高嶋ちさ子さん、好きな芸能人の一人。面白いよね、彼女。頭が良くて話が面白い。
同業者ならわかってくれると思うけど、コンサートホールとかに企画を売り込むとだいたい「そんなわけのわかんないものやってもお客さんが来ない。TVに出てる人をお願いします」とか言われるんだよね。(もちろん、そんな直球では言われないけど)
現在、高嶋グループはこのテの企画を独占してる。どこのホールも高嶋、高嶋だ。そしてどこも超満員という結果を出している。すごいよなぁ…TVの力はまだまだ強いんだ。特に地方都市において。
以下、高嶋さんの言葉。
「汚い手を使って、客席を満員にしていると思われているだろうと思いますから。だから、私が守っているのは、既存のクラシックファンは一人も奪わないようにしようと。そこは聖域。だから、私は新規開拓。コンサートは常に年間80、90回用意して、日本中どこにいる人も行けるような状況にしておこうと思っている」
本来クラシックってピュアな世界だと思う。本当に選ばれた者しか演奏しちゃいけない、ものすご〜く研ぎ澄まされた世界。でも今やクラシックという旗のもと、ワールドミュージックよりもジャズよりもユルい音楽や、親より上手いんだかなんだか的な二世プレイヤーたちがもてはやされているのを見るにつけ、いろいろ複雑に思う。美人なんちゃら、とか。こういうのをいわゆる本格的なクラシックファンはどう思っているのだろうか。そしてそういう状況が耳の聞こえない現代のベートヴェンや、猫と暮らす老齢の女性ピアニストの物語など、音楽そのものよりもストーリーが重視される方向へとリスナーを導く。本当に「本格的な音楽家」と呼んでいい人は少ない。そもそもそんなすごい天才がそんなにたくさん出現するわけがない。なにをもって本格的と呼ぶのかというと、まぁテクニックとかそういうことになるのだろうけど。うーん、上手く言えないや…。
高嶋さんや、例えば葉加瀬太郎さんもこの手の世界では成功している人だが、自分がいわゆるそういう本格的なプレイヤーではないということを自分でちゃんとわきまえているといころが彼らの素晴らしいところだと思う。それは彼らのインタビュー記事を読めばわかる。彼らの音楽を真剣に聞いたことはないが(ライブ・イマージュだけは一回行ったよ。すごく長い公演で「全員集合」みたいで、代理店のプレゼンかと思ったよ。正直好きじゃなかった)インタビュー記事はいくつか読んで毎回「いいこと言うなぁ」と結構感動する。葉加瀬さんがYou Tubeでペペロンチーノを作る動画をみて感心もした。彼は真剣にペペロンチーノに取り組んでいた。そして人一倍楽器の練習もし、かつアイディアが豊富で、この世界で残っていくための努力をおしまない。やっぱり成功している人は、めっちゃ努力しているよな…
ワールド・ミュージックの対してうまくもないのに売れてる人を見るとあいつ下手くそなくせに…と妬ましく思うこともあるが、いやいや、そういう人たちは技術とは別の方向でやっぱりものすごい努力している。才能があっても周りと(業界と?)ハモっていく努力をしない音楽家に成功はないのだ。今は少なくともそういう時代なのだ。
とはいえ音楽はピュアで神様に選ばれた人だけのもの…と考えたいという音楽ファンの気持ちは強い。池田理代子先生の『オルフェウスの窓』のこのセリフが好きです。
音楽の苦学生だったイザークは自分の息子に同じ苦労をさせまいと彼をピアニスト、バックハウス(実在する)に預けることに決める。イザークは酒場のピアノ弾きとしてバイトをしていた時期もあるのだが、そういった行動は芸術を志すものにとっては不純物を呼び込むことで、よくないと池田先生は暗に描いている。ピュアなものが汚されてしまう、音に演奏にそういう俗っぽいニュアンスが出てしまう、と。芸術はもっとピュアなものでなくてはいけない、と。
興味深いのは池田先生がインタビューに答えて『オルフェウスの窓』の主役はイザーク。あれは音楽が主題の話だ、と答えていることことだ。普通にこの漫画を読むとたいていの人は、これはユリウスとクラウスの国境を超えた恋愛ものであり、ロシア革命が話の中心だという印象なのだという印象を受けるのだが、作者の思惑は違うらしい。池田先生のこのコメントを聞いて、そういった前提で読み返すとこれまた味わい深い作品だ。
それにしても『オルフェウスの窓』電子書籍で出ないかな〜 出張の移動の時とか読みたいんだけどな〜(と、思ったらここに出ていた! やばい、買っちゃうかも!? 散財だよー涙 → で、結局買ってしまったとさ… 漫画って今、一番高額な娯楽かも…)
音楽っていったい誰のものなんだろう。一つ言えるのは音楽は音楽家のものではなく、音楽は聴く側のものだということ。何度かここに書いているネタだけど、いつだったかウチの近所のショッピングセンターのBGMでなぜかヴァン・モリソンがかかった。が、残念ながらヴァンの歌を聞こうという人はここにはいない。はたまた本物のヴァンがショッピングセンターに現れて実際に歌っても誰も評価はしないだろう。(そういやポール・ブレイディが初めてきた日本で初めてカラオケに行き真剣にプレスリーを歌ったのに誰も聞いてくれなかった、という話をしていたっけ…)
一方で巷では「この歌、ひどいなぁ」という音楽に「あまりに辛くて自殺しようと思ってたけど、この歌に命を救われました!」みたいな感想が飛んだりしている。ウチの甥っ子が小さい頃、言葉が出るのが遅かったので母親である私の妹はとても心配していた。彼女はよく甥っ子に「世界にひとつだけの花」を歌ってきかせていた。あの歌が最高の音楽だと思わないが、あの時の彼女の心配する気持ちを救ったのが、スマップだったことはわたしも認めざるを得ない。わたしがプロモモーションしている音楽なんぞ彼女にとっては意味がまったくないわけだ。
だからそれを考えるにつけ、音楽とは演奏する側ではなく聴く側の中に生まれるもんなんだよな、と思う。そこに私なんぞがあれこれ言ってもしょうがないのである。だいたい良いリスナーさんたちを見つけることは、良いミュージシャンを揃えることより難しい。
高嶋さんみたいな人は自分の居場所を見つけたんだね。頭のいい女性だし努力家だと思うから、なんとなく応援している。音楽はちゃんと聞いたことないけど、今度チケット買ってコンサートに行って研究してみるかなぁ、と思う。どんなことであれ違う世界を見るのは勉強になる。
それにしても買ってしまった。オルフェウスの窓全巻。18巻もある。10,000円した…電子書籍はこれ。
紙で読みたい人はこちら…
同業者ならわかってくれると思うけど、コンサートホールとかに企画を売り込むとだいたい「そんなわけのわかんないものやってもお客さんが来ない。TVに出てる人をお願いします」とか言われるんだよね。(もちろん、そんな直球では言われないけど)
現在、高嶋グループはこのテの企画を独占してる。どこのホールも高嶋、高嶋だ。そしてどこも超満員という結果を出している。すごいよなぁ…TVの力はまだまだ強いんだ。特に地方都市において。
以下、高嶋さんの言葉。
「汚い手を使って、客席を満員にしていると思われているだろうと思いますから。だから、私が守っているのは、既存のクラシックファンは一人も奪わないようにしようと。そこは聖域。だから、私は新規開拓。コンサートは常に年間80、90回用意して、日本中どこにいる人も行けるような状況にしておこうと思っている」
いろいろ思うことはあるが結構共感。「私が守っているのは、既存のクラシックファンは一人も奪わないようにしようと。そこは聖域。だから、私は新規開拓」「1曲の演奏は5分以内」「ゲストボーカルを入れて有名な曲を演奏等々 https://t.co/4opr5eilcq— 野崎洋子 (@mplantyoko) August 24, 2019
本来クラシックってピュアな世界だと思う。本当に選ばれた者しか演奏しちゃいけない、ものすご〜く研ぎ澄まされた世界。でも今やクラシックという旗のもと、ワールドミュージックよりもジャズよりもユルい音楽や、親より上手いんだかなんだか的な二世プレイヤーたちがもてはやされているのを見るにつけ、いろいろ複雑に思う。美人なんちゃら、とか。こういうのをいわゆる本格的なクラシックファンはどう思っているのだろうか。そしてそういう状況が耳の聞こえない現代のベートヴェンや、猫と暮らす老齢の女性ピアニストの物語など、音楽そのものよりもストーリーが重視される方向へとリスナーを導く。本当に「本格的な音楽家」と呼んでいい人は少ない。そもそもそんなすごい天才がそんなにたくさん出現するわけがない。なにをもって本格的と呼ぶのかというと、まぁテクニックとかそういうことになるのだろうけど。うーん、上手く言えないや…。
高嶋さんや、例えば葉加瀬太郎さんもこの手の世界では成功している人だが、自分がいわゆるそういう本格的なプレイヤーではないということを自分でちゃんとわきまえているといころが彼らの素晴らしいところだと思う。それは彼らのインタビュー記事を読めばわかる。彼らの音楽を真剣に聞いたことはないが(ライブ・イマージュだけは一回行ったよ。すごく長い公演で「全員集合」みたいで、代理店のプレゼンかと思ったよ。正直好きじゃなかった)インタビュー記事はいくつか読んで毎回「いいこと言うなぁ」と結構感動する。葉加瀬さんがYou Tubeでペペロンチーノを作る動画をみて感心もした。彼は真剣にペペロンチーノに取り組んでいた。そして人一倍楽器の練習もし、かつアイディアが豊富で、この世界で残っていくための努力をおしまない。やっぱり成功している人は、めっちゃ努力しているよな…
ワールド・ミュージックの対してうまくもないのに売れてる人を見るとあいつ下手くそなくせに…と妬ましく思うこともあるが、いやいや、そういう人たちは技術とは別の方向でやっぱりものすごい努力している。才能があっても周りと(業界と?)ハモっていく努力をしない音楽家に成功はないのだ。今は少なくともそういう時代なのだ。
とはいえ音楽はピュアで神様に選ばれた人だけのもの…と考えたいという音楽ファンの気持ちは強い。池田理代子先生の『オルフェウスの窓』のこのセリフが好きです。
大きな手だ ほらぼくの手よりこんなに…… こんなふうにみんなそれぞれがちがう手を持ち ちがうピアノを弾く……— オルフェウスの窓bot (@aporonnomusuko) February 21, 2017
けれども確かなことは きっときみもぼくも……ともに美しい音楽にみちて 生涯をおくれるということです(第二部 バックハウス)#オル窓 ♯オルフェウスの窓
きっときみもぼくも……ともに美しい音楽にみちて 生涯をおくれるということです |
音楽の苦学生だったイザークは自分の息子に同じ苦労をさせまいと彼をピアニスト、バックハウス(実在する)に預けることに決める。イザークは酒場のピアノ弾きとしてバイトをしていた時期もあるのだが、そういった行動は芸術を志すものにとっては不純物を呼び込むことで、よくないと池田先生は暗に描いている。ピュアなものが汚されてしまう、音に演奏にそういう俗っぽいニュアンスが出てしまう、と。芸術はもっとピュアなものでなくてはいけない、と。
興味深いのは池田先生がインタビューに答えて『オルフェウスの窓』の主役はイザーク。あれは音楽が主題の話だ、と答えていることことだ。普通にこの漫画を読むとたいていの人は、これはユリウスとクラウスの国境を超えた恋愛ものであり、ロシア革命が話の中心だという印象なのだという印象を受けるのだが、作者の思惑は違うらしい。池田先生のこのコメントを聞いて、そういった前提で読み返すとこれまた味わい深い作品だ。
それにしても『オルフェウスの窓』電子書籍で出ないかな〜 出張の移動の時とか読みたいんだけどな〜(と、思ったらここに出ていた! やばい、買っちゃうかも!? 散財だよー涙 → で、結局買ってしまったとさ… 漫画って今、一番高額な娯楽かも…)
音楽っていったい誰のものなんだろう。一つ言えるのは音楽は音楽家のものではなく、音楽は聴く側のものだということ。何度かここに書いているネタだけど、いつだったかウチの近所のショッピングセンターのBGMでなぜかヴァン・モリソンがかかった。が、残念ながらヴァンの歌を聞こうという人はここにはいない。はたまた本物のヴァンがショッピングセンターに現れて実際に歌っても誰も評価はしないだろう。(そういやポール・ブレイディが初めてきた日本で初めてカラオケに行き真剣にプレスリーを歌ったのに誰も聞いてくれなかった、という話をしていたっけ…)
一方で巷では「この歌、ひどいなぁ」という音楽に「あまりに辛くて自殺しようと思ってたけど、この歌に命を救われました!」みたいな感想が飛んだりしている。ウチの甥っ子が小さい頃、言葉が出るのが遅かったので母親である私の妹はとても心配していた。彼女はよく甥っ子に「世界にひとつだけの花」を歌ってきかせていた。あの歌が最高の音楽だと思わないが、あの時の彼女の心配する気持ちを救ったのが、スマップだったことはわたしも認めざるを得ない。わたしがプロモモーションしている音楽なんぞ彼女にとっては意味がまったくないわけだ。
だからそれを考えるにつけ、音楽とは演奏する側ではなく聴く側の中に生まれるもんなんだよな、と思う。そこに私なんぞがあれこれ言ってもしょうがないのである。だいたい良いリスナーさんたちを見つけることは、良いミュージシャンを揃えることより難しい。
高嶋さんみたいな人は自分の居場所を見つけたんだね。頭のいい女性だし努力家だと思うから、なんとなく応援している。音楽はちゃんと聞いたことないけど、今度チケット買ってコンサートに行って研究してみるかなぁ、と思う。どんなことであれ違う世界を見るのは勉強になる。
それにしても買ってしまった。オルフェウスの窓全巻。18巻もある。10,000円した…電子書籍はこれ。
❤️ オルフェウスの窓【新装版】|コミックシーモア作品情報 https://t.co/8iPXclLZKq @comic_cmoaさんから— 野崎洋子 (@mplantyoko) August 26, 2019
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