お金なんてただの紙切れ。でもそんな紙切れが我々ホモ・サピエンスをまとめている。

さくらんぼ、いただきました(喜)

東京都に緊急事態宣言がまた発令されるそうで… 

22日までか。なんか考えちゃう。7/14の『サウンド・オブ・レボリューション〜グリーンランドの夜明け』、そして8/8、9の北欧会もすべて緊急事態宣言下での開催になってしまった。というか、開催できるのか。政府の指示を静かに待つのだが…。関西とかどうなんだろう。バラカンさんの映画祭もあるというのに。

っていうか、なんなんだろう、このムヤムヤは。だんだん腹立ってきた。何もやらないでじっとしている方がいいんだろうか…

ちょっと前の記事ですが、シェアしました。

今、東京は経済と感染防止の綱引き状態。オリンピックにおいては、まだお金の力がその踏ん張りをみせている、ということか? お金なんてただの紙切れだと分かっている。ほんと。単なる経済の流通における血液、記号の一つみたいなもんだ。でも、今、こんなコロナ禍になって、お金の流通が糞詰まりになり、こういう時こそ単なる紙キレであるお金をじゃんじゃん刷ってじゃんじゃん配りまくってばらまきまくらないといけないはずなのに、私たち日本人はそれを上手にこなすことができない。

お金はただの紙切れなのに、我々ホモサピエンスをしっかりと統治している。我々はお金にはさからえない。

その紙切れをたくさんかかえたオリンピックは巨大な化け物となり、私たちを翻弄する。もう誰も幸せになれないのに、なぜかこの紙切れをいっぱい抱えたオリンピックは、もう誰にも止められない。なんで開催するんだっけ? なんかわからなくなってきた。

いつぞやの「政治家は独立自営業者を怖がる」って記事や、最近読んだ津田大介さんと平田オリザさんの対談本「政治家はわけのわからないものを怖がる」ってのを改めて思いかえす。

まったくおっしゃる通り。その反面で、ただの紙切れのお金は人々にとって非常にわかりやすい価値を提示している。これだけあれば大きなTVが買える、これだけあれば大きな車が買える、これだけあれば一生安心して暮らせる。だからみんなお金が大好きだし、それを利用するのだ。この複雑な世界を取りまとめる、めちゃくちゃわかりやすくてシンプルなものだからだ。

お金に振り回されないようにと思いつつも、社会で生きている限りは、それが血液なのも事実。必要なものなんだろうなぁと半ば諦めムードの今日この頃。

とにかく自分にできる仕事をやるしかないのだが、無力感をひしひしと感じる。なんか落ち込むよなぁ。一方で何もやらない人たちは「ほれみたことか。おとなしくしてればいいんだよ」とでも思っているんだろうか。確かにこの現状はサボる言い訳としては最高のシチュエーションではある。がんばっていたからといってなんの結果がでるものでもない。

「Don't Say Okay」メアリー・ブラックの曲の中でももっとも好きな曲の一つ。「OKって言って、心半分で折れないで」「頂上にたどりついたと思ったら、そこから向こう側へと転げ落ちた」

ドーナル・ラニーの疾走するブズーキがめっちゃ気持ちいい。キーラン・トゥーリッシュのエンディングのフィドルも効いている。メアリー、来日公演の最後の最後にこの曲を歌ってくれたっけ。あの公演は最後しんみりしないで、この曲で明るく終わったのがよかった。なんかもう思い出に生きていくしかないのかなぁとも思う。

もうオリンピックが回避できないのは分かっている。でも自分の気持ちは表しておこう。

言い訳。どういう行動がどういう結果を生むのか想像してなさすぎる…