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2018年8月8日水曜日

トミー・ピープルズ R.I.P.

もう記憶があやふやなのだが、アイルランドでも時々「伝統音楽おたく」に出くわすことがある。どちらかというとアイルランド本国ではなく、そういう人たちはアメリカに多い。彼らは桁外れの金持ちで、実際ものすごいコレクションを所有している。

もうすでにどういう経緯でそのお家に呼ばれたのか、まったく記憶がないのだが、ダブリンの南側の高級住宅地に住む、そんなご夫婦が私をご自宅のディナーに招待してくれた。しかもまだかなり若い伝統音楽家(男性/確かフルート奏者)が同時に招待され、私たちは大変なご馳走にありついた。伝統音楽の話題のあれこれに花を咲かせ、楽しい時間が過ぎていったのだが、彼らの様子があまり押しつけがましくなく、帰りにさりげなくこの若いプレイヤーのCDを手渡されたぐらいだったで当時はあまり深く考えることもせずいただいたのだが、このご夫婦はこの若い音楽家を私に紹介したかったのかな…と今から思えばそれが感じられる。まったく鈍感な若くてバカな私。ちゃんとそういった希望にきちんと対応できていたかははなはだ疑問である。今だったら「いいよ、いいよ、後で買うから」と言うなり何らかのスマートな対応が出来たと思うのだけど。

ご夫婦のコレクションは大変なものだった。当時手に入りにくかったモレート・ニ・ゴーナルのファースト・アルバムをCDRに焼いてくれて、それをいただいたり、貴重な資料を拝見したりして楽しい時間をすごした。マニアというのものは、どの国の人でも自分のコレクションを理解し、それについて価値を認める人間に見せたがる。もっとも私は別にアイルランド伝統音楽の「ファン」でもなければ「おたく」でもない。自分に関係ないミュージシャンにはあまり興味がないし、そりゃあ知っておかねばならない音楽は勉強するけれど、 それ以上でも以下でもない。それでもこの素敵なご夫婦には感心したし、彼らはおそらくそうやって外国から来る「アイルランド伝統音楽に興味をもつ」外国人たちをしょっちゅうもてなしているのであろうことは容易に想像できた。そして、そういった人たちとの交流も、伝統音楽を紹介する仕事をしている自分にとっては重要な仕事の一部だ。またこのギトギトした音楽業界においてコマーシャル主義に走らないで音楽愛だけで過ごしていられる温かい場所でもある。本当になんて恵まれた仕事だろう。

ところが残念なことに、このご夫婦、今となっては誰の紹介だったのか、もうすでに記憶がない。また連絡を取りたいとは思っているのだけど… facebookとかやってないかしら。当時はSNSも存在していなかった。名前ももう覚えていないのだが…知ってる方がいたら、是非連絡ください。たぶん現地に渡る日本人ミュージシャンの人たちだったら交流があるのではないか、と思ったりする。

で、これだけの情報では彼らにたどりつくことはおそらく出来ないと思うのだけど、彼らに関する情報で、これがあれば彼らに辿り着けるであろう、という完璧な記憶がある。彼らはダブリンに住む他のお金持ちと一緒にリフィ川の南に住み、立派なお屋敷(お屋敷と呼べるサイズのお家だった)もすごかったが、びっくりしたのはこの絵だ。玄関ホールに飾られたこの絵は、おそらく3m四方くらいのかなり大きなサイズで、このオリジナルには目をみはった。 この絵のオリジナルがある家、と言えば、このご夫婦が特定できるかもしれない。

トミー・ピープルズの「The Quiet Glen」のジャケットにある、このポートレートのオリジナルである。近くで見ると細かく描き込まれた背景が本当に素晴らしく圧倒された。

これ、確かお嬢さんだか、トミーの近親者が描いた絵だったんじゃなかったけかな… もうホント記憶があやふや。このCDもどっかにあるはずだが出てこない。

その後、ラッキーにもハリウッドというダブリン郊外の小さな村で、トミー・ピープルズのソロ公演があり、それを観に行くことが出来た。そこでこのご夫婦に再会し挨拶をした記憶もある。といっても、ちらっと挨拶した程度。もう10年…いや、15年くらい前の話だ。ポール・ケリー(マンドリン)がダブリンの街から車を出してくれたんだっけ… あれは楽しかったよな。恐らく…ポール・ケリーがレーベルを運営していたころで、無印良品のBGM4のレコーディング前だったから…少なくとも15年はたっていると思う。

で、会場にはグラーダの連中やキーラのオスノディ兄弟たちも来ていた。トミーのフィドルのソロ演奏は当時の私に理解できるものだったかは疑問だが、強烈に覚えているのはミュージシャン全員が超熱心に聞いていたことと、入場料のチェックが甘く、これならばチケットを買わなくても入場できてしまえるのではないかと思った事だ(笑)。狭いパブはギッチギチの満員だった。で、もちろん終演後は大セッションになった。ポール・ケリーがアランに北欧のすっごい変形した伝統音楽(アイルランドでは考えられないリズムくいまくりのすごい難曲)を教えていたのをはっきり覚えている。
 
今も昔も私はあまりミュージシャンと写真を撮ることはしないのだけど、さすがにこの時ばかりはトミーと写真を一緒に撮ってもらった。(が、その写真も出てこないw でもどっかにあるはず。見つかったら、またここにアップします)

トミーの演奏はこんな感じ。いわゆるドニゴールにありがちなギコギコフィドルで、弓の使い方が圧倒的に短い。ほぼ5〜10センチくらいの間で演奏しているのではないかというくらい。クラシックの人が見たら卒倒しそうだよね。



トミーがいたころのBothy Band - Kesh Jig他


しかし… ホントにルナサみたい!(笑)

現在、ポール・ブレイディのマネージャーをつとめ、プランクシティ、ボシー、デ・ダナン、クラナドなどのツアー・エンジニアも勤めたジョン・マニスによると、70年代ライブがいちばん凄かったのはやはりボシーでホントに物凄かったのだそう。一度ライブ観たかったよなぁ。

あとトミー・ピープルズで思い出すのはご本人より実はこの曲。アルタンの最高傑作『アイランド・エンジェル』。バンドリーダーのフランキーが癌で亡くなるのを覚悟で録音したものすごい作品。その1曲目が「トミー・ピープルズ」なのだ。2分頃の「タリラリラータリラリラ〜」とスピードアップしてく感覚がもうたまらない。こういうエッジが効いた感じって、この頃のアルタンの持ち味だよね…



ボシーからこっち、アイルランド音楽は早いのが良いとされてきた(笑)それは今でもあまり変わらない。だからいろんな意味で、私は静かな秘めた熱さとクールさを兼ね備えたプランクシティの方が圧倒的に好き。でもウチでかかえているバンドの連中、皆ほとんどボシー派である。プレイヤーとしては、ボシーが持つチャーミングさとか、いかにもドニゴールな土着的なところとか、そういうのに惹かれるのかもしれない。

で、そのトミーがつい先日亡くなった。お葬式は昨日だったようだ。70歳だった。実はかなり前から「危ない」という話は聞いていたが、そこから2年くらいはたっていたかと思う。彼の残したレガシーは若いバンドに引き継がれ永遠にアイルランド伝統音楽の歴史の中で輝き続ける。

偉大なるトミー・ピープルズ。おつかれ様でした。 極東の小さな島に住む私もあなたが残してくれた伝統音楽の流れの恩恵に預かり、今の生活があります。本当にありがとうございました。