試写で拝見しました。ありがとうございます。ソフィア・コッポラの新作「ビガイルド 欲望のめざめ」
よく考えたら彼女の作品は「ロスト・イン・トランスレーション」しか見たことがなかったかも。あの映画を見た時は「事がおきない」エンディングが、とってもロマンチックでいいと感心したものだった。外国人の目から見た東京の街、そしてはっぴいえんどの細野さんのヴォーカルが心地よい。招聘元の知らないところで、アーティストにいろんなことが起こっているというシチュエーションも、こういった仕事をしている自分にとっては非常に面白かった。
そのソフィア・コッポラ。今回はこの作品の描く世界観というか、絵や場面に非常に感動した。時代が表現された美しい景色、女達のコスチュームや自然の中の自給自足っぽい暮らしなど、ものすごく素敵な世界がスクリーンの向こうに広がる。いただいた資料によるとビジュアル・ブックも出るらしい。たしかにこれだけ完成された世界なら、アリだよな。欲しい人たくさんいるんじゃないかな。(そういえばウチにはMerchant Ivoryのすごい写真集があって、いつもトイレにおいて眺めている。映画って世界観なのよね…)
とはいえ、正直、俳優達の演技はコリン・ファレル、ニコール・キッドマンはじめとして、いまいちパンチが足りなかったかもな…とも思う。なんだろう。脚本が弱いのかな…。なんか「絵」の方が印象が強すぎて、生きてる人間なんだ、って感じが希薄だったような気がする。すでになんか物語的な、ふわふわしてる的な。もっとも彼らの場合、この作品以上に良いものがたくさんありすぎて、私の期待値が勝手に大きくなっていたかもしれない。特に、ニコール・キッドマンって、わたしホントに好きなんだよね。トム・クルーズだったっけ? 旦那と別れたあとの作品はどれも好きなので、そういう意味では期待が大きすぎたかも。ソフィア・コッポラは、この校長先生の役は最初からニコール・キッドマンだということを念頭において、脚本を書いたのだそう。確かにハマり役であることは事実。
舞台は南北戦争がはじまった頃のバージニア州。敵側の負傷した兵士をかくまう女の子だけの寄宿舎学校。校長先生も先生もみんな女性。そんな女の園に紛れ込んだアイリッシュ・アクセントもセクシーな男性をめぐり、微妙な女達のバランスがくずれていくのだ…。最後はびっくりするような強烈なエンディングで、とにかくあっという間の90分だった。でもオープニングのシーンから、なんとなくあぁなるんじゃないかと予感はあった。事前に資料読み込みすぎたか…(笑)女の園に男性が1人で登場というシチュエーションがとにかく面白かったが、この映画には原作本があり、また以前イーストウッドが兵士役で映画化もされているのだそう。(イーストウッドの映画の方は町山解説発見!)
それにしても、映画の話はさておき、女だけというのは、やっぱり問題だわ。今でも思い出すのだが、以前、女だけのオフィスで働いていたことがある… 実はそこは異常に汚かったんだよね。私もあまり清潔に気を配るほうではないが、その私ですらあまりの汚さに呆れるくらい、あの会社は汚かった。あまりに汚いのにあきれて、とある週末、全部掃除するといって1人でオフィスを夜明けまでかかって全部掃除して、いらないものをすべて廃棄した。捨てられない女たちは「それも捨てちゃうの?」といって、私がゴミ袋にすべてを投げ込むのを見て涙ぐんでいたのだが… あぁ、思い出しても絶句する。女だけだとあんなに汚くなっちゃうものなんだろうか。床は靴下のままあるけば靴下が真っ黒になるほどだったのでみんなスリッパをはいてごまかしていたが、そのスリッパも汚かった。洗面所なども汚くてトイレット・ペーパーになが〜い髪の毛がついていたのを見たはゾオオオオオッとしたものだった… あぁホント悪夢だったわ、あのオフィス。その女たちの中には結婚したものもいるのだが… ありえないよ、ホント…
この話題を続けると(笑)これは私の持論なんだが、女子校に通っていた人は、大人になった今でも判別する事ができると私は思っている。なんというか独特の匂い、とでもいうか。女子校だったでしょ、あなた…という何かが彼女たちにはある。反対に男子校の方はまったく区別ができないのだが… とにかく言葉では説明できないけど…。で、私に言わせれば女子校に行った人は、なんか男性との距離の取り方が私とは違うというか…そんな風に私は思う。偏見かな。
この世はやはり多様性が大事。男がいて、女がいて、いろんな人がいて、はじめて健全なバランスがたもたれる、という事なんじゃないかな。いずれにしてもそんな事をテーマにした作品。人間の危うさを表す非常に面白いテーマだし、心理サスペンスとしても一級品だ。