナス5か。ほら、僕だって混同している(笑)。特に、01年にYFFとマイナス5をカップリングした2枚組のアルバムを発表してからは、バンド間の区別がはっきりしなくなったという感じ。スコットならではの独特のポップ感覚のあるメロディーという特徴は共通しているし。まあ、ステージの上では、ピーターとスコットのどっちがギターを、ベースを弾いているか、ってところかな(笑)」
のざき「モンキーズのやつは聞いていないけど、R.E.M.にとってもスコットはホントに欠かせないサポート・メンバーだよね。先週インタビューした(シンコー・ミュージックの)荒野さんは、すごいマイク(・ミルズ)好きで、声がいいって凄く言ってくれてて…。スコットの声もすごくいいけど。荒野さんは、初期のR.E.M.が好きみたいね。赤尾さんもそうだったけど。みんな初期に思い入れてんのかな」
五十嵐「その2人はロックへの熱意が人並み以上だから、早くからR.E.M.を知っていたということでしょう。マイクの歌声に関しては、確かに彼のハーモニーはあのバンドのヴォーカル・パートを支えていたね。それに、ピアノが弾けることとか、マイクのミュージシャンとしての能力はバンドに大きく貢献していた」
のざき「今,初期の話とか、R.E.M.の本を読んでいるんだけど、面白いねー。さすがI.R.Sがらみだけあって、グレン(・ティルブルック)の天敵マイルス・コープランドとか出て来ちゃってさ(笑)」
五十嵐「(笑)」
のざき「I.R.S.ってすごかったんだね」
五十嵐「弟のいるポリスが売れた金で立ち上げたわけだけど、R.E.M.が先頭を走った、いわゆるカレッジ・ロックの盛り上がりと共に大きくなっていった。ただ、創立数年でゴーゴーズの大ヒットが出たことも大きかっただろうね」
野崎「CMJって聞いていた記憶があるんだけど…」
五十嵐「聞いてたって言うのは? あ、あれか…オレの記憶が正しければ、確かガゼッタ(ラジオの制作会社)だったと思うけど、日本でもそういうことを仕掛けようとしたんだよな。アメリカのカレッジ・チャートを紹介しつつ、日本のカレッジ・チャートみたいなものを作って展開していきたい、ってね。でも、アメリカと違って、日本の大学生は聞くものが、メインストリームのポップだからさ。カレッジ・チャートを作っても、普通のヒット・チャートと変わらないものになっちゃう」
のざき「…なんか思い出してきた。89年くらいの話だと思うんだけど、TOKYO FMでやってたんだよね。日本のカレッジ・チャート。私はキングレコードに入って最初の1年は電波担当だったんだけど、ミスター・シリウスの曲がカレッジ・チャートに入って…」
五十嵐「おお、宮武さんの!」
のざき「日本のプログレがTFMでかかるって言うので、会社の会議で大騒ぎになった。あれ確か制作会社っていうよりは、学生の担当の子が私に電話かけてきてたけどね」
五十嵐「そういうカレッジ・チャートって、日本には根付かなかったよな。電波を出しているカレッジ・ラジオ自体がないわけだから。おそらく日本では各大学の放送研究会とかDJ研究会とか、そういうところに声をかけてチャートを作ってたんだと思うけどね」
のざき「タッドはR.E.M.って、好きだった?」
五十嵐「うん、もちろん。インタヴューもしたし、文章もけっこう書いてるぞ。96年にミュージック・マガジン誌に書いた彼らのキャリアを振り返る6ページの記事は我ながら良く書けていると思う。レコードはシングルもすべて買っていたから、ほぼ全部持ってるよ。だから今回『OUT OF TIME』が拡大版でリイシューされるけど、オレすでにシングルのB面とかは全部持っている。もうすべて買ってたから! 7インチ、12インチ、CDシングル…すべて持っている」
のざき「すごいね。でも、なんかあんまり五十嵐さんがR.E.M.って感じしないんだけど」(と失礼な野崎)
五十嵐「例えば、荒野君とかが、ちょうど10代とか若い頃に出会ったというドンピシャの世代なんじゃないかな。でも、オレたち年寄りにも、R.E.M.の場合は音楽の元ネタが、バーズのジャングリーな12弦ギターのサウンドとか、60年代とか70年代のリヴァイヴァル的側面があったから、訴えかけるものが、ものすごくあったんだよ。」
のざき「なるほど!」
五十嵐「だからさ、ほら、洋子ちゃんとかはTOP40研究会に所属して、あの頃MTVできらびやかなビデオ・クリップが流れて溢れていた第二次ブリティッシュ・インベイジョンみたいなものを聞いていたでしょ? まあ、オレも輸入レコード店で働いていたから、ああいうものも普通に聞いてたけど、80年代に出てきた音楽として好きだったのは、それこそR.E.M.とかドリーム・シンジケイトとかのアメリカの新しいバンドだったわけだよ」
「R.E.M.を生み出した80年代のアメリカの、今でいうインディ・ロック、当時はカレッジ・チャートの影響力から、カレッジ・ロックという言葉も使ったけど、そのムーヴメントの最初の盛り上がりは、ペイズリー・アンダーグラウンドと呼ばれたロス・アンジェルズのサイケデリック・リヴァイヴァルだった。ドリーム・シンジケートはその代表的なバンドで、来日もしたね。会場はラフォーレあたりだったと記憶しているけど、違ったっけ?(渋谷公会堂という説もあり)そのくらい、その時代のトレンディなものであったんだよね。そして、ペイズリー・アンダーグラウンドから出てきて、メジャーで一番売れたのが、たぶん洋子ちゃんも知ってるバングルズ」
のざき「バングルズは、TOP40やってたウチらでも知ってた」
五十嵐「ペイズリー・アンダーグラウンドのもうひとつの代表的バンドのスリー・オクロックは近年再結成して活動中で、一昨年フジロックにも来て話題にもなったんだ」
のざき「じゃあ、ドリーム・シンジケートも新譜出すみたいだし、WHY NOTだよね」
五十嵐「名作『酒と薔薇の日々 The Days of Wine and Roses,』が82年だったっけ。20周年記念盤もあったけど、一昨年にも再びボーナス・トラックを加えて再々リリースされた。ドリーム・シンジケートは89年に解散したんだけど、2010年代に入って再結成したんだね。スティーヴもミラクル3を率いてのソロ活動を中心に、いろんなプロジェクトを並行してやってきた。 もっとオルタナ・カントリー寄りダニー&ダスティとか、カレッジ・ロックの重要バンドのメンバーがずらり顔を揃えたガターボールとか。もちろんベースボール・プロジェクトも」
こちらが、ミラクル3。かっこいい! リンダもドラムを叩いてる。
Steve Wynn & The Miracle 3
Gutterball
五十嵐「あと、スペインでかなり人気があって、よくツアーに行くので、スペインのミュージシャンとのプロジェクトもあったね。スコットとかもそうだけど、仲良くなったミュージシャンと、じゃあ何か一緒にやろうかみたいなのりで、バンドやプロジェクトが次々と生まれるんだね。メジャー・レ―ベルにいないから、何年毎にアルバム作って、発売後はツアーしてプロモーションで忙しいとか、そういう縛りがないから。やりたいことができるよね。彼らは皆そういう活動なんだよね。スコットが一番良い例なんだけど、友達/交流がそのままバンドになる。そうだ、スティーヴの話で、言っておきたいのは、彼がドリーム・シンジケートを結成したきっかけがね、なんとスプリングスティーンなんだよ」
のざき「えっ、そうなの?」(すべての道はスプリングスティーンに通じる)
五十嵐「もちろんそれ以前からバンドはやってたんだけど、78年の「ダークネス(闇に吠える街)」のツアーを見に行って、ぶっ飛ばされて、ドリーム・シンジケートの前身バンドを始めた。「Uncut」(英音楽誌)のスプリングスティーンの特集記事に文章を寄せていたよ。とにかくすごい衝撃を受けて、ドリーム・シンジケートを一緒にやることになるケンドラ・スミスを誘って、次のショウをまた見に行った。スティーヴも書いていた。「スプリングスティーンのコンサートの当日券を買える時代もあったんだ」と(笑)」
のざき「それは、今じゃ考えられないものね(笑)」
五十嵐「それで、ケンドラも同じくぶっ飛ばされ、2人は本気で音楽をやる刺激を受けたんだね」
のざき「すごい影響力!」
五十嵐「もちろんスティーヴたちはパンクにもすごい影響受けていたんだけど、“パンクにもポーズがあった”って彼は言うんだ。“反抗のポーズ”とかね。”ある意味ではプログレ以上にポーズがあり、芝居がかっているかもしれない”とも。でもスプリングスティーンにはそれがまったくない、と。「心からの熱意と恐れを知らないエキサイトメント」があって、それはパンクと対照的だともね。パンクにはシニシズムがあるから」
のざき「いいねぇ!!」
五十嵐「で、その熱気に浮かされるように、ケンドラとバンドを始めたバンドが母体になって、数年後に結成されたのが、ドリーム・シンジケートなんだ。まあ、サウンド的にはサイケデリックとか、もちろんヴェルヴェッツの影響が強いんだけど。ケンドラがニコの歌を歌っているレコードもあったね…」
のざき「影響がどこから来てるかって見分けるのが難しいですよね。1つじゃないし」
五十嵐「でも、ソングライターとしてのスティーヴは、なんだかんだいっても、ディランでしょう。もちろんルー・リードの影響も大きいだろうけど、ルーだってディランに強い影響を受けているんだし。スティーヴは文学青年で、やっぱり本をよく読んでいて、ハードボイルドとかゴシックとか、小説からインスピレーションを得た作品も多いよね。まあ、だから、ソロになってからは、英語圏ではない日本では難しいのかもな、とも思うね。歌の世界が重要だから。ドリーム・シンジケートというと、サイケなサウンド、ギターのフィードバックとかドロ―ン的な使い方とかのサウンドのカッコよさで日本でも人気があったんだと思うけど、スティーヴ・ウインの、あの優れた曲を作るソングライターとしての才能を今一度評価してほしいよね」
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ICE STATION、開催までもうすぐ。渋谷と京都で公演があります。2月7日 京都 磔磔
2月9日 渋谷 WWW
2月10日 渋谷 WWW
詳細はこちら http://www.mplant.com/icestation
with ナヌーク、カート・ブロック、ピーター・バック、スコット・マッコイ、マイク・ミルズ、リンダ・ピットモン、スティーブ・ウイン
チケットですが本日より「当日精算」で受け付けております〜 どうぞよろしく!
PS
こちらは五十嵐正さんのすばらしい著作の数々。特に「ヴォイセズ・オブ・アイルランド」「アコースティック・ギター・ディスクガイド」にはTHE MUSIC PLANTのアーティストのインタビューも多数紹介されていますよ。