面白かったし、あっという間に読めてしまった。小田嶋さん… うーん、そうだったんだ!というのが、まず率直な感想。
単純な話だが、私はけっこう自分では小田嶋さんのファンだと思っていたのだが、小田嶋さんがアルコール中毒だったとはまったく知らなかった。そして結婚してらっしゃることも初耳だよ!!
なんだか勝手なイメージは… 小田嶋さんは津田大介さんと並ぶ北区を代表する言論人で、赤羽に住んでらっしゃるから、お酒は適度に楽しみ、あの夜遅く行ってもケーキがちゃんと置いてある駅前の某カフェの常連で、エレカシをたしなむように聞き、実は今だに結婚せず年老いた母親と住んでいる…くらいのイメージでいたよ!! おいっっ! 全然違うじゃないか!
小田嶋さんといえば日経BPの「ピース・オブ・警句」のコラムだ。本当に毎回毎回秀逸。時事問題でイライラする心にじっくりしみ込む笑いと、かつ明解な分析。ネットメディアも雑誌も定期的に読む場所は、ほとんどなくなってしまった昨今。私ですら更新をほぼかかさず楽しみにしている。
しかしこのアル中本を読んでびっくりした。小田嶋センセイは、30代のほとんどはアル中ですごしたのだという。「アルコール依存症」というと言い方がやわい、とセンセイは言う。とにかく「アル中」だ、と。
確かに赤羽に朝10時ごろ行くとパチンコ屋の前に開店を待つ、ギャンブル中毒の皆さんがいて、心が痛くなるのだが… 依存とは怖いものだ。だが、人間は少なくとも何かに依存しないと生きていけないのだ、ということを非常に感じた1冊だった。
まずいことにこの危ない感じは、私もめちゃくちゃ実感している。私も仕事に依存していないだろうか。仕事を取ったら、もう何もすることがなく、生きる意味がなくなってしまうのではないだろうか。あとSNSも。このブログにも。もしかしたらめっちゃ依存していないだろうか。本当にやばい。
小田嶋さんが指摘していることが面白い。実はアル中から抜け出す時に一番問題なのは「時間」なのである、ということ。 確かにそれほど飲まない私ですら(通常はワイン2杯で超ご機嫌)友達と飲み始めると、夕方6時とかに集まったのに終電近くまで飲むことになる。仕事以外で何かをするのに5時間なんて、そんなに長い時間を費やすことが他にあるだろうか! それなのに、お酒を飲んでいると5時間なんて短いくらい。とにかくあっという間だ。怖すぎる。
まさに角幡唯介さんが『アグルーカの行方』で指摘してた「生きるということは不快に耐えてやりすごす、時間の連なりに他ならない」。そのとおり!! 人生とは、どうやってこの果てしなく長い時間をなんとか楽しいことで気を紛らわせてやりすごすか、という、それに尽きるのだ。とにかくお酒があれば、5時間でも7時間でもなんとなく(ほとんど無駄に)過ぎていく。ぼーーーっと生きてないで、自分を飽きないように楽しませること。ホントにこれが生きて行く上で一番大変な作業なのだ。しかも私の場合、たちが悪いことに、一生懸命自分で働いて満足いく結果が出せないとハッピーにはなれない。言ってみりゃ、要求が高い女だ。物を買ったり、海外観光旅行に行くだけで幸せになれる人がホントに羨ましい。あ、あと美味しいものを食べる、というのは一番楽に時間がすごせる最良の方法だな…。言ってみりゃ、それが手っ取り早いか…
あと小田嶋さんのアル中をなおしてくれた医者の先生が言ったという「インテリだからあなたは治るかも」という言葉にも響いた。依存を辞めるということは「忍耐」でも「我慢強さ」でもなく、それにかかわっていた生活を意識的に組み替えることだ、とセンセイは説明する。生活のプランニングを1からすべて組み替える。それは知性のない人間にはできない、と。うーむ。
そしてアル中が酒をやめるのは4LDKの部屋に住みながら、2部屋だけの中で生活をしている、という感覚なのだ、という説明も腑に落ちた。つまりあっちの2部屋にはやばいもんがいっぱいある、それをそこに押し込めて近寄らないようにする、そういうイメージ。そうやって一生を過ごしていかなくてはいけない、その感じ。
「翼をもがれた鳥」というのもいい表現だ。アルコールを辞めた自分は翼をもがれた鳥だ、とセンセイは言う。もう翼はないものとして生きて行くしかないのだ。そういう感覚は、おそらく一生つきまとう。ただそれでも生きていかないといけないのだ、アル中だった人は。
これがタバコみたいに物質だけで、時間をさほど取られないものであれば、比較的簡単にニコチンを辞めるだけで済む、と小田嶋さんは言う。でも酒を辞めるこということは、やはり「依存」であり、「それに費やす時間」への依存であり、それを克服することは大変難しい、と。だからお酒をやめると… 暇で暇でしょうがないとセンセイは言う。そしてAAとかに言って意味もなく時間をすごすのだが、この「時間をすごす」というのがアル中には大事で、そうやっている間は飲まずにすむ、という環境を組みたてるのが重要なのだ、と。
それはインテリにしかできない。
ちなみにダイエットも同じだと小田嶋先生は言う(ドキっ)。食べる、という事に依存する、その感じ。そして世間の3割くらいは「オレ、考えるの嫌だ」という人で構成されているのだとも。それが物事の極端な単純化を望む、と。だから多くの人はリバウンドしてしまうのだ。肥っている人はダイエットが嫌なのではなく、考えるのが嫌なのである、ということ。食べるということに、いかに依存しているのか。そして、単純な指針をいかに誰もが欲しているかという…。あー、ホントに怖すぎる。
そして恐ろしいのは「スマホを忘れたときの心細さは、アル中時代の焦燥感と同じ」というのにも超やばいと思った。SNS中毒だ。中毒であり依存だ。しかも本当の敵はSNSではなく、その先にある「コミュニケーション」なのだ。しかもこのコミュニケーションは、あらゆる時間という時間をがんがん吸い取っていく。これはホントにやばい、ということ。確かに、SNSにかまけて時間がたってしまった感覚は、お酒で無駄に時間をすごした感覚とすごく似ている。
スマホを見ていると…そのときは自発的な思索を辞めてしまっているのだ。外部に情報を求めるということは、自分の頭で考えないこと、そのもの…とセンセイは指摘する。うーん、ごもっとも!
あぁ、やばい。こうやってブログを書いているのも、ホントは自分はコミュニケーション中毒なのかも?と思う。いや、文章を書くこと自体は自発的に考えている行為だから、大丈夫なのか? あぁ、ホントに人間って弱すぎる。ホントにやばい。
PS
人生をどうアーキテクトするか。例えばこういうのも…上手くやれば結構自分をマネジメントすることは難しくないと思う。そして理想の自分に近づけるのか…な?(笑) 例えばこんな小さな事も。
単純な話だが、私はけっこう自分では小田嶋さんのファンだと思っていたのだが、小田嶋さんがアルコール中毒だったとはまったく知らなかった。そして結婚してらっしゃることも初耳だよ!!
なんだか勝手なイメージは… 小田嶋さんは津田大介さんと並ぶ北区を代表する言論人で、赤羽に住んでらっしゃるから、お酒は適度に楽しみ、あの夜遅く行ってもケーキがちゃんと置いてある駅前の某カフェの常連で、エレカシをたしなむように聞き、実は今だに結婚せず年老いた母親と住んでいる…くらいのイメージでいたよ!! おいっっ! 全然違うじゃないか!
小田嶋さんといえば日経BPの「ピース・オブ・警句」のコラムだ。本当に毎回毎回秀逸。時事問題でイライラする心にじっくりしみ込む笑いと、かつ明解な分析。ネットメディアも雑誌も定期的に読む場所は、ほとんどなくなってしまった昨今。私ですら更新をほぼかかさず楽しみにしている。
霞が関文学としての森友文書 https://t.co/DbolC2HHOq— 野崎洋子 (@mplantyoko) 2018年3月27日
しかしこのアル中本を読んでびっくりした。小田嶋センセイは、30代のほとんどはアル中ですごしたのだという。「アルコール依存症」というと言い方がやわい、とセンセイは言う。とにかく「アル中」だ、と。
確かに赤羽に朝10時ごろ行くとパチンコ屋の前に開店を待つ、ギャンブル中毒の皆さんがいて、心が痛くなるのだが… 依存とは怖いものだ。だが、人間は少なくとも何かに依存しないと生きていけないのだ、ということを非常に感じた1冊だった。
まずいことにこの危ない感じは、私もめちゃくちゃ実感している。私も仕事に依存していないだろうか。仕事を取ったら、もう何もすることがなく、生きる意味がなくなってしまうのではないだろうか。あとSNSも。このブログにも。もしかしたらめっちゃ依存していないだろうか。本当にやばい。
小田嶋さんが指摘していることが面白い。実はアル中から抜け出す時に一番問題なのは「時間」なのである、ということ。 確かにそれほど飲まない私ですら(通常はワイン2杯で超ご機嫌)友達と飲み始めると、夕方6時とかに集まったのに終電近くまで飲むことになる。仕事以外で何かをするのに5時間なんて、そんなに長い時間を費やすことが他にあるだろうか! それなのに、お酒を飲んでいると5時間なんて短いくらい。とにかくあっという間だ。怖すぎる。
まさに角幡唯介さんが『アグルーカの行方』で指摘してた「生きるということは不快に耐えてやりすごす、時間の連なりに他ならない」。そのとおり!! 人生とは、どうやってこの果てしなく長い時間をなんとか楽しいことで気を紛らわせてやりすごすか、という、それに尽きるのだ。とにかくお酒があれば、5時間でも7時間でもなんとなく(ほとんど無駄に)過ぎていく。ぼーーーっと生きてないで、自分を飽きないように楽しませること。ホントにこれが生きて行く上で一番大変な作業なのだ。しかも私の場合、たちが悪いことに、一生懸命自分で働いて満足いく結果が出せないとハッピーにはなれない。言ってみりゃ、要求が高い女だ。物を買ったり、海外観光旅行に行くだけで幸せになれる人がホントに羨ましい。あ、あと美味しいものを食べる、というのは一番楽に時間がすごせる最良の方法だな…。言ってみりゃ、それが手っ取り早いか…
あと小田嶋さんのアル中をなおしてくれた医者の先生が言ったという「インテリだからあなたは治るかも」という言葉にも響いた。依存を辞めるということは「忍耐」でも「我慢強さ」でもなく、それにかかわっていた生活を意識的に組み替えることだ、とセンセイは説明する。生活のプランニングを1からすべて組み替える。それは知性のない人間にはできない、と。うーむ。
そしてアル中が酒をやめるのは4LDKの部屋に住みながら、2部屋だけの中で生活をしている、という感覚なのだ、という説明も腑に落ちた。つまりあっちの2部屋にはやばいもんがいっぱいある、それをそこに押し込めて近寄らないようにする、そういうイメージ。そうやって一生を過ごしていかなくてはいけない、その感じ。
「翼をもがれた鳥」というのもいい表現だ。アルコールを辞めた自分は翼をもがれた鳥だ、とセンセイは言う。もう翼はないものとして生きて行くしかないのだ。そういう感覚は、おそらく一生つきまとう。ただそれでも生きていかないといけないのだ、アル中だった人は。
これがタバコみたいに物質だけで、時間をさほど取られないものであれば、比較的簡単にニコチンを辞めるだけで済む、と小田嶋さんは言う。でも酒を辞めるこということは、やはり「依存」であり、「それに費やす時間」への依存であり、それを克服することは大変難しい、と。だからお酒をやめると… 暇で暇でしょうがないとセンセイは言う。そしてAAとかに言って意味もなく時間をすごすのだが、この「時間をすごす」というのがアル中には大事で、そうやっている間は飲まずにすむ、という環境を組みたてるのが重要なのだ、と。
それはインテリにしかできない。
ちなみにダイエットも同じだと小田嶋先生は言う(ドキっ)。食べる、という事に依存する、その感じ。そして世間の3割くらいは「オレ、考えるの嫌だ」という人で構成されているのだとも。それが物事の極端な単純化を望む、と。だから多くの人はリバウンドしてしまうのだ。肥っている人はダイエットが嫌なのではなく、考えるのが嫌なのである、ということ。食べるということに、いかに依存しているのか。そして、単純な指針をいかに誰もが欲しているかという…。あー、ホントに怖すぎる。
そして恐ろしいのは「スマホを忘れたときの心細さは、アル中時代の焦燥感と同じ」というのにも超やばいと思った。SNS中毒だ。中毒であり依存だ。しかも本当の敵はSNSではなく、その先にある「コミュニケーション」なのだ。しかもこのコミュニケーションは、あらゆる時間という時間をがんがん吸い取っていく。これはホントにやばい、ということ。確かに、SNSにかまけて時間がたってしまった感覚は、お酒で無駄に時間をすごした感覚とすごく似ている。
スマホを見ていると…そのときは自発的な思索を辞めてしまっているのだ。外部に情報を求めるということは、自分の頭で考えないこと、そのもの…とセンセイは指摘する。うーん、ごもっとも!
あぁ、やばい。こうやってブログを書いているのも、ホントは自分はコミュニケーション中毒なのかも?と思う。いや、文章を書くこと自体は自発的に考えている行為だから、大丈夫なのか? あぁ、ホントに人間って弱すぎる。ホントにやばい。
PS
人生をどうアーキテクトするか。例えばこういうのも…上手くやれば結構自分をマネジメントすることは難しくないと思う。そして理想の自分に近づけるのか…な?(笑) 例えばこんな小さな事も。
運動を続けるコツ。定期的に運動してる人をTLにいれておくといいですよ。その人が運動してるのを見ると「あっ、やばい、オレもやろう」って思うから。— 野崎洋子 (@mplantyoko) 2018年3月28日