先日「劇場型業界人」って言葉を先日始めて聞いた。なるほど言い得て妙な言葉だ。確かにそういう人は音楽業界に多い。
昨日、某音楽家の方の自殺の話がSNSで再び話題になって、またその方のことを考えていた。その人は私が仲が良い某ミュージシャンとものすごく仲良しで、私の友人はこの音楽家の方のバックバンドでよく仕事をしていた。この音楽家の自殺は周りの人にとっては大きなショックであり、その予兆は充分にあったこと、また私の友人は近くにいたものだから、何故自分には何もできなかったのだろうとたいそう落込んでしまい、その落ち込みぶりは本当に察してあまりあるものだった。私は「元気にしているということは、それだけで友情なのだな」と思ったものだった。友達を悲しませるのは、本当に良くない。
その音楽家は優雅で高級でインテリジェントなライフスタイルで有名な人だった。楽曲の印税もあるだろうから、その人が第一線で取り上げられることはもうなかったとはいえ、彼の贅沢な生活が厳しかったとはとても思えない。(いや、でも実態は分からない。というのはお金のことは本当に外からでは想像できないのだから)
私は彼とは直接面識はなかったのだが、たいそう豪華な彼のスタジオに遊びに行ったことがある。友人のミュージシャンがそこで自分のソロアルバムをレコーディングしていたからだ。そうやってお金持ちの彼は、自分の仲のよいミュージシャンには自分のスタジオを開放し、良くしてあげていた。自分の生活が豪華なだけではなかった。そういう友達想いの人だったのだ。
私は友人をそのスタジオを訪ねて行き「すごいですねぇ」なんて、壁に飾られたピカピカに光るゴールド・ディスクの列を眺めていた。ご本人はいらっしゃらなかったので会うことはなかったのだけど、都内の一等地の真ん中にあるそのスタジオは、まだレコード会社に入ったばかりの私にはとてもまぶしく見えた。あんなに豪華な暮らしをしていて、お金も(たぶん)たくさんあって、それでも彼は寂しかったのだろうか。
今なら分かる。彼はおそらく注目が欲しかったのだと思う。そういえば晩年のその人は、もう時代に取り残されて、とてもじゃないけどクールと言える活動をしていいなかった。いつも「当時すごかった」という形容でしか語られず、今からでもヒット曲を飛ばすこともできただろうに、それも一切なかった。録音物を売ることが難しくなり、音楽業界も厳しくなった。でも彼はコンサートを続けていたし、多くの音楽家にとってそうであるように、音楽が彼のことを救っているのなら(演奏できれば、それだけでいい…みたいな)彼の生活はそれで充分だったはずだ。でも一時、彼が70年代に受けていたクールでシャープなイメージはそこにはなかった。そこが彼にとって一番辛かったのではないだろうか。というか、いったんヒットが出てしまうと、過去の成功が重いのだろうか。世間から興味をもたれない、持たれたととしてもそのネタが過去のヒットより面白いものでなければ「過去の人」扱いになってしまう。
いや、私に何が分かるというのだろう。彼の活動をしっかり見ていたわけではないし、単なる想像の域を超えていないのだけど…
かと思うと、最近、ビックリすることがあった。会社のお金を横領した罪で逮捕された知り合いが(リアルに知ってる人が逮捕なんて始めてだよ!)、ついに有罪となったというニュースが入ってきたのだ。刑は3年、執行猶予5年だそうだ。また残念なことに、裁判中、彼から反省や謝罪の言葉はいっさいなかったのだという。だた音楽業界からはいっさい手をひくことが刑を軽くする条件だったらしい。この彼も見栄っ張りな人であった。よく私がコンサートを作っていた公演に来ては「僕が誰々(ビックなアーティスト)を紹介してやる」「誰(ビックなアーティスト)と共演どうかなぁ」とかメンバーたちに話していた。最初は彼をチヤホヤしていたメンバーも、いつまでたっても、その1つも実現されないという事を見るにつけ、途中から半ば呆れていたと思う。でも彼はそんな風にメンバーに言うことで、自分がバンドにとってこんなに役にたつ人間なんだということをアピールしたかったのであろう。バンドが好きで言ってくれていたのであろうから、本当に悲劇である。いろんなことを考えると心が痛い。音楽業界みたいな見栄が充満している場所は、彼にとってもよくない。地味で真っ当な道に進んで、もう家族の方を悲しませないようにしてあげてほしい…などと余計なことを考えたりする。
でも私にも彼のような見栄っぱりな部分がないとは言えない。同じ業界にいるものとして、こういう話を聞くと感じるのは自分にもそういった危険要素がまったくないよとはいえない、と思うことだ。もちろん一線を越えたら犯罪だし、お客さんの信頼を失うことになるし、そんなバカなことは自分はしない。そう強く思っているのだが、そういった要素が自分に100%ないと言い切れるかというと、そうではないのだから怖い。新しい公演を発表する時、特に新しいアーティストを呼ぶことが決まった時。周りの自分が信頼している人たちに褒められれば、それはリアルにとても嬉しい。 そして自分は、本当にそのアーティストを愛しているのではなく、みんなに感心されることを目的として仕事をしてないか、とふと思ったりするのである。
突然公式サイトがシャットダウンして公演中止とか、人からたくさんの予算を集めておいて全然オープンしない映画館(またオープンが延期になったらしい)とか、そういう話を最近たくさん聞くので、このブログを書いてみようと思った。前にもこのブログに書いたんだけど、誰も悪いことをしようと思って悪いことをしてないのが、本当に問題なんだと思う。そういう人たちは、人からの注目が気持ちいいから、そういう事をしているんだろうか。悲しいかな、そういう「劇場型業界人」は、人の注目がないと生きていられないし、おそらくコツコツ努力を積みかされるような地味な生活を営むことが不可能なのだ。そしてそういう人は、いつも必要以上に「音楽愛」や「映画愛」を語る。これ、自戒をこめて書いているけど、本当に注意しないといけない。誰でも自分は社会にとって役に立つ、愛に溢れた人間だと認めてもらいたがる。
いや、実際、どんなに完璧に頑張っていたとしても、突然の事故やいろんな理由でツアーはキャンセルになる事はあるのだと思う。でも肝心なのは、そのあとの責任の取り方だよね…。でも最近、こういった洋楽の公演キャンセルが多いというこの状況を、なんとなく理解できてしまう自分もいるんだ。公演を発表する時は躁状態。そして何か問題があった時は鬱状態。同じことは別の仕事をしている人でもいえる。問題に正面からディールすることが出来ない人、たくさんいる。
もっと言えば、こっちに仕事を振って来るとみせかけて、自分の存在価値をアピールしてくる人もたくさんいる。いや、ありがたい。ありがたいのだけど、私にとっては、はっきり仕事上の「YES」「NO」と言ってくれる人の方が圧倒的に付き合いやすい。いや、本当のところ実態はまったく分からない。案件が実現しなければ結果は単なる時間の無駄だよな、とも思うけれど…。でもクライアント案件こそ、一緒に協力してあげないと何も始まらないんだよ、と思ったり。(ま、大事なのはそういう案件に自分のペースを乱されず、しっかり自分の仕事を作って行く事だな…)
それにしてもコンサート作りは本当に大変な仕事だ。公演をいったん作れば解決しなきゃいけない問題はたくさん湧いてくる。チケットが思ったより売れないとか、そんなのウチの公演に関して言えば、全部が全部だ。現地から何か言われたり、それも前もって言ってくれればいいのに、途中からあーだこーだ言われたり,理不尽なことも結構ある。でもそのくらいでひるんでいていては、ホントに何も解決しない。1つ1つ丁寧になんでも解決して公演実現に進むしかないのだ。
ちなみにウチは公演キャンセルがいっさいないのが自慢です。20年やってて、作ったツアーはこの前100本を超えたけど、今までキャンセルは1本もなし。1本だけ「日程変更」ってのがあったんだけど、それはアイスランドの火山灰のせいだったんだもんね…。それはちょっと自慢できるかも。というか、単にラッキーなだけだったのかもしれないが…。
ま、いろいろありますな。でも同じ業界のトラブルの話を聞くたびに、自分は気をつけよう、と思うしかない。自分は大丈夫だ、と100%言い切れないのが辛いが、それが正直な気持ちだ、というのは告白しておきましょう。
昨日はアイリッシュのフィッシュ・チャウダー作りました。あいかわらず自分で焼いたアイルランドのパン食べてます。まいう! そして庭(つーか、バルコニー)のタイタンビカスがこんなに咲いた〜
昨日、某音楽家の方の自殺の話がSNSで再び話題になって、またその方のことを考えていた。その人は私が仲が良い某ミュージシャンとものすごく仲良しで、私の友人はこの音楽家の方のバックバンドでよく仕事をしていた。この音楽家の自殺は周りの人にとっては大きなショックであり、その予兆は充分にあったこと、また私の友人は近くにいたものだから、何故自分には何もできなかったのだろうとたいそう落込んでしまい、その落ち込みぶりは本当に察してあまりあるものだった。私は「元気にしているということは、それだけで友情なのだな」と思ったものだった。友達を悲しませるのは、本当に良くない。
その音楽家は優雅で高級でインテリジェントなライフスタイルで有名な人だった。楽曲の印税もあるだろうから、その人が第一線で取り上げられることはもうなかったとはいえ、彼の贅沢な生活が厳しかったとはとても思えない。(いや、でも実態は分からない。というのはお金のことは本当に外からでは想像できないのだから)
私は彼とは直接面識はなかったのだが、たいそう豪華な彼のスタジオに遊びに行ったことがある。友人のミュージシャンがそこで自分のソロアルバムをレコーディングしていたからだ。そうやってお金持ちの彼は、自分の仲のよいミュージシャンには自分のスタジオを開放し、良くしてあげていた。自分の生活が豪華なだけではなかった。そういう友達想いの人だったのだ。
私は友人をそのスタジオを訪ねて行き「すごいですねぇ」なんて、壁に飾られたピカピカに光るゴールド・ディスクの列を眺めていた。ご本人はいらっしゃらなかったので会うことはなかったのだけど、都内の一等地の真ん中にあるそのスタジオは、まだレコード会社に入ったばかりの私にはとてもまぶしく見えた。あんなに豪華な暮らしをしていて、お金も(たぶん)たくさんあって、それでも彼は寂しかったのだろうか。
今なら分かる。彼はおそらく注目が欲しかったのだと思う。そういえば晩年のその人は、もう時代に取り残されて、とてもじゃないけどクールと言える活動をしていいなかった。いつも「当時すごかった」という形容でしか語られず、今からでもヒット曲を飛ばすこともできただろうに、それも一切なかった。録音物を売ることが難しくなり、音楽業界も厳しくなった。でも彼はコンサートを続けていたし、多くの音楽家にとってそうであるように、音楽が彼のことを救っているのなら(演奏できれば、それだけでいい…みたいな)彼の生活はそれで充分だったはずだ。でも一時、彼が70年代に受けていたクールでシャープなイメージはそこにはなかった。そこが彼にとって一番辛かったのではないだろうか。というか、いったんヒットが出てしまうと、過去の成功が重いのだろうか。世間から興味をもたれない、持たれたととしてもそのネタが過去のヒットより面白いものでなければ「過去の人」扱いになってしまう。
いや、私に何が分かるというのだろう。彼の活動をしっかり見ていたわけではないし、単なる想像の域を超えていないのだけど…
かと思うと、最近、ビックリすることがあった。会社のお金を横領した罪で逮捕された知り合いが(リアルに知ってる人が逮捕なんて始めてだよ!)、ついに有罪となったというニュースが入ってきたのだ。刑は3年、執行猶予5年だそうだ。また残念なことに、裁判中、彼から反省や謝罪の言葉はいっさいなかったのだという。だた音楽業界からはいっさい手をひくことが刑を軽くする条件だったらしい。この彼も見栄っ張りな人であった。よく私がコンサートを作っていた公演に来ては「僕が誰々(ビックなアーティスト)を紹介してやる」「誰(ビックなアーティスト)と共演どうかなぁ」とかメンバーたちに話していた。最初は彼をチヤホヤしていたメンバーも、いつまでたっても、その1つも実現されないという事を見るにつけ、途中から半ば呆れていたと思う。でも彼はそんな風にメンバーに言うことで、自分がバンドにとってこんなに役にたつ人間なんだということをアピールしたかったのであろう。バンドが好きで言ってくれていたのであろうから、本当に悲劇である。いろんなことを考えると心が痛い。音楽業界みたいな見栄が充満している場所は、彼にとってもよくない。地味で真っ当な道に進んで、もう家族の方を悲しませないようにしてあげてほしい…などと余計なことを考えたりする。
でも私にも彼のような見栄っぱりな部分がないとは言えない。同じ業界にいるものとして、こういう話を聞くと感じるのは自分にもそういった危険要素がまったくないよとはいえない、と思うことだ。もちろん一線を越えたら犯罪だし、お客さんの信頼を失うことになるし、そんなバカなことは自分はしない。そう強く思っているのだが、そういった要素が自分に100%ないと言い切れるかというと、そうではないのだから怖い。新しい公演を発表する時、特に新しいアーティストを呼ぶことが決まった時。周りの自分が信頼している人たちに褒められれば、それはリアルにとても嬉しい。 そして自分は、本当にそのアーティストを愛しているのではなく、みんなに感心されることを目的として仕事をしてないか、とふと思ったりするのである。
突然公式サイトがシャットダウンして公演中止とか、人からたくさんの予算を集めておいて全然オープンしない映画館(またオープンが延期になったらしい)とか、そういう話を最近たくさん聞くので、このブログを書いてみようと思った。前にもこのブログに書いたんだけど、誰も悪いことをしようと思って悪いことをしてないのが、本当に問題なんだと思う。そういう人たちは、人からの注目が気持ちいいから、そういう事をしているんだろうか。悲しいかな、そういう「劇場型業界人」は、人の注目がないと生きていられないし、おそらくコツコツ努力を積みかされるような地味な生活を営むことが不可能なのだ。そしてそういう人は、いつも必要以上に「音楽愛」や「映画愛」を語る。これ、自戒をこめて書いているけど、本当に注意しないといけない。誰でも自分は社会にとって役に立つ、愛に溢れた人間だと認めてもらいたがる。
いや、実際、どんなに完璧に頑張っていたとしても、突然の事故やいろんな理由でツアーはキャンセルになる事はあるのだと思う。でも肝心なのは、そのあとの責任の取り方だよね…。でも最近、こういった洋楽の公演キャンセルが多いというこの状況を、なんとなく理解できてしまう自分もいるんだ。公演を発表する時は躁状態。そして何か問題があった時は鬱状態。同じことは別の仕事をしている人でもいえる。問題に正面からディールすることが出来ない人、たくさんいる。
もっと言えば、こっちに仕事を振って来るとみせかけて、自分の存在価値をアピールしてくる人もたくさんいる。いや、ありがたい。ありがたいのだけど、私にとっては、はっきり仕事上の「YES」「NO」と言ってくれる人の方が圧倒的に付き合いやすい。いや、本当のところ実態はまったく分からない。案件が実現しなければ結果は単なる時間の無駄だよな、とも思うけれど…。でもクライアント案件こそ、一緒に協力してあげないと何も始まらないんだよ、と思ったり。(ま、大事なのはそういう案件に自分のペースを乱されず、しっかり自分の仕事を作って行く事だな…)
それにしてもコンサート作りは本当に大変な仕事だ。公演をいったん作れば解決しなきゃいけない問題はたくさん湧いてくる。チケットが思ったより売れないとか、そんなのウチの公演に関して言えば、全部が全部だ。現地から何か言われたり、それも前もって言ってくれればいいのに、途中からあーだこーだ言われたり,理不尽なことも結構ある。でもそのくらいでひるんでいていては、ホントに何も解決しない。1つ1つ丁寧になんでも解決して公演実現に進むしかないのだ。
ちなみにウチは公演キャンセルがいっさいないのが自慢です。20年やってて、作ったツアーはこの前100本を超えたけど、今までキャンセルは1本もなし。1本だけ「日程変更」ってのがあったんだけど、それはアイスランドの火山灰のせいだったんだもんね…。それはちょっと自慢できるかも。というか、単にラッキーなだけだったのかもしれないが…。
ま、いろいろありますな。でも同じ業界のトラブルの話を聞くたびに、自分は気をつけよう、と思うしかない。自分は大丈夫だ、と100%言い切れないのが辛いが、それが正直な気持ちだ、というのは告白しておきましょう。
昨日はアイリッシュのフィッシュ・チャウダー作りました。あいかわらず自分で焼いたアイルランドのパン食べてます。まいう! そして庭(つーか、バルコニー)のタイタンビカスがこんなに咲いた〜