平成働きマンから、お薦めの漫画『この女に賭けろ』



春になって、新スタートを切った若い人たちへのアドバイス系の記事がネットにも沢山あがる。若くはないけど、私も読んで、なんとなく気持ちを新たに。そういや全然若くないけど、この春、起業する友人も何人かいる。うん、いいねぇ〜

新しいことを始めるというのは、素晴らしい。春になってますますそう思う。

振り返れば、私はいわゆる『平成の働きマン』だった。時代は変わるよねー。新しい元号うんぬんがニュースで流れ、平成のあらゆる社会問題を置き去りにする「リセット感」には強い意志で抗いたいが、このポカポカの春の日差しには抗えない。

そして私の時代も、そろそろ終るかな〜と思う。これからの時代を作るのは私より若い人たちだ。皆さん、宝物のような存在だ。

でも春のスタートを切ったのに、なかなか上手くいかないとフラストレーションを感じている人も多いだろう。私もそうだった。

4月になって初の天気のよい週末だから、私もそんな人たちを想像して、なんとなくこのブログを書いてみようと思った。多少なりとも、1人自営業や音楽を仕事にしたいと思っている人たちの参考になるかもしれない…

自分のサラリーマン時代を思い出すたびに、今の生活や仕事はホントに夢みたいだなと思う。もちろん自分が人一倍努力してきたという自負もあるけど…。

何度かここにも書いていることだが、私は自分から望んでフリーランス/自営業を始めたわけではない。ただ背中を押してくれる人が何人かいて、その人たちに応援されて始まったにすぎない。最初は私も不安だらけだった。

でも自営業を初めてみたら、自分がこんなに自営に向いているとは思わなかった、というくらい向いていた。今では自営以外の生活は考えられない。

とはいえ、社会人になってからすぐ気づいたのであるが、私は若い頃から働くことを厭わない性格であり、これは結構レアなのことである、という事だった。

身体を動かすことは当然だと思ってきた。自分の与えられた環境で、精一杯努力をすることにも疑問がなかった。でも、社会に出てみれば分かるのだけど、実はこの感覚が備わっている人は社会には驚くほど少ない。

しかもこの貴重な感覚はおそらく親にもらったDNAに由来している。その証拠にまずは私の年代においては珍しく共働きの家庭であったこと。(ちなみにウチはおばあちゃんまでもが会社勤めしていたというすごいキャリア・ウーマン家庭であった)

そして二人とも仕事引退したのに、今でもなぜか畑をやったり、ちょっとした事業をしたり、忙しくしているということ。

働く事=お金を儲ける事ではないのだ。それは承認欲求かもしれないし、別の何かなのかもしれないし… でもとにかく努力する。それについては、疑問を持ったことがあまりない。

そして今なら分かる。ホントに「働き者遺伝子」が体内にない人が後天的にこれを身につけるのは非常に難しい、ということだ。社会に出れば分かるのだが「成果を達成できることを喜びとする人」は世の中に驚くほど少ない、ということだ。

それよりも、多くのおじさんが(とか書くと偏見なのだが/笑)いかにちょっとでも楽をしようと、得をしようと競っている…それが社会なのだ、という事。

先日、勝間和代さんがこんなブログをあげていた。つまり自炊すれば安いのに、なぜ割高なカップラーメンを貧乏な人たちは買ってしまうのか、という話題なんだけど…


これ…分かる。いろいろ評価の分かれる彼女ではあるし、私は何も彼女の言うことに100%賛同しろとは言っていない。かつて彼女は原発の広告記事にも協力してた事もあるし… でもいろいろ勉強になることはホントに多い。

彼女のすごいところは、少しでもなんとか世の中を良くしようと考えていることであって、いろんなことの気づきを読者の中から引き出してくれることだ。今回のこの経緯も面白かった。

それに、この流れを見ていて私も気づいたのだが、いわゆる「文化資本」と呼ばれるこの部分を後天的にでも備えられるようシステムを構築すれば、世の中が良くなっていくのではないかと思うんだよね、イヤ、マジで。 

(そしてそれが上手く行っているのがフィンランドとか北欧の国だと思う。そもそもあんなに小さい国では全員が1人もこぼさず、全員を活かすような国にするべく努力しないと、社会の運営が立ちゆかない… ま、その話題は、また今度)

つまり「働き者遺伝子」がない人の方が多いのだ、世間には。だからどうしても目先の…カップラーメンに流されてしまうのだ、と。

論点がそれた。それはともかく、「働き者遺伝子」以外に、自分がこの職業に向いていた理由としては、自分の性格が「適度にゆるい」ということも良かったと考えている。私がフリーになる時にもらったアドバイスで、すごく良かった物が2つ。

1つは「煮詰まったら仕事場の掃除をすること」2つ目は「自分1人ならなんとかなるさ」と気楽に構えること。特に2つ目。これは独立して20年以上たった今でもジワジワ効いてくる時がある。

実際、すごく真面目で働き者で、でもそれによって自滅するように廃業に追いやられた自営業者を何人も見ている。どの人も、私なんかよりもよっぽど仕事の出来る人たちだった。

でも、ちょっとしたつまづきが致命的になってしまい、本当なら才能があるのに上手くいかなかったというパターンなのだ。要はバランス感覚なのかもしれないが、ホントに難しい。

かえっていい加減な人の方が世の中生き残って行ける可能性も高かったりするのだから、真面目な彼らのことを思うにホントに心が痛い。

が、分からない。彼らのうちの1人は「もう遊んでちゃいけない、と思って」と言って田舎に引き上げていった。あれはちょっと考えたね。確かにこの仕事は遊びみたいなところがある。それを思うと、こうやってズルズル続けている私の方がダメなのかもしれない。

いや、私は楽しいし、続けられているから続けているのだけど…

そういえば、ちょうど職業選択で悩んでいた頃、こんな漫画を読んでいた。90年代の後半に週刊モーニングで連載。

この漫画を読む前は、女のキャリアウーマン(死語)はひたすら男に負けないようにバリバリ働くもんだと思ってたから、この本を読んで本当にかっこいい女性というのはこういう事なのだ、というのを妙に感じた。そして浩美のようにもっと広い視野を持って、世の中を良くするために(というと偉そうだけど)自分のペースで仕事が出来る人になりたいなぁとマジで思った。

女性ならではの優しさも必要だし。

というか、世の中を変えるには周りも巻き込まないとダメなんだ、という当然のことを、この漫画でやっと理解したような気がする。

もう少しこの漫画を自分のキャリア形成の前に読んでいたら、私も大きな会社で出世できて、カッコいい女性になっていたかもしれない…というのはウソ(笑) 

そもそも立ち振る舞いとか、言葉使いとか、メイクをちゃんとするとか、きちんとした恰好をするとか、私にとっては超苦手! もうそこからしてダメダメだよね。

今、amazonみたら、ドラマ化なにかの流れで、kindleで1巻だけだけど無料で読めるみたいなので,是非。



PS
あ、あと春にはこの記事もお薦め。「〜したらいいんじゃないかな」とか、「誰かやってくれませんか」とか、人に言ってないで、自分がとっとと起点になろうよ、ということ。

アイディアなんて、100人いれば100個生まれる。それよりも自分が起点や動点になれば、面白い人たちが自然と集まってきて楽しい人生が送れるよ、という事。

以上、平成の働きマンから… 結局アドバイスおばさん、しちゃったよ(爆)うっとおしいかね、こういうの(笑)