311と音楽


山口先輩が上の記事で、ご自身の6年前のブログにリンクを貼っているのを見て、私も思わず自分のブログを読み返した。

ブログをやっていて良かったな、と思うのは、こんな時だ。読んでいると、自分があまりにも自分らしくて、ホントに笑ってしまう。いや、今だから笑えるのだけど、このときは必死だった。でも自分が自分らしくいられて良かった。そしてそのことは未来にも勇気をくれるのだ。どんな事がこれから起きようとも、自分らしくいられれば、命があるかぎり大丈夫だろうと。

いろんな事が思い出される。自分の仕事は意味がないな、と思った瞬間もあった。確か糸井重里だったかな… これからの日本は「バケツリレー」していくしかないでしょう、と言ったのは。それでガックリ落込んだ。もう自分は外国からミュージシャンを呼ぶなどという複雑かつリスクの大きい仕事は続けていけないかもしれない。バケツリレーよろしく1人1人に与えられた単純作業をやっていかなければならないのかもしれない。そうやって国民全員で当たらないと原発は収まらない、本当にそう思った。

津田大介さんが「もう平常時には戻れないでしょう」と言った。それを噛み締めた。津田さんは東北へ、沖縄へ… 飛び回り、今でもたくさんの情報を私たちに届けてくれている。

ありがたいことに、あの時、翌月にマーティン・ヘイズとデニス・カヒルの公演があり、それがキャンセルにならなかったおかげで、私の日常は一気に戻ってきた。ツアーが始まるまでは、エモーショナルな気持ちになって泣けてしょうがなくなるかも…と思っていたけど、いざツアーが始まれば、いつもの普通のツアーだった。いつもの普通の… 

というか、ツアーが普段の自分に戻してくれたんだと思う。あのツアーはやるべきか、やらないべきか、何度も何度も当時の2人のマネージャー(アメリカ在住)と話し合った。一時は、長い付き合いの私たちだから、私からキャンセルしてあげた方が彼らにとっては楽かもしれない…とも思った。彼らに「NO」と言わせてしまうのは酷であろうと…。でも、いや、違う、私がやらなくちゃいけないことは、彼らを日本に呼ぶことだ…と思い直し、1週間あげるからじっくり結論を出してくれ、とメールをした。私とマネージャーは当初、私たちのツアーの数日前に来日予定があったリチャード・トンプソンがキャンセルされたら、自分たちのツアーもキャンセルしようと考えていた。ちなみにトンプソンのツアーはキャンセルになっていた。

ところが2人は1週間も私を待たせることもなく、すぐに「行く」と返事を送ってきてくれた。そのあと、マーティンとスカイプで話す機会があり、ルナサのケヴィンとも話をした。その時のことは忘れない… といいつつ(笑)実は普段は忘れているけど、ブログを読んで思い出した。そうだった。あの時は、そうだった、と思い出して噛み締めた。ここにそのことが書いてある。

 あの時の… 謙虚な気持ちを忘れてはいけない。もう自分の仕事は終わるのだ、と思ったあの気持ちを。続けていけたら、どんなに幸せだろう、とあの時思った、あの気持ちを。
今ではすぐ「儲からないから」「きついから」と、すべてを放りなげたくあることばっかりだけど… 

でも人間は忘れちゃうんだよな。亡くなった人たち、家を失った人たち、人生を狂わされた人たちのこともすぐ忘れてしまう。何かをやらずにはいられなくて津田大介さんの事務所に手伝いに行った。 自分たちに何かできないか必死になった。東電の会見をずっと見ていた。吉田所長は亡くなってしまった。

数週間後の4月1日、私たちはON THE SHELF TVというライブ音楽を配信するYOU TUBEチャンネルをスタートさせた。第1弾はアクセスを稼げるだろうという理由から1月に押さえておいたグレン・ティルブルックだった。朝10時、ピーター・バラカンさんの早朝ラジオに出た後、結構不機嫌な感じで収録に望んだグレンだったけど、さすがに演奏は素晴らしい。



そして震災2ケ月後には、ほとんど通常営業に戻ったTHE MUSIC PLANTのもと、アラマーイルマン・ヴァサラットが、めちゃくちゃ元気に何の疑問もなく来日した。この公演はFINLAND FESTの一環で、ヴァルティナもいっしょだった。実は今だからバラしてしまうと、ヴァルティナの方は実はツアーを延期したいと言ってきたのだ。でも、あの時の来日は、フィンランド・フェストという企画で、同じ週に来日するヘヴィメタバンドからジャズバンドから、1つもキャンセルにならなかった。だから彼女たちも結局普通に来日した。(まぁ、ちょっとフォローしておくと来日するミュージシャンのうち女性は彼女たちだけだったので、無理もなかったかもしれない。当時はまだ70%くらいの外国の招聘ものの公演がキャンセルになっていた)あれが今のところ最後のヴァルティナの来日である。

そして秋にはヴェーセンとマーティン&デニスが共演という「夢企画」を実現させ、400人収容のトッパンホールがソールドアウトになったのだった。ウチの公演履歴において最高の動員数を誇る手打ち公演だったかもしれない。それこそ1席もなくなってしまったので、立ち見がNGなクラシックのホールだったから、初めてチケットを求めてやってきたお客さんを追い返す、ということをした。

あっという間に6年がたった。あぁいう非常時に、音楽は意味があるか…。そうね、今ならあると自信を持ってこたえられる…かな。たとえ私はバケツを運ぶことになろうとも、歌いながら運んでいたい。音楽の仕事はなくなっても、音楽はきっとそんな風にずっとそこにあるだろう。ただ、自分が今しているような、複雑でリスクの高い仕事は難しいんじゃないかな…と今でも思っている。地震がたくさんある国土の上に原発なんてものをたくさん稼働させているこの国で、そんなリスクの高い仕事を続けるのは正気の沙汰ではない。とにかく今は半年ずっとつきっきりだった、20周年企画とICE STATIONを終えて、空っぽなまんまだ。次に何かやりたいと思って、一念発起するのはいつの事になるのか。5月のペッテリの後、自分が主催する招聘企画は今のところ来年の10月(つまり18ケ月後)までありません。少し休もうかと思っているところです。もっとも半年前には発表して動きだす事になるから、実質1年も休めないけどね。人の手伝いもけっこうあるし…

とか思ってたら、山口先輩はこんな1週間イベントがやるようだ。すごいなぁ、山口さんは。