幡野広志『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』を読みました。静かに、でもパワフルな本。


やっと読んだ。幡野広志さんのこの本。結構前に買っていたのだが、積読になっていたもの。やっと読んだ。

幡野さんのことは多分みなさんもご存知だよね。写真家で漁師で34の若さで難しい癌になり余命3年と宣告され、奥様と息子さんのために発信し続けている方だ。最初は悩み相談か何かだったかな。Twitterで何度も彼の書いた記事が流れてきて、その幡野さんの悩める人たちへの相談を読んでいくうちに私もファンになった。

で、幡野さんのこの本。どういう本なのかよく理解しないでとにかく注文して読み始めた。静かな語り口だ。静かだけどすごいパワーがあって、読む者の中にビシビシ入ってくる。そして…タイトルの意味がわかった時、はっとした。それというのも実は私も親とは上手くいっているとは言えない人間だからである。…とか書いちゃうと護衛があるな。別に喧嘩はしていない。母親は私の経理を手伝ってくれているし(私が書類を送りつけ、親が自分の事業用に雇っている税理士さんに見てもらっているだけなのだが)、父親とはあまり会話はしないが価値観は近いと思う。でも普段は距離をおいて別々に生活することでバランスを取っている。だからべったり家族や親と一緒にいて、会話もたくさんある人を羨ましく思ったことはないが、ただ親とうまく行ってないことは、いつも自分で、これは自分のマイナス要素だと考えていた。よく言うじゃないですか、親との関係が上手くいけば、すべての人間関係が良くなる、って。

だからこういうやり方(距離の取り方)を肯定してくれる考え方に初めて出会って、私はものすごく感動した。子供は親が選べない、という。でも親を選ぶことも含めて、全部自分で決めていいんだ、と。正直、癌患者は自分のこと以外、余裕なんてまったくない。みんな自分のことでいっぱいなのだ。それなのに自分が好きではない人のために体力気力を使う余裕なんてない。だから人間関係を整理していいのだ、と。

特に幡野さんがこの本の中で紹介したNASAの話は、興味深くずっと覚えておこうと思った。NASAにおいては、長い間、家族が宇宙飛行士本人と会えなくなったり、事故が起きて亡くなる可能性も高いので、飛行士の健康安全とともに家族の精神的なケアはとても重要なミッションだ。そしてそこで取られている方法なのだが、彼らは家族だからといっていっしょくたにしない。「直系家族」そして「それ以外の家族」と分けて考えているらしく、それぞれにそれぞれ別のケアがほどこされているのだそうだ。つまり本人が自分で選んだ家族(配偶者、こども)と、選んでない家族(親、親戚、兄弟姉妹など)と明確に分けるんだそうだ。すごくない? 逆に親友などは家族の中に入れてもらえることがもあるのだそうで、すごく興味深い。

私は自分は家族ではなく他人の中でもまれつつも上手くやっていくタイプの人間なのだと解釈していた。その考え方は今も変わらない。病気になっても、病室で他の家族と患者さんの会話を聞いたりして、本当に「あぁ、自分は自由で良かった」「なんでも自分一人で決めれる立場で良かった」とつくづく思ったものだ。そのことは前にもこのブログに書いた。

幡野さんも書いているが(幡野さんの医者との向き合い方は私のそれとすごく似ている)医者は治せると思ったら全力で治しにかかってくる。それがたとえ患者が苦しんだとしても生きててほしいと願う家族と結託すると、患者はたまったもんじゃない、と幡野さんは言う。実際、私が病気になったことを伝えた時の母親の反応は、幡野さんのお母さんほどではないけど、似たようなものだった。もちろん親に愛されていないとは思っていない。いや、親は私のことをすごく大事に思ってくれている。私がこんなにミュージシャンのみんなになんの疑いものなく愛情をそそげるのも、間違いなく親からの愛情を受け取って育ったからだ。ただ過干渉で、口うるさくて、人から給料をもらって田舎のサラリーマン人生を送った両親を人間としてどうみるかというと、まったくあわないところが多すぎるのだ。あと家族だからと言って思ったことをそのまま口に出す、あの感覚も耐えられない。なんで思ったことをそのまま口に出すんだろう。そしてくだらないことをすごく大きなイシューとして、ずっと延々としゃべってる(笑)あの時間の無駄と意味のなさはなんなんだろう。ま、可愛いっちゃ可愛いんだけど、一緒に生活はできないわなと思う。いや、ウチの母親は私の世代にしては珍しくワーキングウーマンで、子育てとキャリアを両立させてきた。それだって、あの世代にしては大変なことだ。その点は尊敬している。でもだからといって一緒に住んだり、親の言う人生を歩くことは、まったく別の話だ。

そういや、結婚うんぬんもうるさかったなー。結婚しろと泣かれたこともあったっけ。でも私の回答は「そりゃ、お母さんやおばあちゃんを幸せにするために結婚するのはありかもしれないけど、私の人生そのためだけに捨てるわけにはいかない」と。だから親が設定するお見合いみたいなものはすべて断った。懐かしいなー 今やもう何も言われなくなったけど(爆)申し訳ないけど、私は最高に今、幸せです。結婚なんてしてたら、今の人生は得られなかったと思う。

それはさておき…

私は自分は100%自由だと思っているが、実は足かせが1つある。それはやっぱり親より前に死ねないということだ。ここがクリアになれば、おそらく私は100%自由になれるのだ。

幡野さんの言う病気がつらくて自殺というのは、ものすごーくものすごーく理解できる。今、私のレベルの体調不調ですら朝起きると口の中がからっからだったり、お腹がいたかったり、吐き気がしたり、頭がいたかったり、お腹を下していたかったり、どこかしら不調があり「あぁ、もうこの身体いらないわ。すべてをリセットしたいわ」と強く願うくらいなのだ。耐えられない痛みがある人は、もっとすごいだろう。でも、リセットって、それってつまりは死ぬことなのだ。だからやっぱり心の中で否定する。いや、死ぬわけにはいかんわな、と。でも一方でもう十分生きたし、好きなことも人の10倍くらいやってきたから、もういいよ、と、この私ですら思うのだ。これが激しい痛みとかあった人にとっては、本当にたまったもんじゃない。

病院に入院している時、一緒の部屋にいた80オーヴァーのおばあちゃん。孫に「おばあちゃん、ガンバって」と言われ、手術するらしい… が、もういいよ、もう手術はいらないよと私なら思う。

でも、まぁ、落ち着いてほしい。これは癌患者の極端な例をあげているだけで、つまりこの本の言いたいことは、どんな小さいことでも、どんな日常のことでも、すべて自分で決めろということを言っているのだ。自分で決めることができれば人生に後悔はないということを伝えているのだ。そのことに徹底的にフォーカスされた本なのだ。

とにかく癌患者じゃなくても、これから10年以上生きる予定の人も、そうでない人も、家族がある人もない人も、多くの人が読んだらいいと思う。実際ヒットもしているらしい。まぁ、ちょっといわゆる「ほぼ日臭」がしないわけではないが、いい意味で言ってます。糸井重里の100%の信者になるつもりもないけど、糸井さんはいつも目のつけどころが素晴らしいし、実際に時代を動かしてきたと思う。時代のキュレーション?って感じ。ま、それはさておき。

とにかく幡野さんのこの本は、すごくパワフル。静かだけどパワフル。

それにしても病気のことを多くの友人に説明するのが面倒でブログを書いたとか、ほんと幡野さん、私と同じだよ〜(笑)と思った。私も、もう本当に大事な人にしか説明してない。面倒だから「興味あったらブログ読んでください」みたいなことよく私も言ってたし、日本のすばらしい健康保険システム、そしてそれに感謝をするべく、社会に貢献していこうという気持ちも一緒だ。私も今回、お世話になった分、何らかの形で社会に貢献しないといけない。

あと癌は「合併症」を引き出すということにも激しく同意。その合併症とは嫌いな人と好きな人が明確に分かれる、ということ。これ!! 本当にこれですよ! 私もまったく同じで、絶対に会いたいなと思う人と、絶対に会いたくないという人が、これでもかというくらい明確に分かれるのだ。もう我慢してる時間はない…と、ここはたがが外れたように私も我がままになった。でも、それでいいと思う。もうこっから先の人生、私は我慢はしない。それにつきる。

そして、幡野さんの「そこに生まれてしまった以上、絶対に逃げられない場所」というのはないという言葉に励まされるのだ。自分の居場所も、そして家族ですらも自分で選んでいっていいのだ、と。そしてそれは絶対に可能なことなのだ、と。優先順位を間違ってはいけない。自分の人生の株式を51%以上確保すること。人間関係だって、自由に切っていいんだよ、と。

そしてSNSなどで自分を傷つけようとする人たちというのは、それとは対局的にいる人たちだ、と幡野さんは言う。やりたいことがやれてない人、人間関係に悩む人なのだ、とも。

そして多くの大人が本当に大人じゃない。みんな大した大人じゃないということも指摘してる。これ、ほんとにそう! この人、大人だなぁ、と思える人なんかほとんどいない。だったら子供のころ自分が理想としていた大人を自分は目指すべきじゃないかと幡野さんは語る。

幡野さんが、本を書いたり写真を撮ったりするのも、自分の息子のため。概念としての父親から息子さんを解くのが目的なんだって。それ、めっちゃわかる。たぶん幡野さんが亡くなったあと、息子さんは周りの大人に言われるだろう。「お父さんはきっとあなたのことを見守っているよ」と。そうやって息子さんのことを「お父さん教」でコントロールしたがる人がたくさん出てくるだろう、と。でもそれではいけない。「僕はあの世に行ったあとも、君のことなど見守っておらず、自由に自分の好きなことをしてるから、君も自分の好きなように生きなさい」ということを息子に伝えたいのだと幡野さんは言う。うーん、本当にいい!

他に安楽死のこととか、いろいろ勉強になった。安楽死が認められていない日本でも楽に苦しまずある程度のやり方は可能なのだということも知ったし、すごく勉強になった。私もすごくほっとした。セデーションという緩和ケアもあるそうで、そしてそのことが今、幡野さんの心の支えとなっているそうだ。すごくわかる。自分で選べることの大切さ。素晴らしさ。ここでもそれだ。それなのだ。

私も幡野さんまでとはいかなくても、自分ですべて決めてきた後悔のない人生だったと自分で思っている。でも、もしかしたら読者の中には自分で自分の人生を選びきれていない人がいるかもしれない。でも今からでも遅くない。自分で決めよう、と。自分で選んで行こう、と。

今のところ、これ今年のプラチナ本です(早すぎるぜよ!)。幡野さんの、もう1冊の本もさっそくポチった。読むのが楽しみだ。



PS
そういや昨日紹介した映画「The Peanut Butter Falcon」でも「友達ってのは自分で選べる家族だ」ってのがあったけど、ほんとだね。



PPS
Rushのドラマーの方が亡くなったようで。絶対にライブを見たかったバンドの1つ。トリオってやっぱり最高だよね。ご冥福をお祈りいたします。