映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観ました… やっと!

『ボヘミアン・ラプソディ』やっと観ました。ある意味、今、観てよかったかも。大ヒットしている最中に見たら、こんなこと書けないかも…という感想です。今なら、まぁ許されるかな…


昨年から今年にかけてちょっとした「洋楽プチバブル」を引きおこし大ヒット、フレディ・マーキュリーの半生を描いたクイーンの映画。話題になってた時、見に行かなくちゃと思いつつも体調が悪くて行けなかったのだった。で、やっとPrime Videoのレンタルで見た。2回みた(笑)

同じ監督がかかわった『ロケットマン』と比較されがちだけど、先に言っちゃうと私は『ロケットマン』の方が圧倒的に好きだったかも… まぁ、もっともあっちはちゃんと映画館で観て、こっちは家のiPadで観ているからという差があるので、公平な評価ではないが。

そもそも話題や評判がすごい先行してて「すごい、すごい」とみんなが言うもんだから、私の期待も大きくなりすぎていたのかもしれない。

私は洋楽を聴き始めたのが遅くて、クイーンはいわゆるその黄金期をしっかりと通過していない。だから他の人のように思い入れがないのかもしれない。知ってる曲もいわゆる85年以降のベストヒットものだしCDは一枚も持ったことがないし、まぁ、とにかくそういう距離感でいるアーティストだ。

でもよくできている映画だということは事実である。フレディを演じた彼も含めバンドのメンバー4人は誰もかれもすごく本物に似ていて、違和感がない。すごく頑張っている。すごいよね。みんな愛情をもってこの映画での役を演じているのがわかる。

が、どうもエルトンの映画と比較するとストーリーが平らすぎるかな…  でも最後にすべてを吹き飛ばしたのはLIVE AIDでのクイーンの復活のシーンだ。これはとにかく圧巻だった。あれをきっちり再現したのは、この映画の最高の演出だと言って間違いない。あのシーンが、この映画のすべてを超・素晴らしいものにしてしまった。

ちなみに余談だが、LIVE AIDについては、記憶ではさだかではないけれど、あの日は大学の友人とうちでTVを見ていたような気がする。うちの四畳半(風呂なしトイレ共同、家賃25,000円)のこたつで日本大学TOP40研究会のみんなで集まって… 男子もいた。女性の先輩がいたのをうっすら覚えている。5、6人で見てたんじゃないかな…で、やっぱりみんなの評価としてはクイーンがかっこよくて、ツェッペリンがボロボロだった。間違いだったらすみません。ダイアナとチャールズが踊っている映像を見てみんなでゲラゲラ笑った記憶もある。もうはっきりとは覚えていないや。あの頃が日本における洋楽のピークだったのかもしれない。

それはさておき映画ですが、映画としてはそんなわけで、落ち着いて全体を考えるとちょっとものたりない感はあった。前半は特にちょっとタルかったような気がする。ストーリーの上では、エルトン・ジョンの映画にも登場したジョン・リードが印象的。ここでも彼は嫌われ者(笑)。スクイーズとポリスがマイルス・コープランドが登場する映画を作ったら、似たような結果になったかもだが、とにかく興味深い。ま、レコード会社やマネージャーはアーティストからしたら「敵」なのだ。「敵」

パキスタン系とからかわれ差別され、インド系ながら宗教の違いもあり、とにかく複雑なフレディのファミリー。出っ歯(わたしとお揃いw)なのを気にしてコンプレックスの塊でありつつも、その反動のせいかやたら横柄で偉そうな態度をとるフレディ。遅刻の常習犯。運命的に出会ったメアリーと結婚するも、のちには自身がバイであることに気づき、悩む。そうそう、このメアリーがめちゃくちゃ素晴らしい存在として描かれていて、要所要所でフレディと彼女の男女関係以上の愛情と繋がりを感じさせるのだ。悪いやつらにそそのかされて始めたという解釈のソロ活動、そしてエイズという当時は不治の病におかされ、もうすぐ死ぬかもしれないという中、フレディは覚悟でLIVE AIDにのぞみ、クイーンは奇跡の復活を遂げる。映画はそこがクライマックスとなり終わっていく。

いずれにしてもヒット曲ができた裏話や背景が多数盛り込まれており(We will rock youなどはみんなで一緒に歌える曲を、という意図のもと作った等々)ファンにはたまらない映画に仕上がった。

そしてエルトン同様、ヒット曲がヒットする影でフレディの孤独がかいま見れる。本当に辛い。

しかし現在続行している事実を眺めてみれば、フレディ亡きあともクイーンはアダム・ランバートを迎えバンドは存続している。いったいこの状況を誰が想像しただろうか、と思う。結局、フレディが作った音楽は人間フレディよりもはるかに大きい。すごく残酷なことだとは思う。そして、その圧倒的な事実がフレディにとってラッキーなことだったのかどうかも、よくわからない。ただファンにとってはラッキーだったよね。こうやってあの音楽を支持する人が多いから、映画もできたし、バンドはツアーを続けているのだから。

クイーンという一大事業の事業主、ブライアンとロジャーは頑張って今でもクイーンという事業を回している。それだって大変なことだと思う。彼らはフレディなしでクイーンを回していくことにたいする免罪符として、この映画を作ったのではなかろうか。クイーンはあくまでフレディのバンドだったんだよ、と。それは俺たちもわかってるんだよ。俺たちは生きてるからツアーはやるけどね、と。

とにかくいろんなことはライブを観に言ったことがある人や、ファンの人の判断にゆだねる。何も知らない私なんぞが何を言えたことか…

事実と違う部分があることに評価が分かれているらしいけど、多少の演出なしに物語を書いたら映画のストーリーが平坦になり、これほどのクライマックス感はありえなかっただろう。そしてこの映画の巨大ヒットは生まれなかっただろう。クイーンのマニアックなファンだけを相手にしていたら映画のヒットは絶対に狙えない、ということだ。それよりも「クイーン? あの曲だったら知ってる」という程度のうす〜い層をターゲットにしているのだ、この映画は。だからいろんな事はストーリーにさらに臨場感を加えて面白くするためだったら許されると思う。

話がクイーン結成からLIVE AIDまでになっているのも見事な判断だ。そして例えばジョン・ディーコンがとにかく地味で控えめな存在であることはもちろん、自身が総指揮を取りながらも女好きなことで嫌なところもたくさんある存在ということを惜しみなく表現することを許したロジャー・テイラーや、めちゃくちゃ似ている俳優さんが演じたブライアン・メイなど、残りのバンドメンバーには、とにかく拍手を送りたい。ちょっとバンドという存在が美しく描きすぎているかもしれないが、でもクイーンはそれでいいのだ。彼らは人々に「クイーンってこんなバンドだった」と覚えていてほしいのだ。そしてフレディもきっとこんな風に覚えていてほしいと願っていただろう、とブライアンとロジャーが判断したのだ。だからクイーンのファンの人たち。あなた方はラッキーでした。それで、いいいんじゃないかと思う。

さてこの映画のことにも触れたサラーム海上さんのコメントがさすがだったので、ちょっとご紹介。



そして中原仁さんのコメント。こちらもさすが!!



町山さん評。これ聞いたらクイーンの歌の歌詞の意味や曲が書かれた背景がわかる。でもクイーンの音楽の素晴らしさばかりで、映画自体のことはあまり言ってないのがちょっと気になるよね…



かなり意地悪だけど、町山さんはこんなツイートをツイート(笑)。まぁ、洋楽雑誌あるある…  日本での人気からホームである英国に火がついたって説もあるようだけど、この『ボヘミアン・ラプソディ』に日本のことはほぼ出てこない。ただ日本のファンがそう思いたいのであれば、思っていていいのではないかと思う。

さて、こちらの全米ツアー告知映像も秀逸。クイーンという事業は続いていく。ジェイムスいいよねぇ。「フロントマンは、英国人じゃないとダメだと思うし…」とかなんとか…フロントマン・バトル(笑)






PS
ここから私が学べることは「分かりやすくしないとヒットにはならない」ということ。「薄い層を狙わないとヒットにはならない」ということなのかも。マニアを狙うのは音楽の仕事として安全圏だけど、そればかり相手にしていてはアマチュアだ、ということ。(もっともアマチュア上等!という気持ちもあり…笑)

いずれにせよクイーンの楽曲がここまで深いものかというのはこの映画でやっと認識した。今までクイーンの楽曲の歌詞などをちゃんと聞いていなかったが、全部を歌だけで聞き取れないネイティブでないリスナーにとって、ふと聞こえてくる一行が「友達よ、僕たちがチャンピオン」「母ちゃん、男を殺したよ」みたいな歌について、果たして真剣に歌詞を調べて感情移入したかというと疑問だ。だから今回クイーンの歌の曲の意味が知れてとても嬉しく思う。

PPS
この番組の東郷かおる子さんのバンドとの距離感が良い。