少女像頭に紙袋、怒鳴り声…「表現の不自由展」最後の日:朝日新聞デジタル https://t.co/e8Iew9D9w4 #表現の不自由展・その後— 野崎洋子 (@mplantyoko) August 4, 2019
結局こういう結論になったのか…
表現すること=リスクを伴う嫌な社会になってしまったのは、ブログを書くことですら感じることだけど、今回の「愛知トリエンナーレ」の「表現の不自由展」はそれが一歩進んでしまった感がある。いろいろ考える。
行政から補助金をもらってうんぬんは、もちろんあるべきではない。行政から補助金をもらったとしても一度採択されたら、そこからは主催者・主宰者の自由であるべきだ。現に私も東京オリンピックには反対だが東京都に助成の申請を出したりしている。これについて迷いはないし、トリエンナーレに意見した政治関係者には芸術関係の分野で働く者として言いたいことが山ほどある。
しかしこうなってみて初めてニューヨークに911テロがあった時、市を閉鎖しなかった市長、ノルウェーで無差別銃乱射事件が起きてもひるまなかったノルウェーなどの人たちの勇気がいかほどのものだったか、改めて感じる。リーダーは、ある程度、そういう強さがなくてはいけない。毅然とした態度が命だ。でも今回はテロ予告に表現者が負けてしまった。これはかなりダメージが大きい。
津田大介さん。私は大ファンでありご本人とも面識がある。向こうは覚えていないかもしれないが、東北の件であれこれお手伝いしたり、記者会見の文字起こしをしたり、ドキュメンタリー「奥の細道」の上映イベントを手伝ったり、彼のチームに参加してボランティアしたことがあった。2011年の夏、東北について何かしたいと強く思った私は普段なら自分で何かやるのだが、それにしては今回は問題があまりに大きすぎるので、自分自身で何か立ち上げるよりは自分より力がある人を手伝った方がいいと判断したからだ。すでにたくさんのプロジェクトが立ち上がっていたし、自分がゼロから何かやるのは賢明ではない、と思ったのだ。思い出しても、あの夏は奇妙な夏だった。秋になると自分の仕事が忙しくなったし、解決できない問題もあってボランティアはやめてしまったが、津田さんについては信用できる頭のいい人だというリアルな印象を持っている。報道されている情報には限界があると思うが、私は津田さんの言葉を信じる。
今回の件はとても残念だったが、今、公には言えないいろんなことがあるのは簡単に想像できるし、テロ予告を無視できるほど冷酷な人間にはなれなかったということなんだろう、と思う。何年かたったら内幕を話してもらえる日が来るかもしれない。まだまだ「表現の自由」を得るための戦いは続く。
しかし一方で、この展示だけではなく展示をとりまく一連の流れが「不自由展」であった、とも言えるかもしれない。いろんな意味で、今の日本が浮き彫りになった。
津田大介氏一問一答「希望になると考えたが劇薬だった」:朝日新聞デジタル https://t.co/wa5yhpughS #表現の不自由展・その後— 野崎洋子 (@mplantyoko) August 3, 2019
見にいくのが、きっと一番の応援。ぜひ。
【告知】あいちトリエンナーレ2019、がいよいよ開幕。会期は8/1(木)~10/14(祝)— 津田大介 (@tsuda) July 28, 2019
①美術展と最先端の演劇、楽しい音楽ライブ、映画祭などが組み合わさった万博っぽいイベントです
②朝9時半~夜20時まで長時間楽しめます
③3歳〜小学校前の託児サービスあり
皆様のご来場を心よりお待ちしてます! pic.twitter.com/HSFeB0EMl0
PS
こちらも参考に。
【あいちトリエンナーレ2019】「(津田さんについて)その熱意と能力には脱帽しかありません」— 野崎洋子 (@mplantyoko) August 4, 2019
「作品制作というのは、自分と世界との関わりについて考える行為」「その行為が、愉快犯によって荒らされている現状に深い憂慮を感じています」 https://t.co/8TgfctDGf2