オリンピックの閉会式もやはり見なかった。でもTwitterのタイムラインを眺めているとどんなだったかは想像できる。いろいろやりきれない気持ちだ。
とあるレコード社色の一色だったとか、DHCのコマーシャルに出てたあのバンドは…みたいなコメントを横目でみつつ、開会式の時と同様、私はネットでポリタスTVを見ていた。
人気の青木理さんに加え宮台真司さんも登場ということで、いつもの視聴者数以上の人が見ていたようだ。今回も間違いなく神回だった。
なんかこの夏は、本当に精神的にポリタスTVに救われてるわ、まじで。
今回もすごく長尺で、私はコンサートもネット番組も長いのは良くないと思う方なんだが(人間の集中力はベートーヴェンの時代から第九の長さまで、と決まっているのだ)、まぁ、2時間半という、このくらい時間を共有しないと理解が進まないのもまた事実。
特に宮台さんや青木さんのような方は、テレビやラジオなどの時間に限りがある場ではなく、時間に余裕のある中で話をしてもらった方がいい。
あぁ、このブログも短くしないとなぁ!(笑)わかってはいるのだが。
とはいえ、この番組の感想はいくらでも書ける(笑)。紹介されていたニュースをさっくり紹介すると、例えばオリンピックの3日前に上陸が確認されたラムダ株隠蔽の話はまったく知らなかったし、中等症うんぬん騒動の真相もわかって愕然とし…
…まったくもって怖すぎる。
他にも冒頭の不正輸出疑惑の検察のありえなさ等、本当に勉強になった。青木さんの言うとおり、すべての元凶である日米地位協定がなかなか改訂されないのも、こういう世界スタンダードからの日本の司法の遅れがあるのが理由の一つかもしれない、ということ。
それにしても今回のポリタスTVに共感MAXだったのは、オリンピック開催中のマスコミの態度についての宮台さんの発言だ。これはヒットだった。
正直、今のこのオリンピック終わったあとの状況は、もう最低最悪でしかない。もはや瓦礫と借金の山に囲まれて佇んでいるような気分になる。良くも悪くも、私が想像していたとおりになってしまった。
近所の銭湯に行けばおばちゃんたちはついこの間まで「オリンピック反対」と会話していたのに、開催中はサウナのテレビ歓声をあげたり拍手をしながら観戦している。(いずれにしても今、銭湯は黙浴必須。褒められた行為ではない)
こうした人々をコントロールしているのがマスコミなのだ。一方でコロナの状況を伝えるのもマスコミであり、スポンサーにささえられているのもまたマスコミにとっては致命的な事実なのである。
この複雑な状況下でのとるべき態度って、いったい正解はあるんだろうか、って、ずっとモヤモヤしていた。それは個人の表現(SNSやブログなど)のレベルでも一緒だ。コロナで逼迫する医療現場の現状をうれう必要がある一方で、たとえばテレビや新聞社には選手のことをこのオリンピックに向けて何年も取材してきたスポーツ部担当の人たちもいるのだろう。
でも、公共の、郵政省から認可された放送局であるならば、受け取る視聴者がどう思うかをまず考えるべきなのだけど、視聴者にとっては放送局は一つの人格みたいなものだ。
だいたい銭湯のサウナのテレビではオリンピック中継がずっとかかっているのだが、中継の合間に流れる「夢に向かって」みたいなアーパなCMを見ると本当に気分が本当に悪くなる。こんなんで企業は視聴者の共感を得られると思っているんだろうか。もうありえないわ、と気が狂いそうだった。
そんな思いでいたところに、ポリタスTVで、宮台さんから「だが、しかし」という話を聞き、本当にいろんなことが腑に落ちた。そうなんだよね。「だが、しかし」が重要なんだわ。
オリンピックに出場する選手たちは素晴らしいよ。でも忘れちゃいけないことをそれによって忘れてはいけないよ。その問題は、まだそこにあるのだから…ということなのだ。
番組後の感想ツイートを見ても、宮台さんのこの「だが、しかし」が響いた人はとても多かったみたい。そうなんだよ、「ダブル・トーク」でいいんだよ。
反対に「敵・味方」や「予測が正しかった、予測とは違った」図式でいろんなものを切り捨て吹っ飛ばしてはダメなんだ、と。いろんな問題を人に伝えようとするとき、本当に重要になってくるのは、そんな単純な話ではないのだ、ということ。
ま、そもそも私の場合、普段からスポーツ観戦はいっさいしない。そもそもそのスポーツを実際やっている人でもないかぎり、観戦は「エンタテイメント」以外の何ものでもない。
オリンピック自体に罪はなく、単なる気分的なものだけだったにしても、この夏にやるべきではなかった。それについての私の意見は変わらない。
でもいつも応援している小国の(失礼)いろんな国の大使館やスポーツメディアが自国のメダル獲得に喜んだり、日本のどこかでキャンプして住民と交流なんてニュースが流れている時に、それを無視してしまうのは、あまりにももったいなさすぎるのだ。
自分がよく見ているSNSの世界でも本当に今回は複雑だった。オリンピックについて徹底無視を決める友人もいて、それは一つのスタイルでかっこいいと思えた。最後まで徹底して反対のツイートを連発している友人もいた。それもすごくわかる。
自分はどうしたらいいのか、本当に悩んだ。いや、私の小さいこのブログやSNSですよ。読んでいる人もそれほどはいない。世界にとっては、重要ではない小さな場所。でも私にとっては、ここが私の小さな社会への扉なのだ。
そこで宮台さんの言葉。「オリンピックは感動的だった、だが、しかし…」の「だが、しかし」が大事だと宮台さんは言う。オリンピックは楽しい、気分転換も本当に必要だ。だけどそれによって重要なことを忘れてしまうのはダメだ、と。
なんか頭が整理された。そうか、そういうスタンスでいいんだ、と自分で納得がいった。そう、私が欲しいと思ってたものは、この言葉だったんだ。
それにしても、コロナ禍で会いたい友人にも会えない日々が続いているけれど、私が好きな尊敬する人たちは、それぞれがそれぞれらしく、そこに存在してくれているので、そういう意味では、本当に嬉しくなる。
私がネットばかり見ているからよくないのかもしれないのだけれど、私の好きな人たちは、ほぼ全ての人たちがオリンピックがテーマであろうとなかろうと、しっかり実名でしっかりと自分の意見を発信している。
加えて私はポリタスTVで宮台さんが言っていたようにスポーツ選手は、外国のスポーツ選手のようにもっと発言した方がいいと思う。スポーツ選手だけじゃなくてミュージシャンもね。確かにまだ若い彼らには荷が重いかもしれない。でも発言する人は若くてもグレタ・トゥーンベリさんみたいに発言しているわけで…
それにこのご時世、早めに世間(インターネット)の荒波に揉まれて慣れておいた方が、残りの人生、のびのびと生きるために、そしてそこからの恩恵を得るためにも慣れておいた方がいいと、オリンピック選手たちよりも、ちょっと人生の先輩である私なんぞは思ってしまう。
今や何かを発信しなければ、何かを得ることは難しい。おそらくこれから10年くらいの間で、発信する人と発信しない人の差は大きく開いてしまうだろう。
そして面白いことに現政権は、おそらく間違いなくTwitterをすごく気にしている。彼らは見事に特に私のTwitterのタイムラインで盛り上がったり、反対意見が多い案件について、かなり敏感に反応してくるのだ。そこが実はすごく面白い(笑)
だからこそ、ほんとにこういう混乱の中でもきちんと自分の意見をいい、態度を表明できる私のタイムラインにいる人たちは、みんな素晴らしいと改めて思った。
もちろん、自分のタイムラインは、自分にとって都合のいいようにカスタマイズされているわけで、そんなタイムラインだけ眺めていてはダメダメなのだが…。
代表的な人たちをざっくり紹介しておくと…まずアイルランド在住の直子ガイドこと、山下直子さんのブログはいつにも増して本当に素晴らしかった。アイルランドの人たちのメダル獲得に喜ぶ姿を、丁寧にわかりやすく紹介する直子さんのブログで見るたびに私も何度涙ぐんだことか。やっぱりアイルランド人いいわ、と何度も思った。
なんといっても直子さんの使命は、アイルランド・ファンを一人でも増やすことなのだ。それを彼女のブログではいつも徹底してつらぬかれている。それにさすが早稲田の文学部だよなぁ、文章もいつもすごく上手で、読みやすい。
サムソン高橋さんの名言ツイートにも笑わせてもらったし、かつ何度も気持ちを助けられた。本当にまったく同感だ。同感。
コロナの世界から無事に戻った高野秀行さんのソマリランド生まれの選手たちに対するツイートも良かった。そうなんだよ。オランダやベルギーみたいなヨーロッパの小国は移民や難民を受けいれることで、どんどん強くなってきた。そうするのが強い国への道なんだよ!
ジョージアとウクライナの大使のコメントはいつ読んでも非常に常識的で納得がいくのだが、ジョージアの大使の、ジョージアの代表選手たちが飲んで路上で騒いでいたニュースの後のこのツイートなど、本当に素晴らしいと思った。
そして広島原爆の日の前に公開されたジョージアの大使のこの素晴らしいストーリーも。
「広島は第二のふるさと」ジョージア大使、平和記念式典出席へ 母国の戦争は「震撼」https://t.co/7Tj3ORsT2Z pic.twitter.com/0t9GvF65ry
— Asahi Shimbun GLOBE+ (@asahi_globe) August 5, 2021
こんなだから、私はポリタスTVを含め自分をとりまくインターネットの世界が大好きだ。
みんなが自分らしく、悩み、それをシェアしていこうじゃないかと思う。インターネットはひどい荒れ地だと言う人はいるけれど、私はそれだけじゃないと思う。
それにしても今回このオリンピック観戦に関して複雑な気持ちにならないとしたら、やっぱりその人のバランス感覚は、ちょっと変だと思う。人間として変だと思うことは、今や企業もやっちゃいけない。
そんな自分の気持ちの迷いや悩みをきちんと表明し、書きつけておくことが大事だと思い、書いておくことにした。それを野崎っぽい、と笑う人がいてもいいと思う。だって、それが本当に私なのだから(笑)
自分的には次の山は「フジロック」だ。それについては、長くなっちゃうので、近日中にでも短めに書く。オリンピックが強行されてしまった今、どうにか、無事に開催されますよう…