ICE STATION講座 第4回:赤尾美香さん(2)

さて、お送りしておりますICE STATION講座。赤尾美香さんの第2回目です。さてここからはR.E.M.にのめり込んでしまった赤尾さんの行く末が語られていきます。

ICE STATION講座、各記事へのリンク
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 畔柳ユキさん 前半 / 後半
 赤尾美香さん  /  / 

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赤尾「(R.E.M.)ズボーッと深くのめり込んだのは、会社に入ってからだから87年かな。フーターズとR.E.M.に、とにかくやられちゃったわけ! 私の人生この2つのバンドに捧げます!みたいな。そのくらい大好きになっちゃって。幸いなことに周りに先輩がいっぱいいたから、R.E.M.が好きならあれを聴いてみろ、これを聴いてみろ、って色々教わった。それで遅まきながらヴェルヴェット・アンダーグラウンドを聴き、バーズを初めて聴いたのも、この時なの。10代の頃は、デュラン・デュラン、ジャパン、デヴィッド・ボウイ、クイーンに愛を捧げる、80年代の正しい日本の洋楽女子だったから」

のざき「広がるねぇ!」
この回の対談の終わりの方に出て来るR.E.M.本
カラーのページもあるよ!

赤尾「しかも、私がR.E.M.に惹かれたのは、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド的な要素よりも、バーズの要素が大きかったんだね。で、そこからどんどんルーツ系に行っちゃった」

のざき「すごいね! 出会いのバンドなんだね! 赤尾さんにとっては重要なバンド」

赤尾「そうよ、そうよ、この人たちがいなかったら、自分の人生全然違う」

のざき「そこで道を誤ったとも言えるけど…」

赤尾「そう!(笑)ほんとは今頃ビヨンセを語れる女になっていたかもしれないのに、この人たちのせいで、ライアン・アダムスとかニーコ・ケースとか言うような女になってしまった…」

のざき「いいじゃないですか!」

赤尾「当時アメリカで観たライヴがすごくってね! 日本ではCMJ=大学生が聴くインテリ音楽みたいな、そういう語られ方をしてて。もちろんそれは間違いじゃないけど、難しく語られすぎちゃったよね。アメリカで初めて彼らのライヴを観た時にそう思ったよ。とにかく、かっこよかったの。今で言うところの“やべー、こいつらー ちょーかっけー”みたいな(笑)。もうマイケルのメイクといい、動きといい…、そしてピーターが飛ぶのよ!! ギターの位置がめっちゃ低くって! リッケンバッカーを、お前はクラッシュか!?っていうくらい低い位置で弾いて、かと思うと飛び上がり…。その飛んだ写真とかを仕事場のデスクに貼ってた(笑)」

のざき「ギター小僧が好きなんだね、赤尾さんね…」

赤尾「ギター持ってかっこいい人が好き。だからアメリカでライヴを観て思ったのね、なんだ、この人たち普通にロックン・ロール・バンドじゃんって。なぜあんなに難しく捉えられているのかな、語られているのかな、って思ったよ。それ以降ずっと、その思いはあった。それで、音楽雑誌の編集者からフリーのライターになって20年、そのことを上手く伝えられなくて、ずっと歯がゆい思いをしたな。彼ら、本国のアメリカですらツアーしない時期もあったけど、ひとまずツアーに出ればちゃんとコンサートは観られたからね。かっこいい彼らをちゃんと見ることができた。だけど、日本人はそれが見られなかったというのが、R.E.M.が日本で過小評価されている大きな理由の1つだと思う。89年の後、2回来日してて、これは武道館でやったんだけど…」

のざき「最後のやつは2005年だよね。私がロビン・ヒッチコックと一緒に呼ぶ1年前の…」

赤尾「そうそう。だから数としては圧倒的に来日していない。純粋にかっこいいロック・バンドっていうところじゃなくて、妙に精神性が取り上げられちゃった。マイケル・スタイプのカリスマ性とか。アメリカの社会派ってことにもなっちゃった。それも事実なんだけど、かっこいい!から入って深堀してそこへ行くのと、いきなりそこを差し出されるのでは、全然違う」

のざき「そもそも、この頃のロックってさ、メディアがもう絶対的に紙媒体じゃない? 電波はポップスしかもうかからなかった時代でしょう? そんな中、紙で音楽伝えようとすると、そうなる傾向になるわな…」

赤尾「ミュージック・ライフはそれなりに頑張っていたけれど、ファンにはロッキン・オンみたいなインタビューがどうしても好まれてしまう。精神論的なところとか…。同じような不幸をパール・ジャムが継承してしまったね。ニルヴァーナはまた次元が違うんだけど。でも時系列をたどってみれば、ニルヴァーナはR.E.M.がいなければ表舞台には出てこられなかったバンドだと私は思っていて。メジャーに行って自分たちのクリエイティヴ・コントロールを全部キープしながら活動を続けられたR.E.M.って、あの頃のロック・バンドの理想だったと思う。カート(・コバーン)は“R.E.M.はビッグになったけど、こんなアルバムを作っていいんだ?”みたいな事を常に思っていたというけれど、確かにそういう事を一番最初にやったバンドだと思うんだよね」

 
貴重な写真もいっぱい
「当時メジャーに行く、っていうことはとても大きかった。それは自分たちを売る、ってことでもあったから。でも、グランジの前夜に、R.E.M.がそれを実現させた。同じ時期にソニック・ユースもメジャーに移っているんだけど、この2つのメジャー移籍って、ロック史の中で大きなことだと言われていて、実際、後続の若者たちはメジャーに行っても自分の音楽をできるんだって勇気を与えられたと思う。でもいざ行ってみると…なかなかね。ソニック・ユースもR.E.M.もインディ時代の実績が違うから、まったく同じようには行かないケースが多かった。ソニック・ユースにはコアなファンがちゃんとついていて、R.E.M.はすでに数字的にもちゃんと結果が取れていた。そういう人たちが契約していくから自由が得られるわけであって、誰でも彼でもメジャーで自由が得られるわけではないわけよ。で、現実を目の当たりにしたグランジ勢がバタバタと倒れて行く…みたいな事かな。ところでR.E.M.の本は読んだ?」

のざき「えっ。そんなのがあるんだ!」

赤尾「今,手に入らないかも。貸してあげるよ」

のざき「いや、買う、買う」

赤尾「たぶん手にはいらないよ。絶版なのは間違いない。送ってあげるよ。すごく面白くてスラスラ読めるよ。今思えば、良く日本語版が出たよね。時系列がクロスするから分かりにくいところあるのだけど、いい本だよ。初めてピーターとマイケルがレコード屋さんで会って、マイケルが可愛い女の子2人連れてて“いいなぁ”とピーターが思っていたら,実はそれは姉妹だった…みたいな。あとピーターはお父さんに“男は30になるまで結婚するな”と言われていて彼はそれを守った…とか、そういうくだらないことばかり覚えてるけど!(笑)」

のざき「へぇー、いいなぁ!」

赤尾「送ってあげるよ」

のざき「うわぁ、是非お願いします。着払いでいいので…」(でもこの本はのちほどAmazonの中古で手にいれることが出来た)


赤尾「訳しているのは沼崎敦子さんと言ってポップ・ギアの編集部にいた人。彼女もCMJ周りは強かったね」

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というわけで、この本を読んでみました。ソニー・マガジンズから出ていて、なんと横書き! まぁ、バンド名がこれだから縦書きにしにくかったのかもだけど、DTP黎明期?なのか行間のピッチのせいかな…すごく読みにくい。そして「OUT OF TIME」が出る前にさっくり終わっちゃう! えっ、これからじゃないの?! ってなわけで、現在野崎は洋書のR.E.M.「Perfect Circle」を読み始めました。でもピーターたちが来日するまでに読み終わるかな…

ICE STATION、開催までもうすぐ。
渋谷と京都で公演があります。
2月7日 京都 磔磔
2月9日 渋谷 WWW
2月10日 渋谷 WWW
詳細はこちら http://www.mplant.com/icestation
with ナヌーク、カート・ブロック、ピーター・バック、スコット・マッコイ、マイク・ミルズ、リンダ・ピットモン、スティーブ・ウイン
  



赤尾さんが担当された名著の数々