絲山秋子さん『御社のチャラ男』読みました。よくある会社の風景だけど…


いや〜、面白かった。久しぶりの絲山さんの文章はあいかわらずすごい。70年代のロックアルバムの名盤のようにゴシゴシ磨かれた完成度の高さ…とでも言おうか。面白おかしくかける人はたくさんいるけど、なんというか、磨かれ度というか研ぎ澄まされどというか…それが圧倒的に他の作家と違うのだ。

物語はよくある会社の風景。チャラ男は、そう、どこの会社にでもいる。仕事をろくすっぽしないのに要領よく社会をたちまわるスマートなおっさん部長。人生楽しんで気の利いたことを話している風でいて、実はどっかからコピペしてきたかのような会話のネタ。ちゃら味がはんぱない、と部下は思う。

でも彼は人の悪口を自分から言ったことがない。あんなにみんなに嫌われているのに、チャラ男は実は全人類に片思いしているのかも、とまた別の部下は思う。

そしてチャラ男を囲む人々の描写がすごい。どうしてフィクションの作家さんって、ここまでいろんな人の気持ちを想像できるんだろう。すごいなぁ…  私なんて自分と似たような人のことならわかるんだけど、自分とは考え方が遠い人となると想像すらできないや……ということを考えている暇もなく、この本を読んでいる間、絲山ワールドにどっぷりつかれた楽しい数日間でした。

登場人物が実にそれぞれ面白い。チャラ男をいろんな人に語らせながらもこの会社の、このオフィスの形がだんだん見えてくる。それぞれの視点がとにかくヴィヴィドだ。チャラ男自身が語るところもある。それぞれが言いたいことを言っていて、それぞれに同意し、読んでる方は納得しているんだけど、でもそれが1つの事柄の違った側面だったりして、矛盾というか、すれ違いというか… こんな風に現実は出来上がっていくんだなぁ、と。

でもって読んでいたら、自分は登場人物では社長、そしてチャラ男に一番気持ちを寄せられるということを発見し、ちょっと愕然としている。私ったら、結構手抜きタイプの経営者向きなのかも? 

通勤電車の描写にも、今こういうご時世だということもあってすごいリアルだった。自分は物だ、と物になりきって満員電車に自分を乗せる。

「だから弱者を嫌うのだ。妊婦や子連れを、障害者や老人を、そして痴漢によって弱者にされてしまった女性を」「かれらのことは人間扱いしなければならない。弱者をモノ扱いするなんてとんでもない」「だが、そうしてしまったら、自分のモノへの擬態がおかしくなってしまう」「毎朝同じ電車で会っていてなおかつ赤の他人であるおっさんたちと不自然にべったり密着しているというおぞましさを、ないことに出来なくなってしまうのだ」

… うーん、唸る。これだから絲山さんの本はすごい。今の時代をしっかり投影し、話は進んでいくのだが、こういうところはしっかり味わいたくなる。うーん。

「お仕事教の信者」という部分にも。

「かれらはなにもかも会社が与えてくれるものだと思っている。仕事や賃金だけでなく、休みも、苦痛も、不満も。だから願いが届かなければ、与えなかったのが悪いと言い出すのだ」「そうじゃないんだ会社というものは。何かあったときに責任を取るのが会社であってなにもかも与えてくれるものじゃないんだ」一方で「社畜とはよく言ったもので、誰かが管理してやらなきゃいけない。放って置いたら体調まで崩してしまう」そう語る経営側の人たち。

他の人のことは冷酷に判定しているくせに、自分のことは見えてないのが会社員なのだろうか。そしてそういう人たちによって組織は構成されているのだろうか。それにしても面白い。

物語は進み、最後はちょっと意外な展開が待っている。ハッピーエンドと呼んでいいか分からないけど、妙に爽やかな読後感で希望もある。

それにしてもフィクション、いいね。普段は圧倒的にノン・フィクション派の私だけど。「事実をつみあげるのがノン・フィクション。真実をいきなり書くのがフィクション」って角幡唯介さんの言葉だっけ。まさに、って感じ。

下には私が読んで面白かった他の絲山さんの本も貼り付けておきます。あ、『小松とうさちゃん』が買ったはいいけど積読になっちゃってる。こちらも早く読まないと!



今日の元気になれる音楽はこれ。絲山さんもシド・バレット好きなんだよね。シド・バレットがいた頃のピンク・フロイド「アーノルドレイン」。ロビン・ヒッチコックは「ボブ・ディランと自分の間を埋めてくれたもの」と彼のことを説明していたけれど、この世界観が唯一無二。