井上荒野『あちらにいる鬼』を読みました。



この本を買ったのはだいぶ前だ。五郎さんのこのツイートに刺激され、ポチリ。でもずっと積読になってた。そもそも私は滅多にフィクションは読まない。

でも妙にフィクションが読みたくなり、積読本の山からこの本を手にとった。瀬戸内さんのすごいキャチコピーが帯に踊る。一応フィクションだが、瀬戸内寂聴さんにもかなり話を聞いた上で書いたというほぼリアルな内容だ。すごい迫力だった。

人気作家とその彼をめぐる奥さまと愛人(?)の三角関係を描いているのだが、この3人、妙にバランスが取れている。奥さまと愛人は仲がよく、同じ男を愛したものとして共感と理解が二人の間にある。「あちら側にいる」と思っていても、いるのは「鬼」ではない。「鬼」は男だ、と説明している感想文も見かけたが、私は「男の向こう側にいる別の女」というふうにこのタイトルを理解した。違うかな…。で、その「鬼」は「鬼でもなんでもない」、と。

そして、この本にも登場する男、作家の長女=ライターというのが、この著者の井上荒野さんなんだなと理解する。うーん。すごいなぁ。すごすぎるよ。しかしこのテーマについて(父親の女性関係について)、よく話したのが自分の母親よりも寂聴さんの方だったからか、著者は圧倒的に自分の母親よりも瀬戸内さんの方に理解があるように感じる。

それは書くことに対する著者のスタンスがおそらく瀬戸内さんの方に似ているからなのだろうと想像する。こうやって自分のこと、自分の家のことをさらけ出しながら、身を削るようにして書いていく。実は瀬戸内寂聴さんの本は1冊も読んだことがない私だが(誰か詳しい人、わたしに良い本を推薦してください!)、この物語には(いや、物語じゃなくてほぼノンフィクションなわけだけど)妙に心をあわせてしまった。

しかし自分の親のことなのに、このことによって家庭が壊れていないせいなのか、適度な距離感でドライにしっかり書かれているのがすごいと思った。彼女は強い。いや、書くことで彼女は強くいられるのだろう。自分の親を男と女として見ることは非常に難しいことなのに。

著者のインタビューでは上に貼ったものが妙に響いた。私よりも5つほど年上の彼女。書くこと、自分の職業にたいする問いは妙に共感できる。なぜ自分は書くのか。それを今、彼女も考えているのだろう。その気持ちは、なんだかすごくわかるような気がする。そんな彼女の気持ちがこの物語に凝縮されている。もちろんこの三角関係を書いておきたかった。書けるとしたら今しかなく、また書けるとしたら彼女でしかなかったわけだけど。


本にも出てくるお父さんである井上光晴さんのドキュメンタリー。この本を読んだあとだからかもしれないが、このトレイラーを見ても確かに理想ばかりを語り自分ではあまり実行力がなく、そのくせ女を騙す寂しがり屋のどうしようもない男、という印象だな…



でもこの男をこのインテリジェントで美しい二人の素晴らしい女性は愛したわけだ。

この世界をいろいろ知りたいと思いつつも…  うーん、時間がないからこれ以上は先にいかないけど、瀬戸内寂聴さんの悩み相談とかYou Tubeやテレビなどで姿をお見かけする機会があるたびに、人気あるのはわかるなぁと思ってきた。歳をとってからの彼女はめっちゃチャーミングでユーモアに富み、ものすごく魅力的だ。

そうそう、寂聴さんの、この本の最後の方に書かれた30歳くらいの若い男性にちょっとした恋心を描いたレストランのエピソード、若い秘書との会話など、すごく彼女らしくて笑ってしまった。面白い。ちなみに著者にこの本を書くよう励ましてくれたのも寂聴さんだそうだ。



PS
女性性というのはよくわからないもんだよなぁ。ロックバンドの周辺女によく見られる良くも悪くも母のような存在の女たち。「母という立場にアイデンティティはない」はずなのだが…  まぁ、でもミュージシャン本人がそれで幸せなら、それでいいのか。しかし死んだわがままで自己中な旦那を「愛と平和のジョン・レノン」に仕立て上げ、「イマジン」を一番の代表曲にしてしまった彼女の手腕には感服する。あと「ヨーコ」という名前を有名にしてくれたことも。この曲は大好き。ジョンが生きてたら、今の時代をどう生きただろうか。