ICE STATION講座:特別寄稿 バーティス・ダウンズ氏インタビュー(和田静香さん)

さて本日はそもそも和田静香さんにR.E.M.愛を語っていただくシリーズの2回目を掲載予定だったのですが、緊急特別企画! 

なんとR.E.M.のマネージャー、バーティス・ダウン氏に和田さんがインタビューすることが出来たので、和田静香さんの特別寄稿となりました!!! これは超貴重!! ぜひぜひお楽しみください。

それにしても、インタビュー自体も昨日の朝、LAにいる氏をホテルの部屋で捕まえて行なわれたものです。このスピード感もすごい… 

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 R.E.M.の1980年から2011年の全歴史を共にし、すぐ側で見てきたのがファンには「第5のメンバー」とも呼ばれた、マネージャーのバーティス・ダウン氏(60歳)。元々バンドと同じジョージア州アセンズに住む弁護士で、ビルとピーターの友人だった人。バンドのスタート時から著作権など権利関係の助言を求められ、最初はそうした役割を果たしていたものの、もう一人いたマネージャーのジェファーソン・ホルトが辞職してから彼が唯一のマネージャーになった。

 REMHQ(彼らのホームページ)では何度もバーティスが世界各地のコンサートや新作の情報をブログに書いて紹介してくれていたので、ファンにはほんと、お馴染みの人だった。私なんて、ああ、このオジさんと仲良くなればバンドに会えるのになぁと、実は2004年にワシントンDCで行われた「大統領選挙の前日のコンサート」でバーティスを捕まえ、「すんません、私、日本から来たライターです! ワーナーさん通じてバンドにインタビュー申し込んでも断られちゃったけど、あきらめきれないので、これ、私が書いてきたものです。で、よかったら時間ください!」なんて、過去に自分が書いたR.E.M.関連の記事をファイルしてドサッと無理やり渡して直訴しちゃったことがある。もちろん断られたんだが、旅から帰ってきたらとっても丁寧な手紙と共に、『アラウンド・ザ・サン』の限定ボックスが家に送られてきた。

 これだけでも、バーティスさんがどんだけファンやジャーナリストを大切にする誠実な人か伝わるというものだが、R.E.M.というバンドはインディーズ~メジャーに移りながらもずっとバーティスを始めとしたほとんど同じスタッフと仕事を共にしていた。ワーナーとの契約金80億円なんて噂されてた時期も、彼らはニューヨークとかロスのぶいぶいいわせてる芸能事務所なんてのには移籍せず(絶対に声、かかってはずなのに)、地元アセンズの昔からのスタッフたちと一緒に歩んでいたのだ。そういうところがR.E.M.らしさというか、永遠にインディーズらしさを失わなかったというか、地に足付いてたというか、今のバンドたちのロールモデルになり得ているんだと思う。

 今回、ICE STATIONのコンサートで元R.E.M.のピーター・バック、マイク・ミルズ、それに長年のサポート・メンバー、スコット・マッコーイが来日するにあたり、バーティスさんがちょこっとお時間をくれたので、野崎洋子さんにファンすぎる私の質問を電話で聞いていただいた。時間があまりなかったのでちょっとだけ。あとはですね、どうやらバーティスさん、京都にいらはるようなので、ええ、コンサートに行って、直接ご本人を捕まえて聞いてみてください。えっ? 本人にいきなりアタックするなんてお前だけだ? そんな失礼なことはしない? まあ、そうですねぇ、良い子のライターさんはそんなこたぁしないだろうが、まぁ、でも、ファンなら許されるでしょう、ファンなら。

 そんなこんなで、お読みくだされ。 



●今、R.E.M.の30年を振り返ったときに最初に脳裏に浮かぶ場面はいつの、どんな場面ですか? 

バーティス:一番思い出深い「場面」は難しいけれど、一番思い出深い「1日」だったら答えられるよ。LIVE 8のために午後ロンドンのハイドパークで演奏し(これです https://www.youtube.com/watch?v=vjGL-QetLhU - 2005年7月2日)そして同じ日の夜、スイスのフェスティバルでヘッドライナーとして演奏したことかな。7時間以内に2回も公演をしたんだ。2つの違う国で。ロンドンは数曲だったけど、あれはすごく思い出深かった。

 やはり、思い出深いものというと、単なるR.E.M.の公演というよりも、フェスティバルでの演奏だね。チャリティとか,政治的なイベントとか。他のアーティストもたくさんいて、参加する意味も大きい。ロックバンドが単に歌を演奏するという以上の重要性もある。 World Food Organizationのためにやったコンサート(注:2001年のGroundworksのことかな?)やVote for Change tour、- スプリングスティーンやパールジャムと一緒に2004年の大統領選挙、民主党のためにやった公演も思い出深い。ニールヤングのブリッジ・スクール・ベネフィットとか(注:1998年と2001年に出ています)。 (ここで回線が悪くて途絶えてしまいました…)


 ●今ではメジャー・レーベルに所属することが大きな意味があまり見いだせなくなっていますが、R.E.M.がIRSからワーナーに移籍した時代はそれ自体が大きなニュースでした。 当時、インディーズからメジャーに移籍することはバンドにとってどういう意味があったと思っていますか? バンドにもたらせた良かったこと、逆 に良くなかったこともあったら教えてください。それと、当時、メジャーに移籍したことに4人と事務所のみなさんは 「うれしく」「興奮」することと感じていましたか? 

バーティス:そうだね、ワーナーは好きだったよ。ワールドワイドな国際的な会社で音楽を世界中に配給できるのは素晴らしかった。バンドは音楽を作ることに専念し、僕らも頑張った。僕らの望みは出来るだけ多くの人に聞いてもらいたいということだったからね。

  1988年にワーナーと契約できたのは、良い1歩だったと思う。『Green』や『Out of time』、 『Automatic for the People』、今とは音楽を消費する方法が当時はだいぶ時代が違うけど、 ワーナー・ブラザーズはR.E.M.にとって、とてもいいレーベルだったし、何年にもわたって良くしてもらったと思っている。


 ●R.E.M.の4人の友情関係は、あなたから見たらどんなものでしたでしょうか? それはマネージャーであり、第5のメンバーと呼ばれたあなたからしても聖域のようなものでもありましたか? 

バーティス:彼らと仕事をするのは本当に楽しかったし、今も楽しいよ。まず彼らと僕が友達だというのがあるし、人としても彼らを尊敬してもいる。個人個人としてとてもいい人たちだし、バンドとしても素晴らしい。個別に良いものが集合体になるとさらに素晴らしくなる事があるけれど、R.E.M.とはそういうものだったと思う。

 そして、特に音楽を作る時には、そこに何か特別なものがあったね。曲を一緒に作ったり、一緒に演奏したりするとマジックが生まれる。
 彼らは本当に気のいい奴らで、誰に対しても敬意を持って対応するし、親切である。それが彼らの生き方なんだよね。だから何十年もの間いっしょに仕事ができたことは光栄だと思うし、解散した今も彼らのビジネス面をサポートしていっしょに仕事をしていることは、とてもすばらしいことだよ。


 ●解散してからもリリースが相次いでいます。先日は「アウト・オブ・タイム」の 25周年版が日本でも発売になりました。「解散してからのR.E.M.」をあなたはどんなレガシーとして育てていきたいと思っていますか? 

 バーティス:僕らは再び人々がR.E.M.を楽しんでくれるといいなと思っているんだ。何年も前に楽しんでくれていたのと同じようにね。Tシャツとかも常にモデル・チェンジしていて、またR.E.M.を新しいバンドとして楽しんでくれる人がいると嬉しいね。

 音楽はタイムレスだ。人々は何百年もたった今でもモーツアルトを楽しむし、僕らが生まれる前に生まれたロック・ミュージックだってそうだろう。

 ストリーミングでR.E.M.に出会ったファンがフル・アルバムを聞いてくれることもある。 だからバンドの遺産としては、元からいたファンを常にバンドに触れてもらうことで楽しんでもらうことと、同時に新しいファン、新しい世代の人々へ届けることだね。その両方を実現させようとしているんだ。今はそれが仕事だね。

 今のところ、リイシューのやり方にはとても満足している。『マーマー』から始ってIRSの音源を経て、そして、まだこれは公式発表されていないけど11月には『Automatic for the People』の25周年リイシューがある予定だよ。


 ●REMは来日公演が数少なかくてさみしい気持ちもして、私は世界中あちこちを追いかけてお金を使い果たしこともありましたが、正直なところ、日本はバンドとしてあまり魅力的な場所になりえなかったでしょうか? 

バーティス:そう? 僕らは結構行ってたと思うけどね(と、日本ツアーが少なかったという認識はないようです)。3、4回は行っただろ? 1989、1995年、それとプロモーションで2001年に行き、 2005年にも行った。ちゃんとしたツアーは3回で、プロモが1回だ。『Road Movie』が公開されたとき、1996年だっけ? 会場でのあいさつのために僕とマイク・ミルズは日本に行ったよ。

 みんな日本が好きだよ。ただ遠いけどね!(笑)

  結構行ったと思うよ。毎回行くたびにとても楽しんだよ。でも京都には行ったことないから、今回楽しみにしているんだ。

 ●じゃあ、充分に日本ツアーをしたと思ってます? 

バーティス:いや、十分だとは思っているわけじゃなくて、もっと行けたらとは思っていたよ。でも例えば南アメリカなんかはなかなか行けなくて、結局最後のツアーになるまで行けなかった。それまでも行きたいとは思っていたけど実現できなくて、最後の最後で10~12回公演くらいやったと思うけど……それはとても嬉しかったよやっと出来た!っていうんでね。

 だから日本に充分に行けたとは思っていないけど、何回かはできた! なんというか、まぁ、忙しかったんだよね。


●R.E.M.はファンクラブの運営においてもすごく誠実で、私のような1ファンの問い合わせにも丁寧に返信くださり 、ファンクラブ運営をしていたデヴィッド・ベルさんはそういう返信の際にステッカーのオマケ入れてくれたりして、ファンの気持ちをいちいちよく分かってくれてたなぁと涙が出るような気持ちがします。 R.E.M.のスタッフはどうしてそうも誠実であり続けることができたのでしょうか? 

バーティス:ステッカーの話はいいねぇ! そうだね、まずバンドがあって、スタッフ一人一人が、自分がバンドを代弁しているという熱い気持ちを持っていたからじゃないかな。新しいスタッフが入ってくると、みんな自分の仕事が大好きになったよ。

 だって自分たちは、素晴らしい活動をしているロックバンドを代弁(represent)しているわけだから! まず、いいバンドがいたからこそ、それが可能だった。R.E.M.というバンドを代表するオフィスだったからだよ。 


●R.E.M.というと80年代カレッジ・シーンから登場した、カレッジ・シーンを代表するバンドという位置づけでしたが、実際にはどういう関係性を築いていたんですか? 

バーティス:R.E.Mの初期の頃は実際に大学でよく演奏をしていたんだ。R.E.M.も若かったから学生みたいな年齢、21,22歳だったから、カレッジタウンを訪ねて大学で演奏するのはとても自然なことだった。

 チャペルヒル(ノースカロライナの大学都市)、シャーロッツビル(バージニア州の大学都市)といった所にはよく行った。たくさんカレッジがあって、キャンパスで演奏したり、ジムやアリーナで演奏した。R.E.M.はすごく彼らと密接に関係してい、なんといってもカレッジ・ラジオと共にあったね。バンドが成長するにあたって、もっとも大きな役割を果たしてくれたと思う。カレッジ・ラジオは他の商業的なメインストリームのラジオは違う音楽をかけていて、R.E.M.をカレッジ・シーンのトップの座に押し上げた。なんというか、カレッジ・ラジオはR.E.M.が大好きだったんだよ。大学生たちはラジオで何度もかかる、この新しいクールでかっこいいバンドを見ようとコンサートにも集まってくれた。カレッジ・ラジオ、カレッジでやるコンサート、そしてカレッジタウン。すべてがR.E.M.にとって…特にバンドのキャリアの最初の10年間においては、非常に重要なものだったね。  


 うおおおおおおお! オートマチックの25周年盤、やっぱりそりゃ出すんだ~~!と興奮したあなた、あなた、あなた、その興奮を直接ピーターやマイクに伝えに行きましょう♪私の教訓で、いつまでもいると思うなバンドと親、というのがあり、そりゃバンドは解散しちゃったけど、ピーターやマイクがいつまで現役で演奏してくれるかなんてわかりゃしない。せっかくのチャンスは無駄にしてはいけません。今回はグリーンランドのロック・バンド、ナヌークがいっしょなので、もしかしたらナヌークをボーカルに、R.E.M.の名曲が演奏されるかもしれないじゃないですかぁ? 私はひそかにそれを期待しております!



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Bertis Downs Ⅳさん、Wikipediaよりバイオグラフィー
1956年生まれ。アメリカのエンタテイメント系弁護士。当初R.E.M.の契約書関係の仕事を手伝っていたが、初代マネージャーのジェファーソン・ホルストの後をつぎバンドのカウンセラー/マネージャーになった。通常彼はシンプルにバンドの「助言者」としてクレジットされている。バンドとは1980年からの付き合いで、それ以前にもレコード屋に勤めていたピーターと、ビル・ベイリーとは親交があった。

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ピーター・バックとマイク・ミルズが来日するICE STATION、開催までもうすぐ。渋谷と京都で公演があります。現在チケットは「当日精算」で受け付けております。

2月7日 京都 磔磔
2月9日 渋谷 WWW
2月10日 渋谷 WWW

詳細はこちら http://www.mplant.com/icestation

with ナヌーク、カート・ブロック、ピーター・バック、スコット・マッコイ、マイク・ミルズ、リンダ・ピットモン、スティーブ・ウイン













和田さんの名著の数々。どれもおすすめですよ!