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2017年1月16日月曜日

ICE STATION講座 第3回:赤尾美香さん(1)

さて、前回の畔柳ユキさんの登場も大好評だったこのシリーズ。ユキさんに続くのは……R.E.M.といえば、この方!!! 音楽ライターの赤尾美香さんに語っていただく事にしました。いえ〜い。

で、年末にランチがてら小川町でお話をうかがったのですが、今回は私たちの会話そのまま掲載することにした… ちょっと2人して、ミーハーっぽいけど(笑)でもこの勢いというか、赤尾さんの「R.E.M. 愛」が,皆さんに伝わるように!! 普段きっちりした音楽評論を書かれている赤尾さんだけに、こんな感じも可愛いくって良いでしょう?(笑)

まずは第1回をお送りいたします。全部でおそらく4回の掲載になります。お楽しみに〜

ICE STATION講座、各記事へのリンク
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 畔柳ユキさん 前半 / 後半

 赤尾美香さん  /  / 

★ ★ ★

のざき「このインタビューは、この辺りの音楽が詳しい人にいろいろ聞いているのだけど、最初ユキさんにカート・ブロックとシアトル界隈の話を聞いて、次に赤尾さんにピーターの話をお願いし、スコットをクロスビートの荒野くんに頼もうと思ったら荒野くんは“マイクがいい!”とか言うので、彼にはマイクについてしゃべってもらおうか〜と思いつつ、もうこのあとは別に誰がどのミュージシャン語るってことで、1人ずつでなくてもいいのかな、と思ったりしていて…」

赤尾「それいいかもよ。私は主にピーターとスコットの話になるかな。ピーターは大親友のスコットと出会えて本当に良かったよね」

のざき「あの2人仲いいよねぇ。ずっと一緒にいるものね。今回来日するマイク・ミルズはどんな人なんだろう」

赤尾「絶対にいい人だよ。いつか映画祭で来日してたけれど…“R.E.M.のメンバー来日!”とだけ告知されていて、いったい誰が来るんだろうって、みんな盛り上がていたのだけど、結局マイクが来るって発表されて、みんなで“やっぱりね”となった」(1996年東京国際ファンタスティック映画祭で『ロードムービー』が上映された際の舞台挨拶)

のざき「なんだかんだいって、親日家だね」

赤尾「数は来てないけどね」

のざき「カートは日本初めてかな…」

赤尾「いや、そんなことはないと思うよ。キムとカートの写真がどっかにあったような…(ちなみに事務所に戻り書類を調べたら3回来日した経験があるとか)あの頃のオルタナ好きには……私などにとっては、ファストバックスはサブ・ポップの重鎮、ってイメージがあるからね。でもって、そういう人こそ売れないのよね」

のざき「赤尾さんの好きな“売れない路線”か?(笑)でも赤尾さん、自分の看板になる音楽があるって素晴らしいですよ。ない音楽ライターさん、多いですから。日本じゃR.E.M.を始めとするアメリカのロックといえば赤尾さんですから」

赤尾「滅相もない。もっと人様のために活用できる看板だったら良かったのだけどね…」

のざき「何をおっしゃいますか! ぜひピーターのために」

前回の来日(2006年)の時の
ピーターとビル・リーフリン
赤尾「そうね、ピーターのためだけに(笑)。しかし私にとってはここ1年くらい奇跡のよう。ダミアン(・ライス)が来て、ウィルコが来て、パンチ・ブラザーズも来て。この前はライアン(・アダムス)が来て,今度2月にピーターでしょ。ありえない!」

のざき「絶賛赤尾祭り開催中だよね!」

赤尾「私だけがこんなに幸せでいいの、ってくらい」

のざき「まぁ,でも他はともかくライアンが来たのはすごいよね」

赤尾「単独来日までは、16年待ったからね! よく実現した。もっとも今回は、オーストラリアまでは来ていたし…。でも海外での規模と比べると日本はお客さんが集まらないよね。本人は楽しそうだったけど…」

のざき「公演の評判よかったのでしょ?」

赤尾「でも個人的には、バンドがいまいちだったかなー。はじまったばかりのバンドで、まだ固まってなかったし…」

のざき「厳しい! でものきなみ評判は良かったと思うけど。でもそんなのはウチの公演も一緒で、みんな良かった良かったって評価しているけど、内側ボッロボロ。成功しているように見えても、みんなそれぞれ事情がある。もう夢だけ売る仕事じゃいられないのだよ、みたいなのはあるわな」

赤尾「そうだねー。もう夢がどうこうって時代じゃないのかもね」

のざき「お客さんにも実態バレてるしね。……だからR.E.M.だって辞めちゃうことなかったのにね(と、いきなりそこをついて行く野崎!?)」

赤尾「最近のインタビューでまたピーターが“休んでいるだけ”みたいなこと言ってて、“おいっっ!?”って思ったのだけど…。でもこの前会ったビル(・リーフリン)は(再結成は)絶対にないって言ってたじゃない?」(ビルがキング・クリムゾンで来日した時、私と赤尾さんと3人でお寿司を食べに行ったのでした)意外と端で見ている人の方が冷静に見えている気がするし…」

のざき「でも分からないよ。あぁいうのって夫婦みたいなもんで、めちゃくちゃ近くにいる人でも分からない」

赤尾「単発ではありえるかもね。でもツアーはないと思うんだ。ツアーしたい人としたくない人は一緒に出来ないと思うし」

のざき「なるほどねー。マイケル・スタイプはツアーしたくないのか。で、たまに公の場に出てきてセレブ扱いされるのがいいのか? で、ピーターとマイクは年中ツアーしていたい方でしょ?」

赤尾「そう、常に音楽にふれていたい、って人たちなのよね」

プロモ用の写真をくれ、といったら
ホントに本人がこんな写真を送ってきた。
ピーターらしい❤
のざき「ほんとピーターは音楽小僧だものね。しかし彼らすごいよ。今,楽器の手配をやっているのだけど、本当に彼ら楽器を選ばない。ギター・アンプとかも3台しかないよ、とか言ったら、これもスコットがなんとかしてくれちゃって…。本来こういうバンドが来日する時ってライダーって呼ばれるきちんとした図面が必要なのだけど、こういう寄せ集めバンドだからライダーも何もない。ステージの上にこれだけ出しておいてくれれば、そのままやるから!みたいな状態。マイクのベースも、スコットがレンタルする奴の使い回しでオッケーみたいな…とにかく偉い人ほどウルサくないというか…全然平気なんだよね。すごいよね。めっちゃ慣れている感じ」

赤尾「私、スノーボードする時、借りたやつじゃすべれないけど(笑)。上手い人はそうなのよね。道具を選ばない」

のざき「それにしても、赤尾さんはピーターの家に双子が生まれたときナニーになりたかったとか(笑)。今さらだけど、赤尾さんにはR.E.M.の重要性を語ってもらわなくちゃ」

赤尾「今回たまたま『Out Of Time 』のリイシューにからむ原稿を書いていて、改めて思い出したのだけど、そもそもR.E.M.っていうのは自主制作でシングル1枚出して、そのあとI.R.S.と契約して、もうデビュー作から全米チャートには入っているのね。あの時代のインディでそれが出来ているっていうことは、ある程度完成していた、と。そういう事なんじゃないかと思う。のちに大きくヒットする素養はすでに充分あったんだろうな、と。ほぼ同じ時期にCMJがわっと盛り上がって来た時期で、それが追い風になってR.E.M.が表舞台に行ったんだろうね。だからI.R.S.からの最後のアルバムの時はもう、セールス100万枚を超えているわけよ。全米トップ10にも入っていた。で、7億円くらいでワーナーと契約したのが、同時のメジャー移籍の最高額でとても話題になった。メジャーの方もそういうCMJのスターが欲しくってしょうがなかった。ただ時代は(ナショナル・)チャートを見ると、ポップス全盛期。まぁポップスが人気なのは今も同じだけど、ポーラ・アブドゥルとか、ヴァニラ・アイスとか、そういうのがメインだった」

のざき「ワーナー移籍一発目のアルバムというと…」

鎌倉に電車で行ったよ。
ピーターが手をふってくれたのがちょっと感動
赤尾「『Green』だよね。88年かな…で、89年の《Green World Tour》で2度目の来日をしている。84年が1度目の来日。まだ私も学生だった。彼ら、専修大学の学祭に来たんだよ(女子短大に通う赤尾は専大のサークルに入っていた)。横浜国大とか早稲田とか、全部で10校くらい回っているの。カレッジ・チャートから出て来たバンドだったし、それをソニー(当時のI.R.S.の日本発売元)は狙ったんだよね。でもこの時期って言ったらまだ第二次ブリティッシュ・インヴェイジョンの勢力が残っていてデュラン・デュランとかが人気があって、MTVも全盛期に突入してヴァン・ヘイレン『1984』とか大ヒットしてたよね。だから、CMJとかいうわけの分からないものって、なかなか受け入れられなかった…でもって、私は、学生プロレスを見に行くはめになって見てないのよ、この時のR.E.M.!!! 専修大学にはいたのに〜」

のざき「CMJってたしかにラジオとかでもやってたよね? この頃は、私もちゃんと音楽を聴いていた。TOP40研究会に入っていたし」

赤尾「TOP40研究会の人がその延長でCMJもチェックするとか、もしくはTOP40嫌いだからこっちに行くとかあったよね」

のざき「あの頃、今考えると可笑しいけど妙なチャート信仰あったよね…。各大学にTOP40愛好会あったし…」

赤尾「そしてその来日から3年ほど経って『Document』っていうI.R.S.の最後のアルバムがヒットしちゃうわけ。そんなお土産付きでメジャーに行ったのよ」

のざき「それで、来日…か。この時はどこでやったのだっけ?」

赤尾「MZA有明」

のざき「あったね! そういう小屋。で、これは赤尾さんも観た?」

赤尾「観た。眼鏡とばされて踏まれて壊された…2列目で見た。まだ東京のオーディエンスが、スタンディングの公演に慣れてなかった頃だよ。もうミュージック・ライフで働いていたから、公演に行って取材もしてる。でもその時はね、取材相手はマイケルだった。ピーターじゃなくって、マイケルとビルのチーム。なのに私、ピーターがゴジラ好きだっていうのばかり頭にあって、編集部の先輩とゴジラのチョロQをお土産に持参したんだ。マイケルが、それで遊んでくれたよ」

日本のあとがオーストラリアツアーだったため、
ピーターがファンの人から頂いたゴジラはウチで預かった。
現在は赤尾邸に保管中。
のざき「なるほどインタビューを2つのチームに分けてやってたんだ!」

赤尾「その時のマイケルは、まだ“ガールフレンド”が一緒に来ていてね。ふたりとも風貌からして似てて、揃って豆腐ばっかり食べてるってワーナーの人が言っていたのを、すごく覚えてる」

のざき「爆笑! でも当時日本食ってちょっとすごいじゃん? 今でこそみんな豆腐食べているけど。マイケルさすがだね!」

赤尾「その時に、先日亡くなったカメラマンの桑元正士さんが写真を撮ってくれたんだよね」

のざき「そうだ、言ってたね…。思い出ですなぁ! そんな昔から知っているんだ」

赤尾「でも、《Green World Tour》の日本公演はMZA有明で、これはスタンディングのクラブだよね。私は同じ年の夏にアメリカに観に行っているんだけど、その時の会場はもうアリーナなんだよ。15,000人〜20,000人規模のアリーナ」

のざき「そんなに差が出ちゃってたんだ。で、赤尾さん的にはこの頃、R.E.M.に完全に行ってるわけだよね?」

赤尾「厳密には、もうちょっと前から。『ドキュメント』の少し前から行っちゃってる(笑)」

のざき「すごいなぁ」

赤尾「でもね、この数日、R.E.M.を好きになったきっかけとか理由を考えているのだけど、分からないのよね」

のざき「そういうものよね、恋に落ちるときはね(笑)」


赤尾/のざき「がははははははははは」(と,2人で高笑い)


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こちらはグリーンの「TOUR FILM」から


ICE STATIONは、2月7日 京都、2月9、10日 渋谷で、R.E.M.のピーター・バック、マイク・ミルズ参加のもと行なわれます。

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赤尾さんが担当された名著の数々