2020年7月20日月曜日

コンサートに来てくれたお客さん、ありがとう。スタクラは幸せものでした。アラマーイルマン・ヴァサラットの思い出。

過去アラマーイルマン・ヴァサラットのコンサートに来てくれたお客さん、本当にありがとう。過去のツアーちらしを載せます。

ヴァサラットって結局のところフェスティバルの色物バンドとして扱われることが多いバンドだった。それはバンド維持のためのスタクラの戦略の一つだったので、それはそれで良いのだが、普通のロックバンドが当たり前のようにやっているようにアルバムごとにそれをテーマにしたツアーを行い、取材もたくさんして彼らの世界観を伝えようときちんとプロモーションできていたのは日本だけだったと思う。フィンランドもレコ発ライブをヘルシンキでやる程度で、きちんとした露出記事はほとんど見たことがなかった。出たとしても人口1,000万人にも満たぬ小さな国のマイナー言語での露出じゃ、あまり効果はなかった。そう言う意味では日本のリスナーという存在は、すごいと思う。本当にレベル高い。だからやっぱりちゃんとしたものを紹介していかねばと私も襟を正すのだ。スタクラは日本のリスナーが大好きだった。日本はスタクラの大好きな国だった。

CDを出してくれたP-vineさん、キングレコードさん、取材してくれた媒体の皆さん、音楽ライターの皆さん、通訳さん、本当にお世話になりました。

思い出のチラシたち。今でも裏が白いチラシを見ると手を抜いてると感じるTHE MUSIC PLANTのチラシは、文字数が多すぎるデザイナー泣かせの情報量。でも全部、えらい力を込めて作った。この最初の公演のチラシ。レイアウトとか天才的だよな。デザインは高橋そのみさん。

キャッチコピーがすごい。「初期のクリムゾン」「マグマ」とか私、言っちゃってる(笑)。マグマもクリムゾンもA級の素晴らしいバンドだが、ヴァサラットは永遠のB級バンド。それが良かった。個人的にはテームがドラムを務めたこのラインアップが好きだった。



最初のチラシを作るとき、バンドメンバー全員にアンケートを取って、それに基づいてバイオグラフィーを書いた。初めて買ったCD、好きなアーティストはもちろん、好きな食べ物は? 誰がバンドの中で一番もてる?等のくだらない質問も多かった。メンバーは全員おもしろがって回答してくれた。それをもとにバイオを作った。わけわからないメンバーのバンドこそ、ちゃんとバイオは書くべきだと思う。「ビックネームと共演!」みたいなキャリアを持っている人はいないので、これしか突破口がなかったからなのだが、作っていて楽しかった。バンドって、どうしてこういうふうに個性的な連中が集まるんだろうか。


そしてウチで作った2度目の来日は2011年、震災の年だった。原発事故からたいしてたってないのに何も言わずに来日してくれた彼ら。当時は北欧音楽をやってると「ヴァルティナ、ヴァルティナ」と言われるので、それに嫌気がさした私は「この二つのバンドは今や同等だよ。これからはどっちかというとヴァサラットの時代さ」というのを言いたいがためにこういうライブを作った。それが伝わったかどうかは分からないけど。

テーマは「エキセントリック・フィンランド」。当時フィンランドにつきまとった「癒し」とか「なんとなく気怠い」的な北欧ブームに、私はほとほと嫌気がさしていたからこのテーマにした。フィンランド人だって悩む。老後の心配がないだけじゃ人間は幸せになれない。だから日本に住む私たちは老後の心配があってもそれを必要以上に気にすることはない(当時は年金問題とかが大きく取り上げられている時代だった)。それが言いたかったのだけど、フィンランド人たちにウケは悪かったなー(笑) やっぱ「癒し」とか「なごみ」で売りたいんだろうか。今でこそ、少しずつフィンランド人の本質である「シス」とかが紹介され始めているけど、日本でもこの考え方は7年早かった。今ならもっと多くの人に分かってもらえると思うけど。

またこのO-WESTのライブ。今まで時間を超厳守なうちのライブで唯一「開場時間が遅れた」ライブだった。原因は持ち込んだイヤモニターの多さで回線が混乱しサウンドチェックで時間がかかりすぎたからだ。ものすごい嵐の日だったし、お客さんを雨の中で待たせてしまった。私は晴れ女だけど、スタクラはすごい雨男。そしてスタクラの方がフォースが強いらしくヴァサラットの公演はだいたい悪天候になる。それでも公演中止にまでならないところは私のフォースだな。この頃、ドラムがサンテリになって、バンドの音がしまって、音楽的クオリティは格段にあがった。


その後、2009年の来日時にカメラマンの藤岡直樹さんに撮ってもらった写真がインスピレーションになって「浅草ヴァサラット」というコンセプトがまず頭の中に浮かんだ。タイトルができるとあっという間に内容もできた。タイトルって本当に大事なんだ。今まで作ったライブのうち、もっとも誇れるものの一つ。デザインは藤岡さんのお友達の広告関係の大先生がやってくれた。そういえば、ちょっとセゾン系のポスターみたいだ。それにしてもあいかわらず文字が多いチラシ。バンドの中でもキャラクターのたっていたエルノが脱退したのが残念だった。ミュージシャンとしての力はエルノよりヤルッコの方が上だと思うが、バンドとしての個性は後退しちゃったかなとは思う。それはテームが抜けた時にも思ったことだけど。

浅草の町とのコラボといっても、保守的で巨大な観光地を巻き込むような大きなことができるわけがなく、なんでもかんでも一個一個、しかもこっちが経費を出すことでつぶしていくしかなかったから超大変だった。加えて「浅草」しばりでコンサート会場となると使えるところはわずか。ライブハウスではなく単なるスペースであるアートスクェアでやった公演は制作費が馬鹿高くついたし、使用規程もめちゃくちゃうるさくて正直使っていて気持ちの良い場所ではなかった。(今、この会場は閉鎖しちゃっていると思う)まぁ、このへんはスタッフの英恵ちゃんの言う「ホール、あるある」ってとこか。彼女の協力なくしては本当にすべてが実現不可能だった。本当に本当にありがとう。そして、舞台監督は海老原さん、音は小林さんという超一流のスタッフがやってくれて、会場付きだったけど照明の女性の方も最高にセンスが良かった!! 予算がなくて舞台を組めなかったけど、そんなことをみじんも感じさせないハイクオリティの公演だった。最高だった。でもツアーは大赤字で、この年は自分の生活の維持もふくめてよく持ち堪えたもんだと思うぜよ、THE MUSIC PLANT(笑)。おそらく歴代ツアー赤字1位じゃないだろうか。なんか間違ってるが、私の仕事自慢の一つである。本当によくやったよ。







ヴァサラットのステージを見た業界仲間からはフジロック、フジロックとしつこく言われることが多かったが、フジロックで一回だけ来日して、その時だけ話題になり消えていくバンドをたくさん見ている身からすれば、私は彼らをそんなふうに使い捨てにしたくなかった。だからバンドの日本での筋肉をしっかりたくわえてから、彼らを売り込もうと10年計画くらいで考えていたのだけど、結局そこまでバンドが続かなかった…ということだね。アラマーイルマン・ヴァサラットは、その後、活動がどんどん消極的になっていった。それでもこちらはなんとか来日を作ろうと、もう記憶がさだかではないがCLUB ASIAを下見し2日間押さえたことは記憶にある。キングレコードの担当者に連絡し、新作のアルバムの交渉に入ってもらった。が、バンド自体の運営も厳しいものがあった…というかスタクラの気力も続かなかったのだろう。そのまま企画はフェイドアウト。そのあとどうなったのか、もう記憶にない。オレの投資と時間を返せ、とも思うけど…   まぁ、この仕事こういうことばっかりだからね。

でもスタクラとガールフレンドと私の交流は個人的にはずっと続いていたし、何度か「ヴァサラット復活」の話題にもなったのだが実現することはなかった。スタクラがベルリンに移住してからは、まったく活動もストップしてしまっていた。ベルリンに遊びに来い、って何度も言われたけど、結局訪ねることはできなかった。

私は私で赤羽にライブハウスできたし「赤羽ヴァサラット」とかいいかなぁ、とかあることないこと考えていた。でも同じことは2度やりたくない。やるなら、もっとすごい斬新な企画でやらなくちゃと思っていた。CLUB ASIAでやれれいたら、あの不思議な雰囲気と赤い壁が彼らにあっていたと思うが。あとはキネマ倶楽部の階段を見ては、あそこを使ってライブやったらヴァサラットは最高に楽しいだろうな、とか、あれこれ考えていた。でもキネマ倶楽部とかいって、すごく古い会場なのに使用料は渋谷のライブハウス並みに高い。そして、今、CDが売れない時代だから、新作CDなしで来日とかもありえたかもしれなかったんだが、うーん、そこまで踏み切ることはできなかったし、私も他のことで忙しかった。今、思い返しても「浅草ヴァサラット」より面白いものが作れたとはとても思えない。だから無理にやらなくて正解だったとは思う。

それにしてもよくやったよなぁ、アラマーイルマン・ヴァサラット。楽しかったよ、ほんと。ありがとう、スタクラ。

そして何よりこんな変なバンドを気に入ってくれて、コンサートチケットを買ってくれたりCDを買ってくれたりして、彼らの来日をささえてくれたお客さんには本当に本当に感謝したい。ありがとう。スタクラは幸せものだった。

一番好きな曲。すごいよくできた曲だと思う。

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