今日はコンサートを2本もハシゴしてしまった。コロナ、第3波到来の東京にて。
この状況下のおいて自分にとっては初めての生のコンサート。1本目は北とぴあの国際音楽祭。ベートーヴェン交響曲前夜。なんとあのショパンピリオド楽器コンクール第1回2位の川口成彦さんが自分の地元に来るではないか。北とぴあまでは、ウチからバスで10分。興奮したが、あっ、この日はウィーンフィルの最終公演で、34,000円のチケットを買っておいたのだよ。でも北とぴあの公演は2時からだし、南北線で意外と近い北とぴあとサントリーホール 。ハシゴすることに決めて、チケットを北とぴあのチケットセンターで購入。(で、買ったあとに気づいたのだけど、今、北とぴあってオンラインでもチケット購入できるようになったのね、素晴らしいわ!! 「ほくチケ」というサービス。以前はチケットセンターでの購入しかできなかったから)
そして「ベートヴェン交響曲前夜」という公演を1部だけ楽しむ。歌と管弦楽のパートはオルケストル・アヴァン=ギャルド。そこにフォルテピアノの川口さんという編成。それにしてもいつものつつじホールの受付には普段の倍以上、大量の会場整理係が投入されており「うーん」と思う。確かにつつじホールはキャパの割にロビーが… 決して狭くはないのだが、複雑な形をしていることと、あと階段やエレベーターの位置など、非常に密をつくりやすい構造になっている。ウチの公演の時も、よく考えていろいろやらないと…。終演後、お客様退場の時のフォーメーションなども気になったが、私は1部終了で会場を後にした。
ちなみに現在北とぴあの会場内は現在でもキャパ半分で運営されている。現状クラシックの公演はもうキャパ100%は可能なそうなのだが、北とぴあとしては、どうやら主催共催公演については、来年春まではこの体制でいくらしい。っていうか、今日から100%オッケーになりました、って言われてもお客さんも抵抗あるだろうし、チケットいきなり追加で売るのも不公平感でちゃうし、大変すぎるよね…。
そんなわけで、今日のお目当てはショパンコンクールのピリオド楽器で二位になった川口さん。一度、生で拝見したかったのだ。いやー チューニングだけでも大変そうだな、あの楽器(プレイエル)。今日の演奏はショパンではなかったけれど、とてもユニークで、ピリオド楽器たちの豊かな響きに感激しながら、そうか、このホールってこういう響きも出せるんだと毎年のように使わせていただいてる「つつじホール」の響きを楽しんだ。
1部が終わると後ろ髪をひかれつつもサントリーホールへ 。サントリーホールへ飛んでいったものの、カバンの中をまささぐると、あらら、チケットがない!?
言い訳であるが、だいたい私がいく公演はライブハウスか友人制作の公演であり、となるとチケットはほとんどが当日券購入、もしくは友達に甘えて招待券ということになるから、そもそもチケットを持って公演に行くという習慣がないのだ。海外の公演なんか今やほとんど電子チケットだし。だから重ねていうがチケットを持っていくという習慣がないのだ。
…と思わず偉ぶりつつ、「おい、オレはバルトロメイの親戚のもんだ、入れろ」と威張ってやろうと思ったけど、そんなことをしてマティアスにあきられるのは嫌だったので、窓口のお姉さんに購入した際の確認メールや購入したときのクレジットカードを見せるとチケットは無事再発行に。もっとも「万が一、チケットを持ってきたお客さんがいたら、そちらの方が優先になります」という注意書き付き(笑)。そりゃそうだよね。なにはともあれお姉さん、どうもありがとう。そもそもソールドアウトだったこの公演。いずれにしてもチケットは主催者から直接買っておくに限る。
ってなわけで、ウィーンフィルの演奏だ。演奏は… とにかく柔らかかった。初めてオーケストラを生で聞いたのはいつだったか忘れたけど、結構私はクラシック少女で、ピアノも3歳から習っていたし(今は全然弾けません)、ウチの父親が新日フィルか何かの応援会員みたいなのに加入していて、それで結構な頻度で公演に行っていた。初めてオーケストラの音を聞いたときは感動したね。「なんかノイズのないレコードを聴いているようだ」と思ったものだ。あと意外に音が小さいな、とも。家でレコードを聞くときは、もっと音を大きくして聞くからね。
とはいえ生涯オーケストラやクラシックのコンサートに行ったのは、おそらく30回は数えていないと思うので、まったくの素人なのであるが、なんというか、うまいオーケストラって音が柔らかいんだ。
で、思い出した。そうか、これか。これがパパ・バルトロメイが言ってたウィーンの、立ち上がりのアタック感を感じさせないウィーンの音なのか。「牧神の午後」「海」そして「火の鳥」というプログラムだった。「牧神の午後」なんて頭のぴーひょろろろろ〜みたいなフルート(?)が聞こえてきたあとは、何度聴いてもメロディが覚えられない。プログレだって、ポルスカ(スウェーデンの伝統音楽)だって、なんだって数えられない私は、なんでもひたすらメロディをまる覚えするしかないのであるが、知らない曲にしては、妙に楽しめた。「火の鳥」なんてあれだけ激しい展開がある曲なのに、いやーなんだか柔らかいんだ。柔らかい。すみません、素人意見で。
っていうか、あの、オーケストラの、コンサートマスターの先導でチューニングが始まる、あの感じもすごく今回はジーンと来た。っていうか、オーケストラの皆さんがステージにあがってきた瞬間から泣けた。ウィーンからはるばるようこそ!!! そして主催公演の時にホールの天井にかかるサントリーホール の深紅の垂れ幕が今日は一段と誇らしげだ。
ウィーンフィルを初めてみたのは高校生の時だったと思う。いや、中学生かな。地元の千葉文化会館にて。プログラムは確か『田園』と何かだったように記憶している。だからウィーンフィルを見るのは2度目だ。一度目に観た時も2階席の壁にはりつくようなバルコニーで観ていたのを記憶している。ステージ下手側のバルコニーだった。そこが音が良かったのか悪かったのかは記憶にない。というか比較材料もないからわからない。
当時、学校のクラスにクラシック好きの、かつ勉強もできる素敵な男子生徒が二人いて、二人がよくマーラーがどうした、カラヤンがどうしたと話したりしているのを興味深く聞いていた。父はクラシック好きのオーディオ好きで結構なオーディオセットとレコードのコレクションが家にはあった。だからポピュラーなもの『皇帝』とか『ラフマニノフの2番』とか『悲愴』『新世界より』みたいなものだったら今でも最初から最後まで一緒に歌えるくらい身についている。ピアノも3歳の頃から習っていたのだけど、中学に入る同時にやめてしまったが、始めた当初は「天才少女」とか言って騒がれたものだ。深澤亮子さんに練習を見ていただいた経験まであるんだ。こっそり言うが… 今やショパンの一つも弾けやしない(笑)
なので、今や単なる門外漢である。だからソールドアウトになった公演のチケットをゲットし(でも別に裏から手をまわしてはいません。正規ルートで購入したよ)クラシックファンから槍が飛んできそうなレベルのレポートで申し訳ないが、ま、こんな感じで許してください。でもチケットをちゃんと買って入れば、その溝は埋まるよね。お金ってこういう時に便利なものだわ、ほんと。
でも昔、キングレコードにいた大尊敬するJAZZのプロデューサー、川島重行さんも言ってたね。「素人だから楽しめないというのは嘘だ。楽しめなかったら、それはそれで音楽の何かが悪いんだ」って。だから「わからない」じゃなくて、自分が思った素直な感想を素人でも言っていいんだ、ってのを学んだねぇ。うーん、川島さん素晴らしい。お元気でいらっしゃるかしら。(とか、ブログに書いていると、大プロデューサーは時々エゴサーチしているらしく、「こらこら、何を買い取るんじゃ、のざぼうは」と言って電話がかかってきたりするから笑える。私を「のざぼう」と呼んでくれるのは川島プロデューサーと、通訳の染谷さんだけである・笑)
あ、あとと最後、指揮者の方がコンサートマスターの次に首席チェリストを紹介したときも。そう、オーケストラで偉いのは(すごい乱暴な説明)、第1ヴァイオリンの次にチェロなのだ。それも最近、どっかの本で学んだよなぁ、と復讐。(この本だったかな。確か)初心者にこういう「ガイド」は本当に必要である。あぁ、ウィーンの伝統、オーケストラの伝統。本当に素晴らしい。
そして会場で2,000円のTシャツを購入。Sサイズでも大きいくらいだけど、チェロがデザインになっているし、これは次のバルトロメイ・ビットマンのツアーの時に着れるから絶対に「買い」。
そして帰りには、ついつい六1にあるいつも行く割とリーズナブルなお寿司屋さんのカウンターに座ってしまった。で、ひとりでしばらくお寿司を摘んでいたら、ふと見ると、公演のスタッフとおぼしき人が何やら出前を受け取りにやってきた。おそらく発注はオーケストラの人たちじゃないのかな。確かにこの寿司屋は彼らが泊まっているであろうホールの隣のホテルにも近いし、おそらくみんな常連なんだろう。でも今回ばかりは外出するわけにもいかず、みんなで出前をとったのかも。「あっ、それ私が払います、皆さんに御馳走してあげてください」って言いそうになったよ。そして、カウンターにはやはりコンサートに行ったらしきお客さんもちらほら。
それにしても良い音楽と美味しい食べ物があれば、もう何もいらないよな。こういう時間が一番贅沢。こういう時、お金って必要だよな、って思った。心境はパーティに出かけて着飾りはしゃいでいるところをローリーにみつかり「お願いだからジョーには言わないで。今日だけは贅沢させて。あとの人生つつましくすごすから」と言い訳をする映画『若草物語』のメグのよう。あぁ…わかっているけど。でも、これが明日からも働くパワーとなる。
しかしオーケストラの皆さん、明日帰国するのかな。コロナ禍で直行便って今、ウィーンから毎日飛んでないよね、どっか経由で帰るんだっけか?とか思いつつも、あっ、そうか、チャーターだったっけと思いだし、ひとりでクスリと笑ってしまったのでした。
しかし今、この公演をLooking backwardsしてみると、つい最近クラシックの公演のキャパが100%オッケーになったことや、いろんなことがすべてこの公演のためのシナリオだったのように思たりもする。パフレット一つにしても、これだけのものを対訳手配して印刷するのはリスクだっただろうから、もう公演ダメもとでリスクをかけて制作していただんだろうな、とか、あれこれ思考がおよぶ。
本当に本当に関係者の皆さん、オーケストラの皆さん、本当にありがとうございました。思わずサントリーホールの知り合いに「観ました!」とメール。ウィーンフィルのTwitterアカウントやサントリーホール のアカウントにもお礼のメンションを投げる。とても素晴らしかったよ、と。勇気をもらったよ、と。こういうポジティブパワーはみんなに還元しないといけない。
あとは公演後2週間の間、コロナが発生しませんように。席はソールドアウトでぎゅうぎゅうだった。入場時には余裕をもって来場するように案内があったほか、退場も密をつくらないよう順番にブロックごとに、とは言われたもののアナウンスを守らない人もちらほら。トイレなどは係員の人が必死に導線を誘導していたが、それでも密になりがちだった。会場を埋めるお客さんの白いマスクが妙に目立つ。そして団員の皆さんもステージにあがるまで黒いマスクをされており、それを演奏前にポッケにしまいつつ演奏に向かう。終演後の指揮者とコンサートマスターの握手もゲンコツで。すべてがいろいろあるのだが、この偉大なる音楽の前では、すべてが小さい。この音楽を実現させるために、みんなすごいリスクをかけているわけだ。大袈裟にいえば、戦時中に爆弾が空からふってくるかもしれないのに、集まって音楽を聴いている。そんな心境か?
でもいつだったかとある音楽業界内の勉強会で「なぜ人は戦時中でも爆弾が飛んでくる中、人は音楽を必死で聴いていたんだろう」というテーマになり、「それはそれより前に、音楽でものすごい感動したことを人々が覚えているからだ」という答えになったのだが、本当にそうだな、と思った。一度音楽の魔力を知ってしまったら、それを忘れることはできない。素晴らしい音楽、忘れられない音楽はそうやってリスナーの一生を支えてくれる。
とはいえコロナの注意アナウンスに加え、地震時の注意事項やら、公演一つやるのに、本当に音楽を聴くのもリスク、リスク、リスクなのだなと思った。何をやるにもリスク、リスク、リスクだ。
クラシックって本当に神様に捧げる音楽だよね。神様はドビュッシーやストラビンスキーや、ベートーヴェンやチャイコフスキーだ。楽譜は経典で、ホールは寺院といったところか。此の解釈間違っている? でもこういう時期だからこそ、なんか、こう人間より大きなものにつつまれたいという気持ちがふくらむ。だから、とてもいいですよ、こういう時期にクラシック。特にオーケストラ。マスクをして安全対策をおこたらなければ、きっと大丈夫。
ウチの来年1月の公演は、しかし残念ながら延期が決まった。ここまでギリギリだとかなりプロモーションが厳しいだろう、ということ。あと借りていてキャンセル不可能なホールさんが「変更ならキャンセル料なくて大丈夫」と言ってくれたこと。そんなわけで現在ツアー丸ごと日程を調整中。この来日だけはなんとか実現させたい。ウィーンフィルの音楽に勇気をもらったよ。
そんなわけで、勢いこんですっかりサントリーホールのファンになり、ニューイヤーのチケットも買ってしもうた。ラフマニノフの2番が聞きたいんだ。楽しみ。(あっ、ジョーには言わないで・笑)でも皆さん、いいですよ、クラシックのコンサート。チケット高いけど、私も年に1、2回は許されるんじゃないかなとちょっと思ったのだった。
PS ちなみに紛失したと思われたサントリーホール のチケットは、北とぴあの私が座った座席の下から出てきたようで、公演が終わってiPhoneでメールをチェックしたら、それを発見してくれた北とぴあの事業課のTさんの「野崎さん、入れました?」と心配するメールを発見した。そう彼女にも「ウィーンフィルのチケット買った」と自慢していたのだった。ありがとうございました。ご心配をおかけしました。ほんと私っておっちょこちょい。