太田光・中沢新一『憲法九条の「損」と「徳」』を読みました


前作の『憲法九条を世界遺産に』は絶対に読んでいるはずなのだが、自分の読書感想文をググっても出てこないので、もしかしたら積読になっちゃってるのかもしれない。何はともあれ、こちらは2月に出た新しい本です。今日は憲法記念日ということを今朝気づいて、あわてて感想文をアップすることにしました。本当は読書感想文は数日寝かせることが多いのだけど… なので、思い出したことがあれば、また追記していきます。

まず単純なことなんだけど「太田ひかり」さんなんだね。「ひかる」さんだとばかり思ってた。爆笑問題はわたし結構ファンなのに、全然気づいてなかった。まぁ、ファンといっても、日曜日のサンデージャポンはほぼ逃さず見てるし、ラジオもたまに聞いたりしている…という程度なんだけど。友達が誘ってくれてタイタンの映画館でのライブとか見に行ったこともあるんだよ。

で、この本だ。そもそも中沢新一さんの本も初めて読んだかも。ひどいよね…  でもなんか社会的イシューというか、普通の仕事してる人間が、自分の仕事意外の時間で追いかけてしっかり意見を言えるまで勉強できるイシューって一人人生二つくらいだと思うんだよね。わたしの場合はそれが「原発」と「死刑」なんで、あんまり他の論議には参加しない…というか、参加したくてもその資格はないと思っていたのだが…まぁ、とにかくこの本をゲットしたのであった。

そんなわたしの、自分自身のこの本を読む前からの憲法についての考え方を話して良いのであるのならば、「頭がお花畑と言われようが、日本国憲法は素晴らしいし、変えたいとは思わない。でも自分たちでもう少しだけ考えたり検証してもいいんじゃない?」といったところか。日本会議の考え方は絶対にありえないとしても、左派の憲法に対する腫物にさわるような空気もちょっと違うのではないか、ということも思う。だからこの本には非常に共感するところが多かった。

この本が出たタイミングもあるけれど、「安倍さん、腑抜けになってませんか」という二人の意見には確かに同意。日本会議、そして安倍首相にとって憲法改正は悲願中の悲願。絶対に達成したいことの一つだったと思う。それが、最近はすっかり腑抜けだ。中沢さんが「なぜこんな骨抜きになっちゃったんでしょう」と問えば、「もう無理だと思ったんでしょう」「無理だと思って諦めたんです」と太田さん。確かに…  そしてなんか「飽きちゃったのかもな」とわたしも思う(笑)。人間の熱意なんて、本来そんなに続かない。ただ改正を求める取り巻きが多くて、その人たちにたいする対面もあるからなんとかつくろっているだけではないのか、と。(っていうか、安倍さんは政治家っていう仕事が嫌いなんじゃないかな。例えば今のコロナ禍を乗り越えることは政治家にとって、これ以上の仕事はありえず、普通燃えると思うのだが…神奈川県知事はいいとして(笑)…だからちょっと可哀想に思える。あの人にとっては奥さんと取り巻きたちとおいしいものを食べるのが理想の人生で、その方が幸せなんじゃないのかなと思えたり… あ、すみません、話がそれた)

それにしてもいったん万が一戦争が起きたら、もう玉砕しましょう、という太田さんのちょっと極端に見える意見にもわたしは賛成だ。わたしも子供がいないから、自分の信念まげるくらいなら死んだ方がいいと思っているくちだから。(その気持ちは病気をしてからますます強くなった)だからわかる。太田さんも「子供がいる人はとんでもないと思っているでしょう、でも俺自身はそれで死んでもいいと思っている」と断言している。

とはいえ、お二人とも「怖がらずに国民投票やってみればいいんですよ」という考え方。わたしは日本人の自分で考えて決めて行動しないところはわたしは大嫌いなのであるけど(平和だって人に与えられたものだ)、それについてはこの本が答えをくれたかな。

中沢さんの言う日本人の「中空構造」。太田さんがわかりやすく説明してくれている「免震構造」(笑)。まさに日本人は真ん中が空洞なんだと。そこに天皇制も憲法もうまく座った、ということなのだ、と。ちょっとそれは、なるほどなぁと思った。例えば歌舞伎、例えば「型」という考え方、「しぐさ」という考え方。すべてがなるほど日本の社会をよく表している。

あ、そうそう、中沢さんが紹介している南方熊楠の森永キャラメルの箱にいれられた標本を昭和天皇に手渡したエピソードはすごく良かった。権威の頂点である天皇に認められるということは反権威主義の熊楠にはあまり重要なことではなく、そこには純粋に動植物を愛する気持ちの交流があった、という話。つまりどっちが臣下なのだとか、誰が上で誰が下とかそういうことではなく、天皇という立場は単なる「容器」なのである、と。天皇自身も何かに仕えている立場なのだ、と。中沢さんのこのへんの話は、他の本もゲットしてぜひ読んでみなくてはと思った次第。なかなか面白い。そして中沢さんは「天皇もゆれうごくものだ」と解く。「弥生」が来る前の「縄文」のDNAがそこにある、と。

あと太田さんが話していた(そして後書きでも強調されていた)後藤健二さんがイスラム国に殺害された時の安倍首相のイスラエルでのスピーチの話も覚えておきたい、と思った。あの時は首相は「法の支配のもと戦後日本はひたすら平和の道を歩んできた」と言った。そういう、その場だけ憲法を利用するいい加減さは安部首相の中にもある、と。またドイツやヨーロッパと日本では敗戦の捉え方がまるで違う、という指摘もおもしろかった。わたしは欧州と仕事をすることが多いから、どうしても「ヨーロッパではこうだ」とか「ヨーロッパではこうしている」と言って、かの地と自分の住んでいる日本を比べ、隣の芝生は…となりがちだが、これについてもこの本に説明されて、なるほどなと思った部分が多かった。例えば津田大介さんが芸術監督だった「あいちトリエンナーレ」の中止についても、欧米だったら人が殺されても強行しただろう、と太田さんはいう。わたしもそう思う。でも危険性を鑑みて中止にしたのは、日本人としては当然だ、という考え方。仲間が殺されてもやり続けるシャルリー・エブドの事件など、欧米では表現に対する思いが強い。でも日本では「人の命と引き換えにするほどのことではない」ということになる。それは納得できる。表現より命の方が大事、となる、と。また「言葉にしない」というのも日本人の特徴だと。国民投票やって憲法が変わったとしても日本人のそういう中空構造は変わらない、と二人は話す。そこに中沢さんは加えて「中空構造」は戦争に弱い。だから戦争はしちゃだめなんだ、と。この辺の流れも非常に面白かった。

以上、ざっと書いたので、忘れていることもあるかも、だ。でも一応ここに憲法記念日ということでメモっておきたい。

憲法について自分はもっと正しいと思っている詳しい人。推薦本とかあったら、ぜひfacebookのコメント欄をあけてますので、そちらへ書き込んでおいてください。