『アビー・ロード』から50年

初めて英国に行った19歳の夏(84年かな…)。もう2度と英国には来れないだろうと思っていたので、せっかくだからとアビー・ロードに行った。セントジョンズウッドの地下鉄の駅で降りて、AtoZのMapを持っていたが、見事に迷ってたどり着くまでに時間がかかった。あの時の写真は今でもどっかにあるはずだ。横断歩道はもちろん(実際は車がビュンギュン走っていてびっくりした)、スタジオの入り口の写真も撮った。当時、ロンドンは憧れの場所だった。1ポンド350円くらいしたように記憶している。

名盤アビーロードから50周年を記念して当時の写真が見られる。みんな可愛い。よく考えたら、みんな30歳そこそこだ。ヒゲと長髪で親父くさくなっているけれど…


それにしても懐かしいなー。ビートルズは基本的にバンドだったころが好きだ。初期の2枚。でも「リボルバー」も最高だし、「アビー・ロード」は好きなアルバムを5枚選べと言われたら入っちゃうだろうな。





みんな音楽に当時の自分を反映させて思い入れる。私にとって当時のロンドンは夢の場所だった。2度と来れないかもしれない、と思った学生時代の私。パリ経由で乗った国際線の飛行機は驚くほど長い時間のように思えた。貧乏海外旅行の象徴といえば私にとってはロンドンだった。でも結果、30回は最低でも訪れていると思う。今や直行便が通っているところは遠いとは思わないが、とはいえ最近はご無沙汰だな〜。アイスランドの火山灰事件で足止めくらってから行けてないかもしれない。懐かしい。当時はインド料理と中華料理しか食べるものがなかった。

今度姪っ子が英国に留学する。彼女が何を得てくるのか、本当に楽しみ。私は19歳のときに海外に初めて行って考え方が180度変わってしまった。英語は当時まったくしゃべれず、外国人と接触したこともなかった。英語がしゃべれたらいいなと憧れた。それが今では英語を使って仕事をしている。英語は上手じゃないけれど… 。

当時英語の勉強必死だったなぁ、このBBCの番組を死ぬほど見た。フレーズは全部といっていいほど覚えた。英国のクラス社会、アメリカ英語との違い、パーキングメーター(笑)すべてこの教材から学んだ。



必死で勉強していたあの頃。大学は哲学科だったため、正直ヒマだった。なので週2回、毎回2時間、Cambridge Enslish Schoolというサントリーと上陸したばかりのBritish Councilが運営していた英語学校に通っていた。でも私を鍛えたのは、ラボにこもって勉強した自習時間である。

語学は実践のコミュニケーションはもちろんだが、それとは別に机に座ってしっかり取り組む時間がある程度ないと上達しない、と今も思う。今でも英語が上手いとは思わないが、一応仕事はできているわけだから、まぁ、自分としては合格だ。いっときスウェーデン語も結構いい線いってたんだけどなぁ。また始めるかなぁ。しかし、このように自分で必死で努力して手にいれた英語力なので、今でもいつまでたっても英語しゃべれない人に対して厳しく思ったりしちゃうんだよな….いけない、いけない(笑)。

でも驚くほどに海外に何年も住んでるのに英語とかコミュニケーション全然ダメな人っているよね… なんなんだろうね、あれは…。

80年代。ポール・ヤングが大好きでした。先の来日では声が出てなかったようで… 無理もないよなぁ。しばらく大きなステージやってなかっただろうし、奥さん、乳がんだかで亡くなったばっかりじゃなかったっけ。ブー・ヒュワディーンやポール・ブレイディが彼に楽曲を提供していたり、ロンドンのちょっとした打ち上げパーティに彼が現れたり(とても話しかけられず)したこともあった。あの頃の自分に言ってあげたい。英語頑張れば、絶対に話せるようになるよ、と(笑) 

そういやあの頃、雲の上の人と思っていた湯川れい子さんやスヌーピーさん、そしてピーター・バラカンさんなどとご一緒できているわけだから、幸せもんの自分である。いや、もちろん努力したから、という自負はあるけどね。努力して小さいながらも成功体験が得られるってすごく重要だと思う。だから姪っ子にも頑張ってほしい。海外留学って難しいんだ。自分の周りを見ても帰ってきて物になってる人って、実はほとんどいないんじゃいかと思う。それより根無し草みたいになっちゃっている子の方が多かったりする。でもあなたはそうやってちゃんと留学できるチャンスを与えられたんだから、それを生かしてほしい。単に日本嫌い・外国好きのお姉ちゃんになるなよ。