幡野広志『ぼくが子供のころ、ほしかった親になる。』を読みました


この本はなぜか泣けた。表紙に写った優くんの自然な表情のせいだろうか。妙に泣けた。先日読んだ2冊目の『ぼくたちが選べなかった〜』の方はあまり幡野さんががん患者だってことを意識しないで読めたのだけど、こっちは妙に意識せざるを得なかった。夜のサイゼリアでご飯食べながら、あっという間に読破してしまった。最後の3行は特に泣けて泣けて、どうしようもなかった。

表紙の写真で幡野さんがさげている赤い「ヘルプマーク」私もつけている。つけているけど公共交通機関で席をゆずってもらったことはない。いや、一度ゆずってもらいかけたが、ゆずってくれたのが高齢の女性だったため結局「大丈夫です」と断ってたったままバスにゆられていた。それ以来、声をかけられたことは一度もない。時々本当にフラフラになって座りたいと思うこともあるけどね。特に電車の中では思う。でもサラリーマンの皆さんも、本当にゆとりがないんだなぁ、と思う。

この本の中でも幡野さんが奥さんに八つ当たりしてしまったことなど書いているのだけど、私も自分が一番親身になってくれてる友だちに辛くあたってしまったことがある。自分の一番近い人に対して、ひどい態度をとってしまったことがある。でも具合悪い時って、もうまったくゆとりがないんだわ。だからわかる。みんなゆとりがないんだな、って。人に親切にできるのも、自分に余裕があってこそ、だ。(まぁ、だから余裕があるときは、思いっきり親切にしよう、って思うのだけど)


でも人からは冷たくされる方がまだ救われる時がある。一番残酷なのは幡野さんの言う虐待のような優しさだ。あぁいう人たちな、なんだ、自分が「こうしたい」「こう言いたい」ってのを我慢することができないんだろうな、と思う。そしてそれが「よかれと思って」善意から発生しているものだからたちが悪い。だから我慢ができず言ってしまったりやってしまったりする。これはこれで虐待だし、その人の持つ病気だ。何も言わないこと、何もしないことが愛情ってこともある。

それにしても「ライフ」ワークと「ライス」ワークの話など、この本を読む前から私が考えていたことと妙にシンクロしてくるのが気持ちいい。

「嫌な人は徹底的に避けろ」ってもよかったなぁ。私もそうしようと思う。幡野さんが優くんにしているであろうアドバイスを、自分がしてもらっているように受け取る。そう、自分に自信がある人は、嫌な人を避けることができるんだ。

あと「やりたいことがわからない」って人が多い理由ってのも妙に納得だよなぁ。親がずっと決めてきたから、親の言うことを聞いてきたから、自分が何をしていいのかわからないのではないか、と。いざという時にリスクを取ろうとすると、そのリスクは必要以上に巨大に見えてしまう。なんかちょっとわかるような気がする。私は親の言うことは食べさせてもらっている間は聞いてきたけど、幸いなことに心の中では絶対にしたがっていなかった。それが今の自分の自信と幸せにつながっているのだと思う。

「人の目を気にしない人はおもしろい」っていうのもいい。私もそうありたいと思うし。

あと学校で将来の夢を聞かれた時、神社などで絵馬に自分の願いを書く時、職業の選択と夢を混同してはいけないということも、ものすごく共感した。これ、私もすごい昔にこのブログに書いたことがある。たとえば「医者になりたいという夢」の話。私には大学生時代からの友人がいた。彼女は高学歴で、いい大学へ行き、大学院へ進み、英語もペラペラだった。当時英語がまるで話せなかった私は彼女が羨ましくてたまらなかった。でもご両親とも癌でなくされて、彼女は医者になりたかったけど、おそらく能力が足りなかったんだね。ものすごく頭の良い人だったけど、アメリカに留学したのはいいが、大学の厳しさにやられて精神もくったくたになり、今はこっちに戻ってきているはずだけど、最終的には音信不通になってしまった。fbのアカウントはあるようなのだが、更新がまるでない。最後にあった時は生活も大変そうで、話を聞いていて私もちょっと辛かった。会うたびにご飯、しかもなるべく良いものをご馳走していたのだけど、それが嫌味にとられたのかも。そして逆効果だったかもしれない。でも彼女は彼女で生活が大変なのに車を手放さなかったり、高価な絵を買ったり、大きな家具を大金はたいてアメリカまで送ったり… そういう理解できない行動もあったし、バイトをしてはそのバイト先の批判ばかりしていた。彼女みたいな高学歴なのに、妙に不幸な女性は何人か知っている。彼女たちの口癖は誰か他の人のせいで自分の人生はめちゃくちゃになった、ということだった。この彼女の場合、自分の不幸の理由は自分の親だったと言う。がんでなくなるまで看病に忙しかった、だから十分勉強ができなかったのだ、と。なんか違うと思ったけど、ただでさえ苦しんでいる彼女を私がせめてもなぁ、と思って何も言わなかった。ただ彼女は病院でバイトしていた時期もあって、その時、白衣をきて病院を歩き回る自分は好きだ、とも言っていた。でもその仕事もやめちゃったのか、なんなのか、しばらくするとその話を聞かなくなった。おそらくだけど、彼女の場合、そういうステイタスに対する憧れはあっても、本当に病気の人を助けたいって根本の気持ちが抜けてたんだと思う。医者になる夢は、なれなかった瞬間に崩壊する。でも人を助ける、って夢は絶対に壊れない。どっかにかならず出口があっただろうに…  あの時、彼女をみていて、私もあれこれ考えたんだ。今いったいどうしているんだろう。うつ病とかもかかえていたみたいだし…  あんなに勉強できたのに、って時々今でも思い出している。

本当にほんとの優しさってなんだろう。友人ってなんだろうとちょっと思う。

幡野さんは言う。自分の夢に「職業」を書いてはダメだ、と。いいなぁ、これ。そういう風に当時彼女に言ってあげられなかった私は本当の友人じゃなかったのかもしれない。夢と言うのは「職業」の先にあるものだ、と。うん。

先週末は成人式だったみたいだけど、新成人の皆さんにもその辺じっくり考えてほしいな。まぁ、でもそれを将来ある人たちにうるさく言ってもね… 違うかな、と思う。愛情を持って見守るって難しい。でもだからこそ、それが「愛」なんだよね。優くんを始め子供たちや若い人の幸せを私も願っている。