サミュエル・ベケット「ゴドーを待ちながら」を観ました。


本では読んだことあって、その時はちんぷんかんぷんだったけど劇を観たらなんだか楽しかった。ベケットの「ゴドーを待ちながら」。っていうか、これ悲「喜」劇なんだよね。だからもっと観ながら笑ってもよかったのかな。人間の不条理を描いたと言われているサミュエル・ベケットの大傑作。1940年代にフランスで初演され、最初はフランス語(ベケットの第2言語)で書かれていたらしい。またテキストを変えたりアレンジされることをベケットはいやがり、台詞を変えたりして上演することが許されていないのだという。

ストーリーは、なんというかグルグル(笑)。なんの変化もない。荒野に岩と枯れ木。そこで「ゴドーさん」を待つエストラゴンとウラジミール。「もう行こうよ」「行こう」「あ、だめだゴドーさん待たなくちゃいけないんだし」と、どうどう巡り。そこにやってくる従者のラッキーを連れた横柄なポッツオ。少年もやってきて「今日はゴドーさんは来ませんよ。明日来ます」とゴドーからのメッセージを伝える。そして2部でも似たような展開が続く。時間の感覚もなんだかあやふやになり前日の記憶もはっきりしない。そうこうしているうちに分かるのだ。このまま何も変わりはしない。そして永遠にゴドーは来ない。自分たちが死ぬまで絶対に来ないのだ、と。

これ、いろんな解釈があって、「ゴドー=Godot=神様」と解釈する人が多いそうだけど、神様とか言われても神様信仰してない私にはピンと来ない。なので、なんとなく「ゴドー」を「救い」という言葉に置き換えながら観ていたら、いろいろ自分の中に入って来た。「ゴドー」はおそらく「救い」だ。

救いを求めて人間はのたうちまわる。笑ったり悲しんだり…。ある日突然哲学に目覚めて、自分が何か分かったような気になることもあるだろう。でもそれは「考えろ」と言われて急に難しいスピーチを始めた奴隷のラッキーと同じようなものである。結局、人生に対する答えが得られたわけでもない。そしてやはり「救い」の手はやって来やしない。

そういえばポッツオとラッキーの関係は、どう解釈したらいいかなぁ。もう少し深く考えたいし、観た人の意見も聞きたいところ。そうそう劇では、少年役の下宮真周くんも頑張っていました。日本語と英語のかけあいになったけど、違和感なかったよ。Mouth on Fireの皆さんも、これで5度目の来日なんだって。素晴らしいね。今回この公演はベケットの演出ノートに非常に忠実に再現してあるんだって。

というわけで、「ゴドーを待ちながら」ぜひご覧になってください。シアターχさん、いつもすごいんだけど、今回も海外からの招聘公演がなんと1,000円で観れちゃうんですから。私は土曜日の昼の公演にうかがいましたがホントに1席も残らず満席でした。予約をしてから行った方がいいかもしれません。詳細はこちら。公演はあと明日日曜日の14時、月曜日か曜日の19時があります。

日本でもこの「ゴドー」に対するアンサーをいろんな人たちが発表していて、wikiによればいとうせいこうさんが待たれるゴドーの視点から書いた作品「ゴドーは待たれながら」を発表したり、別所実さんが「やってきたゴドー」という戯曲を制作。あとラーメンズがパロディ化したコント「後藤を待ちながら」(You Tubeで観れます)を、第3舞台の鴻上尚史さんがゴドーを登場させ「もう待たない」というメッセージの作品『朝日のような夕日をつれて』を発表したりしてるそうです。しかしものすごい影響力だよね… こんなにも広がる世界観を世の中に提示したベケットって、やっぱりすごいわ。今さらだけど。そしてやっぱりアイルランド人ってすごい、と思ったのでした。

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