細野豪志 開沼博『福島原発事故自己調査報告』を読みました


原発事故の時、民主党政権だったことは私はラッキーだったと思っている。いろんな評価はあるだろう。でも私の印象はそうだ。少なくとも自民党政権だったら私のフラストレーションはマックスに達していただろう。細野さんと開沼さんのお二人については、それぞれメディアを通じてではあるが、それなりにウォッチしてきた人たちなので、興味を持ってこの本を買った。「自己」報告書だ。

10年前、私がメディアを通じて見ていた細野さんは最初この未曾有の事故の担当になって浮足だっていた印象だったけど、どんどん落ち着きを得て、日々努力されていた。開沼さんについても、トークショウなどで実際にお話をうかがう機会を得て、社会学者として素晴らしい方だという印象を持った。

ただ開沼さんについては、そのあとクラファンかな…私もファンドしたので覚えているのだが…ちょっとした問題があって、問題があるのはともかく、その問題への対処の印象がいまいちだったのだったことを記憶している。(ごめんなさい、これ誤解だったらすみません。でも私の今の印象はそうです。そして、その後、この問題については、私が何かを言えるほどきちんと情報を追いかけているわけではありません)

いずれにしても、何か私がブログにわざわざ褒めることを書くと「いや、あの人は…」と過去のキャスターとの路上キスまで持ち出して説明してくれる人もいるが、多くの人は(私も含め)完全ではないのだという前提を忘れてはだめだと思う。それと政治家としての評価は別なのだから。いずれにしても、この二人については、私はその活動をある程度見てきた人たちだ。その立場で感想を書く。

当初311に間に合うように感想文をアップしなくちゃと意気込んでいたのだが、読み始めたものの、あまりスイスイ読み進むことができる本ではなかった。読みながらもあっちの本、こっちの本と浮気してしまったため、感想文が遅くなってしまった。すみません。でもBetter than Neverということで。

読んで改めて考えさせられたのが当時の各国の対応だ。特にアメリカ大使館の対応。ヨーロッパの大使館たちが次々退去していく中、思い切って踏みとどまったこと、200マイル説を押し通さず50マイル(80km)にとどめたことなど、振り返った時に、実際あの時あぁだったら致命的になりかねなかったよな…と思うところを改めて認識する。私たちは本当に危ない橋をふらふらと渡っていた。なんだかんだで日本に住んでいる以上、アメリカの存在は大きい。当時のルース大使と「トモダチ作戦」に対する評価を改めた部分もあった。

そして同じことは「よかった。あの時そうしておいて」ということは、地域の復興についても同様だ。風評被害と戦い、1msv問題などなど…。政治は「art of possibility」と言ったのは、ビスマルクだが、政治家は批判されても現実をしっかり見つめないといけない。批判されたら「これこれ、こういうわけだから」ときちんと丁寧に説明していかなくてはいけない。それが政治家の役割、そして責任なのだということを改めて考えた。

風評被害に対する対応も現実問題まだまだかもしれない。私個人は福島の製品にまったく抵抗はないし、きちんと検査されているだけ他より安心くらいに思っているのだが…。実際、それを言うなら流通に乗っておらずやるべき検査もしていないウチの親の作った茄子やきゅうりの方がよっぽど危険ですらある。ただ確かにそんな私でも、人に福島の何かをプレゼントする時は相手を選ぶ…かな。でもそんなこともおいおい払拭されていくだろう。そしてその影にはこんなにも大変な人々の努力があるわけだ、というのを改めてこの本で痛感する。

これについては、このブログを読んでいる人の中にもいろんな意見があると思う。そういう私もここに書きながらちょっとドキドキしている。リアルな友達たちとでさえ、この話題について大っぴらになんの躊躇もなく話せる人は本当に少ない。実際は本当にどうなんだろう、とここまで書いていても思う。ただ私自身は安全だと認識しているし、積極的に食べている。ただそれだけだ。というか、それによって死ぬことになっても自分の責任だし、かまわないと思っている。

私も昔はある意味、汚染についてはかなり潔癖症的なところがあった。潮目が変わったのは早野先生が糸井重里と出した本を読んだ時。(糸井重里はわたしはあまり好きではないのだけれど、それでも素晴らしいと思えるとところは多々あると思っている)あの本に書いてあったエピソードに今でも印象に残っている話がある。汚染について、検査がしっかり行われているのにどうこう言うのは、例えば本屋で積まれた雑誌を買う時に、下の方(人が触っていないもの)を買いたくなるのと一緒だ、ということだ。この記述には「なるほど」と思った。そして早野先生は科学を信じているだな、とも思った。当然だ。科学者なのだから。これを信じれなかったら自分のすべてを自分の存在をも否定することになる。早野先生が朝、Twitterにグラフをアップしているのを見ているだけで、わたしはなんだか科学っていいな、素晴らしいな、と何度でも思う。

あと自分が病気になってからの外科医たちとの出会いもある。外科医もこちらが驚くほど医療を信じている。私は… 医療を正直信じてなかった。例えば薬を飲むのが嫌いで嫌いで、ずっと避けてきた。薬なんて飲んだら終わりだ…くらいにずっと思ってきた。

それが最初の女性の主治医(失敗しないD先生…お元気かしら)が「野崎さん、体調を薬でコントロールするって言う考え方もあるんですよ」と言ってくれたのだ。それはちょっとした開眼だった。そして次の主治医のN先生などは私が「薬が効いた」と報告すると、まるで子供のようにワクワクと喜んでくれる。あぁ、この人たちは医療を信じてるんだな、と私はそう思った。まるで私たちが音楽を信じるように。

そこからは私は薬に対する抵抗がなくなった。汚染については…まだまだだけど、こうなった以上、売られている雑誌も上の方から買わないとだめだな、と思ったのだった。もちろんそれを人に強要することはできないけれど。

そして本当に汚染や風評被害、一人一人の不安そのものに丁寧に寄り添う…とは言うが、「もはや議論の余地がほぼない事実」については、押し切るしかないのではないか。この本をまとめた林さんの意見もとても響く。だって、こんなに丁寧に、こんなに丁寧に説明してくれているんだよ!

いずれにしてもあの時、枝野さんの会見を食い入るように見つめていた自分。夜中の東電の会見を必死で見ていた自分。あれこれ思い出し噛み締める。あの状況下で、自分のところにも十分な情報が来ているわけでもないのにしっかりと国民に落ち着くよう伝えた枝野さんはやはりすごい政治家だと思う。あの時、他の誰だったらベターな結果となったのだというのだろう。あとから嘘だ、国民を殺したと言われても仕方がない。今、ここにおいてはこうするしかないのだ、という覚悟がそこにはあったのだと思う。それが政治家の責任だ。っていうか、そういう政治家のもとで死ぬ方が、保守政治の下でうやむやに殺されるよりまともだと思う。そのくらいの覚悟をもって選挙に行く。

あの頃、ぐっちゃぐちゃになっていた事故の情報だが、東電ビルに対策本部が移され、ようやく情報をまとめることができたのは、細野さんの手腕だったと私は思う。それだけでも素晴らしいことだったんじゃないか。いや、それは当たり前のことなんだろうが、今の自民党政権だったらのらりくらりと批判を交わし、ひいては何もできなかった…そして一部の神風みたいな「できる個人」のおかげでなんとか日本は助かったのだ…、そしてまたもや失敗から何も学ばず…というお決まりの循環になっていたに違いないのだから。

最後の章で細野さんが「私たちがこれからできること」というのを思いっきりまとめてあるのも素晴らしいと思った。処理水問題、中間貯蔵施設、甲状腺検査、食品の摂取基準、これからのメディアのありかた、市町村の合併など未来に対する提案を逃げもしないでまとめてある。あぁ、このブログを書いていて、自分でわかったけど、そうだ、責任から逃げたらダメなんだ。逃げない。責任から逃げない。もちろん何度も書くが私もこれらの意見に100%合意はしているわけではない。というか、合意できるほど、そして反対できるほど私も勉強できてないというのが私の現状だ。でもこの本が果たす役割は本当に小さくないと思う。細野さんの政治家としての、こういう貴重な才能が活かされる世の中になりますよう…。

10年でこのことの評価はまだまだ早すぎるようにも思えるが、10年で一度まとめておくことも重要だろう。「忘れない」と言う感情よりも冷静な判断を。それが重要だということを改めて。

そして希望が持てることには、あの頃子供だった子たちが10年たって、社会で活躍し初めているということ。そこにはものすごい希望がある。無限のパワーがある。なにせあれだけの経験をした子どもたちなのだ。

例えば地元の高校生たちが自分で申請書を書いて助成金を獲得したり、それに刺激された東京の子供たちも東京の問題についてフィールドワークを始めるなど良い循環が現場では実現されているそうだ。またまったく遠い滋賀県の彦根東高校の新聞部が定期的に東北の現場を訪ね、復興の様子を記事にしているのだという。多くのメディアが時間の経過とともに去っていく中、高校生たちは取材を続ける。その理由を尋ねると、彼らはこう答えた。現場の人たちが「七年たってやっと言葉にできるようになった」と言うのを聞いた、と。この言葉を聞いて、彼らはこの取材は絶対にこれからも続けていこうと誓ったのだそうだ。こういうことが日本の将来のジャーナリズムを担うのだ。こういう話には本当に勇気をもらう。ググればなんでも情報が得られる時代に、子供たちに必要とされるのは、そういった能力だ。未来に必要なのは、こういうことだ。

細野さん、開沼さん、この本をありがとう。これからも応援します。

 

PS
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