「洋楽ロック史を彩るライブ伝説〜ウドー音楽事務所の軌跡を辿る」を読みました


赤尾美香さんの編集で、入魂の日本のおける洋楽の歴史本が発売! ウドー音楽事務所さんの歴史をまとめた一冊です。

私も初めて行った洋楽のコンサートは、カルチャー・クラブか、プリテンダーズなど3組が出た大きな東京ドームの公演だったように記憶している… カルチャー・クラブの方が早かったかな。

千葉で高校生やってたときはコンサートには行けず、大学生になって一人暮らしをするようになってから行くようになったので、私の洋楽コンサート・デビューは遅い。

大学では、いわゆるビルボード研究会=TOP40愛好会に入っていたので、貧乏学生の割には友人たちとよくコンサートには行った。ポール・ヤングにヴァン・ヘイレン、REOスピードワゴンにナイト・レンジャー。ジャクソン・ブラウンなどなど。

まぁ、普通の洋楽ファンだったよなぁ、私!(笑)

当然ながらUDOさん主催の公演はたくさん行ってる。とはいえ、当時のことは、よく覚えていない… でもデータを見てエリック・クラプトンってこんなに頻繁に日本に来ているのか!とか結構びっくり。すごいよなぁ。

あと日本の洋楽=TOTOという図式は、ウドーさんが作ったのだなぁ、と改めて確認する。そうなんだよ、日本の洋楽=TOTOなんだよね。

最後の方に業界内の皆さんの思い出に残るコンサートリストなども。ピーター・バラカンさんや浦沢直樹さんも登場。そして、大学時代、本当にお世話になった中村真理さんも。真理さんが当時めっちゃヒューイ・ルイスに夢中になっていたのは、非常に記憶に残っている。

私の中ではヒューイ・ルイス=真理さんという図式ががっつり出来上がっているのだ。懐かしいなあ。

もちろん巻頭に掲載された湯川れい子さん、そして東郷かおる子さんが寄せられた文章も必読。東郷さんの「ときどき喧嘩したけど」みたいな一行にすべてが凝縮されているようにも思えた。確かに来日アーティストの楽屋では、いろんな人の思惑がせめぎあっている。

レコード会社、媒体、音楽出版社…。普段なーんにもやらないくせにアーティストが来日した時ばっかり…みたいな人も来る。リスクをかけて来日の予算を出しているプロモーターは、そんな時、複雑な気持ちになる。でも喧嘩しあってでも、お互いに結果を良いものにしていかなくてはいけないのだから、当然だ。

よくレコード会社の人=アーティストと仲良し、と見られがちだけど、実態は、この本にも書いてあるとおりコンサートプロモーターの方が圧倒的にアーティストに近いと私は思っている。それこそツアーともなれば寝食をともにしているわけだからね。

日本のプロモーターによるべったりの「おもてなし」はウドーさんからスタートしたのね、とも。私も身体がきつかったり、ホテルが遠かったり、アーティストが一人で来日していて寂しがり屋だったりすると同じホテルに泊まりこんで頑張ったものだ。ホテルの部屋は事務所よろしくファイルとツアーで使う道具の山(笑)。

もうそういう現場はできる体力ないけどねぇ…

ウドーさんと交流がないものは洋楽やってて潜りというけれど、そういう意味では私も「潜り」だ。例えばよく業界内でやるチラシの折り込みも、私たちがお願いできるのは、スマッシュさんやクリエイティブ・マンさんあたりまで。

(ちなみにこの2社の担当者の方からはチラシ折り込みをお願いして断られたことがない。本当にありがたいことだ。どう考えてもうちが配れるチラシの方が枚数少ないわけだから、本当に本当に皆さんには感謝だ。みなさんがウチが紹介している音楽はいい音楽ってことを認めてくれて「いいですよ」と了承してくれるのだ。単に彼らにとっては余計な作業が増えるだけなのに!)

なので、正直ウドーさんとの交流ポイントままったくない。というか、ウドーさんやウドーさんクラスの他の大手のプロモーターさんにチラシ折り込みを頼むことはできないというのが業界内慣習なので、実は頼むことすらできていない。

あ、でもH.I.PさんにはキングレコードのOBのおじさんがいて、一度折り込みを頼んだことがあったかな。とにかくいろんな話は、自分の体験ではないけれど、人伝えであれこれよく聞く。

あ、今思い出した。一度だけウドーさんと接点があったことがあったのだ。ウドーのxxです、と言っておそらく現場のスタッフさんらしき人がうちに電話をかけてきたことがあった。

それについては、むかーし昔にこのブログに書いたことがあるので、興味がある人は探してみてください(探せないと思うけどね)。

それにしても何度読んでも70年代の来日ものはすさまじい。物を壊したり、昔のロック・スター様たちのすごい逸話はやっぱりすごい。

ムービングライトの件はもちろん、今や世界のトップクラスと言われる日本のコンサート業界だけど(ほんとに日本のステージのスタッフは優秀だと、どの国のミュージシャンからも褒められる)、例えばウドーさんが興行始めた当時はPA機材もないから、PA機材ごとワールドツアーしてたりとか(それでどうやって元をとるんだろうか!?)。

今や当然の卓が会場の真ん中にあることが、昔は当然ではなかったとか……それを始めたのがウドーさんだったとか。

今では当たり前のことが当たり前でなかった時代があったのを知り愕然とする。そんな風に、この本を読んでいてあれこれ初めて知る業界の話も多数。

それにしても会場の真ん中に卓がなくて、どうやってPAさん、音の調整するんだろ。まぁ、でも今でも卓が2階にあったり、卓がブースみたいに引っ込んでたりひどいライブハウスはたくさんあるけどね…

しかしこの本を読み、ウチの小さな事務所を含め果たしてこのコロナ禍を超えて、洋楽ビジネスってどうなっていくんだろうとしみじみ思う。このあと衰退していくのだとしたら、日本のおける洋楽の命は本当に短かったわけだよね。

70年代から、今まで… うーん、それでも50年か。50年もったんだから、これで良しとすべきなんだろうか。

カラーページもとても多く、紙もブ厚い。シンコー・ミュージックのこのテの本は豪華だよな。2,200円+税とちょっと高いけど、最後の全公演リストも含め、王道洋楽ファンなら必須の一冊です。赤尾さん、本当におつかれさま!(そして、手作りらっきょうもご馳走様・笑)


PS
そういや、先日「渋谷陽一さん、大貫憲章さん、伊藤政則さんと会って話されたことはありますか」という質問がPingという匿名質問経由で来て、それにも答えたんだけど、業界内知ってるとか名刺交換したとかいうことはいくらでもあるわけで、それよりもうんと大事なことはどんな小さいことでも、一緒に何を実現したかってことだと思うんだよね。こちらに答えは書きました(笑)。本当にいわゆるビックネームって、会って話したっていうだけで、聞き手には喜ばれる。

昔々に某フェスティバルの空港でミュージシャン受け入れ係(ミュージシャンを捕まえて指定の車両に載せる)という仕事をしている人たちの話をこのブログに書いたけど、その人たちにとってはどんな小さな仕事でも大きなものと関わりあうのが良い、という判断なんだろうと思う。たぶん学生さんのバイトだと思うけど…。

でもそれって、この業界で生きていくには、実はそっちの方が正解なんだわな。

自分の事務所25年やってますってのことよりも、大フェスティバルの仕事してます、ストーンズやクラプトンの仕事してます、TVに出てる俳優の誰々さんの仕事してます、って言える方が、それがたとえどんなに末端でも社会的には評価される世界なのだから。

たいへん興味深い。ふふふ、これもまた無名のミュージシャンを手掛けている者の僻みかもね(笑)