オリジナル・リバーダンス 1995



いや〜、かっこいい!! おおしまゆたかさんがブログでご紹介してたので、ちらっと見るつもりが最後までみちゃった。(どうやらこの動画、このBloggerの中では見れないので、You Tubeの画面、アプリでお楽しみください)

私がロンドンで初めてみたのは、おそらく1995年か96年だった。メアリー・ブラックの「サーカス」ツアーで、ハマースミス5日連続とかの公演があったので、それの応援に行ったのだが、その前後でがっつりハマースミスを連夜押さえていたのが、このリバーダンスの公演だった。チケットは売り切れていたが、メアリーのバックバンドの連中が「知り合いがいるんだよ」と言って一緒に招待でいれてもらった。

当時このショウの噂は聞いていたものの、伝統音楽やアイリッシュダンスのこともあまりよくわかってなかった私だが、すでにアイリーン・アイヴァースは登場しなかったと記憶している。でもモイア・ブラナックはいた。モイアとは、それ以前に行われたメアリーの来日公演ですでに知り合いだった。…あ、そうか、モイアが招待してくれたのかもしれない。一方でプランクトンの川島恵子さんは確か94年のユーロビジョンでのプレミアを目撃しているはずだ。今、考えれば、すごい歴史的事件だ。というか、プランクトンではそれより前の、確か91年にチーフタンズをすでに招聘していたから、それで川島さんはジーンに会いにいったのかも。

でも私が見た時は、おそらくジーン・バトラーもすでに抜けてたんじゃないかな…。それにしてもアヌーナのマイケルもこの頃は若い。おおしまさんもおっしゃっているように、男性ソリストとマリアのからみは、たしかにこの時にしかなかったよね。ものすごい迫力だ。

マイケル・フラッタレーはこの時たしか36歳くらい。一方のジーンは23とかでまだ大学生だったそうだ。17歳でチーフタンズとツアーは経験していたが、まだまだ自分は子供で、それ以上ではなかったと、彼女はのちのインタビューで回想している。「最初のショウにおけるマイケルの表情をみればわかるでしょ? 俺はやっとここまで来たぜ!と達成感に満ち溢れた表情」一方のジーンは自分の大学時代のちょっとした借金がこれで片付いた、そして当時のボーイフレンドとちょっとしたホリディに行けたんだ、ということを記憶しているにすぎないそうだ。(まぁ、アメリカの大学生なんて本当にみんな貧乏ですからね…)

またほんとうにマイケルはプレイボーイだったし、団員の風紀は乱れまくり(笑)若いジーンにはToo muchだった様子。なんかわかるなぁ。ジーンは真面目だもの。ロンドン公演ももともと10回の予定だったのが最終的に151回にもなったそう。そんな狂ったように公演すれば、団員たちのフラストレーションもたまるだろうな、と思う。「マイケルとわたしはプロフェッショナルな関係だった。今、彼は成功してると聞いている。今はもうそれだけ。何年もあってないわ」とジーンは語る。2年前の記録で、すでにリバーダンスは1万回以上、46ケ国で上演され、2,000人以上のダンサーを雇用してきた。なんと団員内で結婚したカップルは59組におよぶという。

しかし今みると、ほんと衣装が地味だよね…  このあと衣装デザインがジョン・ロシャになって、ぐんと垢抜けた。さらにそれから何年もたって日本に来たときは、すでにマリア姐さん以外のソリストは変更になっていたと思う。マリア姐さんは、でもその後も自分の舞踊団で来日したり結構日本で成功した印象がある。自分の舞踊団の公演をオーチャードとかでやってたよね、確か。チケット高くて見に行かなかったけど、見てたら相当感動したと思う。

マイケルはその後、「Lord of the dance」を大成功させ、何年もたって誰もが断ったトランプ大統領の祝いの席で自分のダンスグループを出演させ(自分はすでに引退したのか踊ってなかった)大顰蹙を買った。ダンスは、かなり右翼っぽかったけど、かっこいいのはかっこよかったと認めざるをえないクオリティのものだった。

ジーンは自分で作った「Dancing on the dangerous ground」が興行的に失敗し大借金をおったと耳にしている。でもその後も大活躍で、来日も何度か実現したし、最近ではチェロとのデュオなどめちゃくちゃ内省的な作品に取り組んでいるが、どれも興業的には成功していない。でも彼女は自分のやりたいことに真剣に取り組む本物のアーティストだ。このリバーダンスのジーンのソフトシューズでひらひら踊る、あれが私は大好きである。スリップジグだっけ。本当にジーンは素敵なダンサーだ。ため息がでちゃうわ…

そして音楽。こんなに高揚感のある音楽はめったにない。もちろん名盤『East Wind』が下敷きになっていることは作曲者のビル・ウィーラン自身も話しているが、この時のビルには作曲の神様が降りてきていたとしかいいようがない。現実、ビルのその後のサントラはどれもイマイチ(私にとっては)である。


90年代、本当にアイルランドの音楽は最高だった。今、思えば、であるが… 当時は「アイルランド人って、どうしてこうも連絡が悪いのかしら。早くファックスの返事がこないかしら」とそればかり思っていたけどね。

いろいろあるけど、本当に芸術の最高のきらめきは一瞬なんだよなぁ。しかもそのきらめきの中にいる時は、その素晴らしさに気づいてなかったりする。そのきらめきをそれでもなんとかとらえたくて、やっぱりあれこれ今日も追いかけているのではあるが…。

PS
しかし音楽はこれ、アイリッシュっていうより東欧だよね… 今、あらためて聞くとそういう印象が強い。