角幡唯介「川の吐息、海のため息」を読みました。


…とご本人から言われてしまった角幡ファンのコレクターズ・アイテム。角幡さん新聞記者時代の黒部川ダム排砂をレポートした「川の吐息、海のため息」を読みました。

これいつもAmazonの中古で平均5,000円くらいしてんだよ。それが2,000円代で売ってたから、ポチった。ちなみに元々の値段は1,500円です。

で、面白くなかったかって? そんなことなかったよ。まず、これは明らかに角幡さんの文章だって分かる。時々不意をついたように挿入される自虐ネタとか、とっても角幡さんらしい。「舌平目のムニエルは食べたことが1度しかない」「数学は赤点だった」「色が黒いので夏は化粧をしたい」とか。それに、ちゃんと冒頭にツアンポーの事にも触れているし!(笑)会社に内緒で行ったというミニ探検…じゃなかった「れっきとした取材」の沢登では溺れかけてるし!(笑)

それにこれが朝日新聞の地方版にだけ連載されて終っていたとしたら、やはりもったいないでしょう。きちんと取材されてるし、しっかり書籍になるべくしくしてなった硬派な本ですよ、これは。

それにしても分ったことは、角幡さんって漁師のおっさんたちが本当に好きなんだね。本の前半でまずそれを思った。そういう気持ちが,その後の名著「漂流」で結実したようにも思える。しかもそれは弱い者への同情などではなく、明らかに漁師のおじさんたちに角幡さんは「憧れている」のだ。漁獲量とか正確に言えないおっちゃんたち。記録なんてもちろんない。おっちゃんたちは、そういう訴訟に必要な客観的な話術が下手だし、ましてやデータなんて具体的なものはありはしない。社会人として都会のサラリーマンが普通に身につけてる事すら出来ないだろう。一方で、朝日新聞みたいなところに勤めて、高い給料を得て、こんな難しい本を書いている角幡さんは、漁業を営む自分の腕だけで喰ってるようなおっちゃんたちみたいに、自由に自然を相手に生きていたいんだ。

…なーんて本とは関係ないところで感動してしまった。

…と、これで感想文を終わると、こんなに真面目に書いた若き日の角幡さんに失礼なので、感想を書けば、いや、ホントになかなか考えさせられた。

なんか人類の(というと話は大きいが)高度な文明生活への欲求と、実際に(神様がいるとしたら神様に)それが許されてる範囲って、原発で一線を越えちゃった感があったのだけど、実はそうではなく、それは原発なんかよりもうんと早くて、実はダムを作った時点でもう行き過ぎだったのではないか、と言う事。

高度な文明生活を維持するのにエネルギーは、とってもたくさん必要だ。でもエネルギーを得るには、資源に限度がある。本来それは不可能なことだったのだ。やっちゃいけないことだったのだ。それをなんとかしてしまうのが、まぁ、人間の知識なんだが、実はそれは原発を稼働させた時(日本では63年)「これ以上欲張っちゃだめですよ」の一線を越えたのではなく、もうすでにコンクリートでダムを建設した時点で超えていたのだった、と。(日本のダムの歴史

いずれにしても、自然界との共存を優先し、冷静に欲を爆発させず部をわきまえ、きちんと人間の営みを運営する事は、日本人にはまったく出来ない仕事だ。それは今、政権を握る政治家たちを見ていてもわかる。あの権力を持った政治家たちの暴走はいったいどうだ? 

それにしても国土交通省と関電かぁ… まったく学んでいないよね、私たちはね。それでもって、また選挙で自民圧勝という…。ま、日本はこのままずっと変わらないんだろうな、って思うわ。それは原発事故があっても学ばないという、呆れるほどのバカたれぶり。そして何か問題が発覚したり、問題が見つかっても、その後に起こるすさまじい「現状維持」に振りもどす経済の力(=人間の欲求)。もう呆れるしかない。この黒部のケースでも、汚染の原因は認められないと評議員が決定しながらも不思議と定期的に支払われる補償金に、原発の近くに住む人たちに配られていた一世帯・年間8,000円だっけ?のお金を思い出してしまった。問題の根は深いな…。これは、やっぱり地球は「猿の惑星」になるしかないでしょ、ってことだ。