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2018年3月22日木曜日

リアム・オフリン物語(CD2タイトル、ショップに入荷しました)

リアム・オフリンはパイプをセッションからコンサートホールへと導いた人、そしてレオ・ロウサム、ウィリー・クランシー、シェイマス・エニスからの伝統を引き継いだ人。

キルデア県キルに1945年、クレア出身のお母さんのメイジーと、ケリー出身のお父さんリアムの元に生まれた。2人とも音楽好きだった。お母さんはとにもかくにもクレアの伝統でつながれている人だった、とリアムは回想する。彼女はジュニア・クリハン(有名なフィドル奏者)の従姉妹で、音楽的に故郷とつながっていたばかりではなく、親戚同士すごく仲が良かった。ホリディというとクレアのミルタウン・マルベイに繰り出し、そこでお母さんはピアノを弾き、またかつ彼女は素晴らしいシンガーでもあった。リアムは弟のミホール、そして妹のモーリンとともに伝統音楽が大好きになる。

父はケリーのトラリーに住んでいた人で、彼は彼でディングルととても強いコネクションがあったという。お父さんはフィドル奏者。お父さんのお父さんもフィドル奏者。そういう家系。リアムのおじいちゃんは学校の先生として働いていたそうで、Traveling School Teacher(timire Taisteal)とリアムは説明する。その息子であるリアムのお父さんは、国家試験を受けて、正式な学校の先生になり、それでも休日には音楽の演奏が楽しめるようなライフスタイルだったそう。

ダブリンのフィドル奏者トミー・ポッツや、キルデアのパイプ奏者ショーン・デンプシーなど、毎週毎週、家にはミュージシャンが集ってセッションするような環境。子供のころから家の台所で行なわれているセッションを少年リアムは、ベットルームの扉をあけてベットの中で楽しんでいたのだった…

少年リアムは、また同じ年の子供たちと同じようにラジオ・ルクセンブルグにも夢中になる。でも伝統音楽は常に彼の心をとらえて離さない。ティン・ホイッスルが彼の最初の楽器となったのだが、それは6歳か7歳ごろの話。

ディングルからニューブリッジに引っ越した一家。リアムはそこでパイプに出会う。それはニューブリッジの警察官トム・アームストロングというお父さんの友人。そして10歳か11歳ごろリアムは最初のパイプを手にする…

リアムはパイプの巨匠レオ・ロウサムと出会います。お父さんが、クリスマスプレゼントに、とリアムにレオのレッスンを経験させてくれたんだって…。そしてそのレッスンはリアムが17歳になるまで続いたのでした。

「あんなすごい巨匠が自分の最初の先生だったとは、僕はラッキーだったとしか思えない。おそらくレオ・ロウサムは、20世紀最高のパイパーだっただろう。いや、もしかしたらすべての時代においても最高のパイパーだったかもしれない。とにかく完璧な先生だった。リードを作るのもとても上手だった。とにかくパイプは複雑な楽器だったので、レオのような先生に学び、矯正されることは非常に重要だったんだ」

「パイプは演奏するのが難しいと同時に、リードや数々のメンテナンスもあって、パイプは本当に大変な楽器なんだ。本当に自分のすべてをそこに捧げないと物にすることが出来ない楽器。ちょっと演奏して、またしばらくのブランクのあとに戻ってこれるような楽器でもない。とにかくすべての時間、すべてを捧げないといけない楽器だ。レオは本当に僕にすべてを教えてくれた」

「伝統を次の世代に引き継ぐというのは非常に重要な仕事だ。僕たちは先生と教え子という関係だったけれども、かしこまった関係ではなかった。それは僕が受けていたピアノのレッスンとはだいぶ違っていた。まるで僕らは父親と息子のような関係で、僕は彼が先生でうれしかったし、彼も僕のような熱心な生徒を持ってうれしかったようだ。レッスンは毎週金曜日の夜6時から7時まで行なわれたが、レオはラジオの録音もあったので、いつも練習用ではなくフルセットのパイプを持ってきてくれていた」「僕はこのレッスンをさせてくれた両親にとても感謝している。特に父はこのために僕を車にのせて送り迎えをしてくれていた。僕はレッスンに行くのが大好きだった」

「クラダーレコードの創始者のガレス・ブラウン(ガレスの事は「チーフタンズ物語」も参考にしてみてください)のことはよく覚えているよ。彼はパイプの大ファンでね。RTE(アイルランド国営放送)のブロードキャスターがガレスと一緒にいて、ガレスが、このブロードキャスターに僕を録音するように強くすすめたんだ。それが僕の最初のラジオでの演奏になった。僕はまだ12歳くらいだったけど、この時はコンペティションに参加していたんだ」「自分の演奏が翌週の日曜日、ラジオで流されて、僕はすっかり舞い上がった」「このブロードキャスターのキーランは、僕をいろんな伝統音楽のミュージシャンたちに紹介してくれた。彼は誰が世界1のフィドラーで、誰が世界1のパイパーかなどと自分の考えを押し付けることもなかった。気取ることもなく、本当に素晴らしい人だった」

またリアムのクレア州へのコネクションは、ウィリー・クランシーというまた別の素晴らしいパイパーへとつながっていった。ウィリー・クランシーはすぐれたパイパーであるというだけではなく、アイルランド伝統音楽の文化を担ったアイコンのような存在だった。「ウィリー・クランシーは本当に最高の人だった。とても優しくて思慮深かった。ユーモアのセンスも抜群で、彼のことを悪く言う人など誰もいなかった」現在ミルタウン・マルベイは、ウィリー・クランシーのサマースクールが開かれ、毎年世界中から多くの生徒が音楽を学びに集まってきている。

17歳頃、リアムはのちのバンド仲間となるドーナル・ラニー、そしてクリスティ・ムーアらに出会うことになるプロスペラスという町のPat Dowling's Pub、そしてDowning houseの地下室に通うようになる。そこでは伝統音楽の最強のセッションが繰り広げられていた。ここで、まずリアムは第3の師匠であるパイパーのシェイマス・エニスに出会うことになる。 シェイマスは当時ラジオで伝統音楽を紹介していたりしたので、シェイマスがパブにやって来るというニュースを聞いた少年リアムは伝統音楽の巨匠に会えるのを楽しみにしていたのだ。

「パイプの奏法には2種類あると思う。いわゆるスタッカートなCloseと呼ばれるスタイル。もう1つはレガートな、オープンなスタイル。エニスは、この両極端な2種類の演奏をうまくミックスさせて演奏していた。彼のスタイルは彼より古い世代のパイパーたちをすべて合成させたスタイルだ。彼自身もそう説明していた」

「シェイマス・エニスは素晴らしいミュージシャンだったか,同時に音楽の背景に対する敬意を忘れない人だった。40年代、50年代に彼はたいへんな量の伝統音楽を採集した。30年代から50年代にかけてイーリアン・パイプの演奏家は本当に減少してしまったが、それでもこの楽器は、レオ・ロウサムやウィリー・クランシー、シェイマス・エニスたちのおかげで生き残ることが出来たんだ。68年「イーリアンパイプ協会」が設立され、それはこの楽器が生き残るために非常に重要な組織となった」

「シェイマスはパイプが生き残るためにはCCEよりも小さい独自の組織がパイプの演奏者たちだけによって組織される必要があると分かっていたんだね。彼は正しかったと思う」

シェイマスが演奏していた130年前の楽器は、のちにリアムに引き継がれることになる。そしてリアムはPubや地下室で一緒に演奏していた仲間たちとプランクシティとなるべきバンドを結成するのだった。これは、また別のお話(笑)

プランクシティのその後についてはこちらにも少し書きました



泣ける。ドキュメンタリー。3分ごろに出て来るのはお父さんのリアム・オフリン。このとき、まだご健在だったんですね… 



プランクシティのドキュメンタリー。



R.I.P. リアムありがとう。



リアム・オフリンのCDはこちらで販売しております。
OUT TO AN OTHER SIDE
THE PIPER'S CALL